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【道行き3-4】

【第三章 『写真』-4】

 山中の林道を走る車の揺れで目を覚ました茉由まゆは、身の危険を感じて車を停車させ、逃げるように車外へ飛び出した。

 茉由を落ち着かせるため、八雲やぐも奥新川駅おくにっかわえきの詳しい説明を始める。

「知らなかったのか? いいか、奥新川の駅は全国的に有名な秘境ひきょうの駅なの」

「秘境の駅?」

「そう、秘境の駅。だからこんな山道を走って行くのさ。数年前までは駅の近くの集落しゅうらくで三人ほどが暮らしていたそうだけど、今その集落で暮らしている人がいるのかさえわからない」

「……」

「だからトイレも先に済ませてきたんじゃないか」

「そんな…… だってそんな話、聞いてなかった」

 だんだん落ち着いてきた茉由は、息を整えながら八雲に言った。

「話そうとしたけど、キミが眠ってしまったからね」

「本当ね、本当にそうなのね!」

「嘘など言ってないよ。どうして私が嘘を言わないといけないの?」

「だって、『ヌードの写真りたい』とかって言うから……」

「そんなことで……」

 八雲は呆気あっけにとられたが、やっと落ち着いてきた茉由を見て安心したように向かいの山並みを見つめた。

「見てごらん、あの赤い鉄橋が仙山線せんざんせんだよ」

 八雲の指さす先を茉由は目を細めて見た。そうと教えてもらわなければ見逃すほどの小さな赤い鉄橋が、山の中腹に見える。

「あれが仙山線の線路なの?」

「そう、こんな山の中を走って山形に向かう。奥新川駅は宮城県側の一番西にある駅なんだ。そこに向かう道はこの林道しかないのさ」

 そう言いながら、八雲は道路脇の石に腰を落とした。

「知らなかった……」

「わかってくれた、じゃよかった」

「あなたが何も言わないから…… 最初に説明されれば私だってこんなことしないわ」

「はいはい、私の説明不足でした。ごめんなさい」

「私も勝手に取り乱してごめんなさい」

「ついでだからひと休みしょう」

 そう言うと、八雲はポケットからタバコを取りだして火を着ける。

 車のガラスを鏡にして手櫛てぐしで髪を直していた茉由が、「何か飲みますか?」と八雲に聞いた。

「キミは車の中にいなさい」

「大丈夫よ、そっちに持って行くわ」

「熊が出るよ」

「熊ですって!」

 茉由はギョッとした顔をし、急いでドアを閉めた。

「なぜ、あなたは外でタバコなんか吸ってたの? 熊が怖くないの」

 気を取り直して走り出した八雲に茉由が聞いた。

「自然界の生き物はタバコが嫌いなのさ、だから寄ってこない」

「そうなの?」

「そう。こんな体に悪いものをわざわざ作って、火をつけて煙を吸うなんてバカな生き物は人間だけ。かしこい野生動物たちはみんな『ヤバい!』って、すぐわかるんだよ」

「……」

「着いたら鈴を着けてね、熊避けだから」

「わかった」

 やがて車は短いトンネルに差し掛かる。

「今のトンネル、気味が悪くて苦手だよ」

 トンネルを抜け、北沢川きたざわがわの橋を渡りながら八雲は言った。

「私もちょっと怖かったわ」南沢川みなみさわがわの橋を渡りながら茉由が答えた。

 この南沢川に掛かる橋が奥新川橋だ。この橋を渡り坂を登って行くと、奥新川の駅はもうすぐだ。一目で廃屋はいおくとわかる建物の横を通り、車は奥新川の駅に着いた。

「着いたよ」

「凄いところね…… ここって」

「出よう。あ、でも車で待ってるかい?」

 そう言うと八雲は外に出て撮影の準備を始める。後を追うように茉由も車を降りた。

「写真、撮るのね」

「あぁ、仕事だからね。あ、これ付けて鈴」

 そう言いながら八雲は熊鈴くますずを茉由に渡す。受け取った鈴を腰に着けると、茉由はピョンピョンと跳ねてみた。熊鈴はカラカラと乾いた音を出した。

「初体験! 面白い!」

 子どものように笑いながら、茉由は何度もねて遊んでいる。八雲は時計を見て準備を急いだ。

「そろそろだな」

 そう言いながらビデオカメラをホームにセットして茉由を呼ぶ。

「ここでこれを支えててくれ、まもなく快速列車が来る。停まらないから、通過する時の風圧で倒れないように頼む」

「そんなに凄いの、風圧って」

「ゆっくり走っているはずだから大丈夫だと思うけど、念のためね。それに暇でしょ」

「暇って…… まぁ、暇ね」

「私は向こうから撮るから」

 そう言うと、八雲は反対側のホームに走って行った。

 五分と待たずに快速列車が姿を見せた。列車の駅を通過するスピードはとても遅く、茉由の支えなどまったく必要なかった。

「スカートじゃなかったのが、ちょっと残念だったな」

 そんなことを考えながら、八雲は列車が通り過ぎたホームに立ったままの茉由を連写する。茉由のところに戻ると、ビデオカメラのセットを見直しながら八雲が言う。

「またこっちから列車が来る」

「また支えればいいのね」

「その必要はないよ。普通列車だから停まる。ただ、見守っていてくれればいい」

「わかったわ」

 茉由の返事を聞いてから、また八雲は反対側のホームに行く。まもなく仙台行の普通列車が駅に停車したが、列車を降りた客は一人もいなかった。

「ありがとう。今度は十八分後だから、ちょっと休もう」

 そう言って茉由を車に戻し、八雲は駅舎やその周辺を撮影している。その姿を見ながら茉由は車内でお菓子を食べていた。

「チョコちょうだい」

 ひと通り撮影を済ませると八雲は車に戻り、少し甘えたように茉由に言う。

「はい、チョコ」

 茉由は板チョコを欠いて、八雲の口に入れて笑う。

 八雲はチョコを口のなかで溶かしながら時計を見て言った。

「あと八分で電車が来る」

「また撮るのね」

「あぁ、また撮る」

 そう言いながら、八雲は茉由を見つめた。

「どうしてそんなに見つめるの? なんだかちょっと恥ずかしい」

 そう言うと、茉由は八雲の視線から逃げるように顔を横に動かす。それに構わず、八雲は茉由の横顔をじっと見つめてつぶやいた。

「さてと、仕事の時間だ」

「そうね」

 二人は同時に車のドアを開けた。同じビデオカメラの前で八雲は茉由に言う。

「今度の電車も停まるから、支えなくていいよ」

「そうなの?」

「あぁ」

 そう言うと、八雲はカメラを持って、今度はホームの先端に行った。

 すぐに山形行の普通電車がゆっくりホームに入ってきた。茉由はビデオカメラの後ろでじっとその電車を見つめる。電車を降りた客はまた一人もいなかった。

 警笛が鳴り、ガタンという大きな金属音の後でゆっくり電車が動き出す。するすると流れるように茉由の横を電車が通り過ぎた。

  ーー続くーー



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