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⑲T(長男)、K(次男)、T(三男)とじいじの家へ(2019年8月)
実は私、親父と和解していた。
2019年の3月に日本へ私だけ一時帰国する予定があって、その時にTさん(②に出てきている兄貴のようなTさんです)に会いに行くことがあったのだが、その時に親父に会っていたのだ。
実は実は、Tさんとも私が3月に日本で会う前に(多分2019年の1月頃かな)彼がモンペリエまで来てくれて、一度話をしていたのだ。(やっぱり、はしょり過ぎ!3年もフランスにいたんでね!)
そんな経緯の中、なぜ私が親父と3月に会ったかというと、親父が入院したということを聞いたからだ。
ちょうど私が日本に返って来ている時に入院したのだ。
病名は「癌」だった。
たしかステージはまだ浅かった気がするが、本当に申し訳ないが覚えてない。
私は病院に駆けつけて親父と話をした。
毎回そうだが(親父と喧嘩は3回目)、お互い悪かったとかそんな話はせず、普通に会話をして、そのまま和解する感じだった。
今回もそんな感じで和解した。
私は母を小さい頃亡くしており、母も「癌」だった。
遺伝するか分からんが、その線だと私も末は「癌」かな?
ちなみにまだ死ぬ予定はない!
もちろん兄貴Tさんにも親父にもフランスの私たち8人の生活のことは言ってない。
(言えないよ~♪by郷ひろみ)
そして、私はフランスに戻り、親父もほどなくして退院した。
それからその年の8月、私は別に親父とはあまり話したくないので(笑)子供たちだけ日本の親父の所へ、夏休み中に遊びに行かせようと思い、親父に相談したのだ。
しかし、その返答が
「ちょっと身体が辛いから、俺だけで孫の面倒を見るのは無理だ」だった。
自分一代で会社を築き、スキーが得意で「それ70代の滑り?」というくらいアグレッシブで、4回結婚して4回離婚するくらいパワフルな親父から出てくる言葉とは想像がつかなかった。
やっぱり病気は一時的に治っても体調は優れないようだった。
私も急に心配になり、結局私、T(長男)、K(次男)、T(三男)の4人で行くことにした。
「M(長女)まで連れて行くと、私のお世話が大変になるだろう」ということで長女は連れて行かなかった。(ごめんね)
もちろんS(四男)のことは伝えてないし、連れて行ったら、親父の勘でばれたらまずいので、連れて行ってない…。
長女には会えなかったけど、親父も子供たちも楽しんでくれたと思う。
例によってその時のことは私はそんなに覚えてない。
(いくつか写真があるくらいかな)
いつものように親父の家から買い物に行って、家でゆっくりしていたと思う。
そして子供たちが親父と会うことが出来たのは、これが最後だった…。
最後までお読みいただきありがとうございました!
あまり心が軽くなる記事ではないですねぇ。
たってストーリー調になっているからしょうがないのです!笑
それでも「スキ」「コメント」「フォロー」などしていただけましたら、確実に私もあなたのことが好きになりますので(笑)よろしくお願いいたします!
今後も頑張って投稿してまいります!
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