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ファシリテーションはいる?

このテキストは、コロナがあって生まれた、という側面もある。

コロナでZoomでやらざるを得なくなって。そのためにライブでやっていたレクチャーを、ウェビナースタイルにチューニングしたのでした。

離れた場所からのはじめてレクチャー

これまではずっと直接顔を見てレクチャーしてきたので、何もかも初、もっと言うなら世界初、です。けれど、私のレクチャーをしっかり聞いて生徒さんたちが一人で書き上げることができた。これは大発見でした。

だったらテキスト化ができる!

そう思ったのです。で、あーでもないこーでもないと、こねくりまわしてつくってみて。いろんな人にお渡ししました。そしてわかったのは、「わたしのしくじり」です。笑

みんながみんな、このテキストを「ひとりで書き上げられる」と思ってない・・・

私は異業種からの転職組である日いきなりコピーライターになった、ということが「ひとりでできる」になってしまったのかもしれません。コピーライターは資格職ではありません。という意味で、いきなり対価をいただくポジションに就いたわけなので、それはそれである意味スゴイのですが、自分キャッチコピーは、自分による自分のためのコピーです。

うーん・・・やっぱりファシリテーターは必要なのだろうか

まあでも、考えてみたら発端となったZoomでのウェビナーも、私がファシリテーターとして参加しています。その際たくさんのヒントを口頭で伝えています。それも、あるでしょう。けれどきっと大きいのは「その場の空気感」のようなものかなあと思います。私は言葉が好きなので、私にとっては楽しいことを考える時間。そこが普段、言葉ノーマークのひとたちに新鮮なのかなあと思います。

とはいえもちろん、「自力で、自分キャッチコピーを書いたよ!」という方もいらっしゃいます。めちゃくちゃ嬉しくなります。

でも、書き終えた後「書いたけど、これ、あってる?」って思うようなのです。

なるほど。と思いました。
自尊心の話で書きましたが、私たちは学校教育で、正誤でモノゴトを判断するように教わってきています。私が問題にしているのは「まさに、そこ」なのですが、考えて書く行為に対してほとんどの人が「あってるかどうか」を求めてしまうのです。

私はレクチャー時、赤字はいれません。もちろん俳句の先生のようにそうすることも「可能」です。そしてもっと「うまく」伝える表現を開発することもできます。

でも、ソレをしてしまったらどうなるでしょうか。

私が「マルをあげるひと」になってしまいます。私のキャリアを見て「あの人にマルをもらったから」と、なってしまうでしょう。ちょ、ちょっとまって、私はそんなに絶対なひとではありません。笑
そして、「うまく伝える」ことを目指すとひとはしぜんと「取り繕う」ことがはじまってしまいます。それは、繕ったあなたであって、あなたではない。あなたらしくもないかもしれない。

自分キャッチコピーの目的はそこじゃないのです。

そんなわけでテキストには「書いた自分自身が好きかどうか」を最重要としています。それでOKです。百点満点です。
プロになって、それで商売をするのではないのだから。(←ここ重要)

ですので、自分キャッチコピーを決めるのは、書き手であるあなたが「好きかどうか」がすべてだと思います。それでいいのです。

そこに見えてくるものこそ【自分らしさ】だとわたしは思っています。その自分は、世界に2つと存在ない自分自身です。それが言葉で視覚化できる、ということにこのテキストの意義・魅力はあるのだと思います。

ファシリテーターの必要性はテキストを見た瞬間に即答されます。

コピーライターは広告の世界だけにある職業です。専門性が高いと思われていることあるのでしょう。私もそう思うので、動画開発をしなくちゃなあ、というところです。現在開発中です。ちょっとお時間かかりそうです。

でも。
たとえば二人で。親子やご夫婦で。何かクイズを解くみたいに取り組めたら、とってもいいコミュニケーションツールになります。「あ、自分はこういう人なんだ」というのがスカッとはまると、いろんなモヤモヤがひとつ晴れたように感じると思います。


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