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キャンバスもしくは相互偏執

 これは五月雨の日の事。ある高校の片隅で、彼女は筆を執っていた。キャンバスに描かれた鳥は白く、青空の中をどこまでも飛んでいけそうだった。さて、少しずつ筆が乗ってきたなと思っていると、教室のドアが開く。そこには、一人の男子生徒が立っていた。
「もう描いてるのか。早いな」
「今週は掃除当番無いんです、先輩」
「そうか。羨ましい限りだ」
 彼は返事をすると、カバンの中から紙袋を取り出した。
「今日は紫陽堂の柏餅。旬は過ぎたけど、食うか?」
「……餌付けですか?」
「残念。今ならお団子もつけるんだけどな」
「いただきます」
 彼女が筆をおく。二人が同じテーブルをはさんで座る。そして、手渡された団子を少しずつ食べ始めた。
「そういえば、あの絵、いつ完成するんだ?」
「多分、文化祭までには」
「そうか……あの絵を見て、卒業できるのか」
 その言葉に彼女は何も返せなかった。代わりに何か話さなければと思っていると、机の上に置かれた進路希望調査票が目に入った。
「……先輩は卒業後、何をするんですか? やっぱり、画家に」
「建築家になる」
 食い気味に答えられ、彼女は茫然とした。
「嘘……だって、武宏くんは!」
「ひまり」
 静かに呼ばれた名前で、彼女は我に返った。
「ごめんなさい……ここじゃそう呼ばない約束だったのに」
「いいんだ。俺の方こそ、悪かった」
「……それで、どうして画家じゃないんですか?」
「昔からの夢だったんだ。そのために、数学も頑張ってきた。それに……」
 後ろに飾られている作品群に目をやる。そこには、彼女がこれまでに賞をとってきた絵画の数々が並んでいた。苦々しい笑顔を浮かべる。
「まぁ、もう、絵にそこまで興味はない」
 空白。
「失礼。ここに玄野君いる?」
 ドアが開く。メガネに三つ編みのいかにも真面目そうな雰囲気の女子生徒が部屋に入ってきた。
「委員長。どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないわよ。今日、実行委員の集まりでしょ」
「……あー、そうだった。忘れてた」
 作られたようなその声に、女子生徒はむっとした。彼の頬をつねる。
「ほら、さっさと行くわよ。ごめんね、このバカ借りるわ」
「痛いからヤメロ。あっ、食ってていいからな」
「はい……」
 そうして二人は教室から出ていった。彼女は団子を机に置き、代わりに置いてあったペインティングナイフを手に取る。
「『いかにせむ山の青葉になるままに遠ざかりゆく花の姿を』か」
 立ち上がり、飾られた絵にそっと触れる。
「これが無かったら、あの頃みたいに武宏くんの絵を……」
 瞬間、彼女は大きく振りかぶった。


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