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【道行き2-4】

【第二章『車』-4】

 茉由まゆは夢の中で戦っていた。

 小さな手足がついたラジカセが、茉由の枕元まくらもとで踊りながら盛大に音楽を流している。

「うるさい! ぶっ壊すぞ!」

 怒鳴どなりながらラジカセをつかもうとする茉由の手を、その小さな手と足を器用に動かしてラジカセはすり抜けていく。何度目かの格闘の後、「はっ!」として茉由は飛び起きた。時間は朝の四時を過ぎ、スマホは最大音量で目覚ましの音楽を流している。

「ありがとう、素晴らしい目覚めだわ。自分がスマホだったことを喜びなさい。ラジカセだったら、あなたはもう生きていないわ」

 そんなことを茉由に言われる筋合すじあいなどスマホにはない。スマホは昨夜、茉由にセットされた命令を忠実に実行しただけである。

 隆夫たかおの自宅までは、原チャを飛ばせば十分程度で行ける。「朝は交通量が少なく、信号も点滅しているはずだから、もう二・三分は短縮できるだろう」そう考えながら茉由は着替えをし、出かける身支度みじたくを整えた。

 そうこうしている内に時計は四時半を過ぎた。

「こりゃヤバい、遅刻だ!」

 急いで外に飛び出し、玄関脇に停めてある原チャを引きずり出してエンジンをかける。まるでヤンチャな高校生が、遅刻でもしそうな勢いで茉由は原チャを走らせた。

 途中の販売機でコーヒーを買う。「ブラック、微糖、それとも?」と、茉由は一瞬迷ったが「時間がない、男はみんなブラックだ」ということにして、暖かいブラックコーヒーを三本買い懐に入れた。

「温かい! 元気でた」独り言を言いながら、モーレツなスピードで隆夫の自宅に滑り込む。

 時刻は五時五分前、車庫が開けられ隆夫が例の車を出していた。暖気運転のためだろう、エンジンは静かにアイドリングを続けている。

「間に合った」茉由はそう思うと同時に、体の力が抜けるようにヘナヘナと椅子に腰かけた。

「ちゃんと起きてきたんだ、なかなか来ないから、また寝坊だと思ってたよ」

「エヘヘ、寝坊はしたけどギリギリセーフ!」

 茉由は懐から缶コーヒーを三本出して、一本を隆夫に渡すと、もう一本は作業台に置き「これは隆夫の兄貴のね」と言った。

「お、気がきくじゃん」

 隆夫は嬉しそうに微笑みコーヒーを飲む。茉由もコーヒーを一口飲んだ時、うしろから男の声がした。

「なんだか楽しそうだね。お邪魔ならすぐ帰るよ」

「あ、昌夫まさおさん、おはようございます」

 隆夫が照れくさそうに挨拶した。

「おはようございます」

 昌夫と呼ばれた男も、きちんと頭を下げて隆夫に挨拶した。

「あ、おはようございます」

 最後に茉由が向き直って、昌夫に挨拶した。のだが……

「え! あなたは」

「あれ、あなたは下月しもつきさん? でしたっけ」

「なんであなたがここに? まさか昌夫さんって」

 二人はお互いの顔を見つめながら、呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。

「なんだ茉由、昌夫さんと知り合いだったのか?」

「知り合いっていうか、コンビニのお客さんなのよ」

 そう隆夫に聞かれ、茉由は恋人に浮気現場を押さえられたように、おどおどした返事を返した。

「気にしないで隆夫くん。私はただのコンビニの客、君の恋人の浮気相手じゃないよ」

「え! 恋人じゃないですよ。ただの友だち、同級生。そう、同級生なんです」

「そうです。同級生なんです、私たち。ねぇ隆夫」

 隆夫と茉由、どちらの返事もどぎまぎしていた。

「そうですか」とだけ答えて、クスクスと笑いながら男は車に近づいた。

 男の名前は「八雲昌夫やぐもまさお」という。

 コンビニで、特殊詐欺とくしゅさぎいそうになった女性を茉由と一緒に助けたあの八雲が、隆夫のいう「年の離れた兄貴」昌夫だったのだ。この偶然は、コンビニの客と店員というつながりしかなかった二人を、一歩も二歩も進めた関係にするのだった。

 明るいシルバーメタリックに再塗装されたその車は、八雲を待っていたかのように静かにアイドリングを繰り返していた。

「2006年式の NISSAN March オーテックジャパン仕様の12SRです」

「どうぞ」とコーヒーを差し出しながら、隆夫が八雲に言った。

「これに乗れと?」

「この車、面白いですよ、さすがはオーテックチューンですね。エンジンは組み直してあります。給排気系だけ若干いじってありますが、パワーとトルクはカタログデータにプラスα程度です。走らせればわかりますよ」

「まいったね~ ちょっと東北回るだけだから、こんな高スペック要らないのに」

「わかるんですか? 見ただけで」

 ふたりの会話に割って入るように、茉由は八雲に聞いた。

「立ち姿がいい! この車は変なクセがついてないし、事故も起こしてないはずだ。なにより、この車がもつ雰囲気というか独自の存在感がスゴい。そのへんに停まっているそれらしい車とはまるで違う。それにこの落ち着いたアイドリングを聞けば、どれだけ隆夫くんが心を込めて組み上げたエンジンかわかる。ブローなんかさせたら、たぶん殺されるね」

「そんなこと、二度としません」

「二度と?」

 隆夫が言った一言が気になった茉由だったが、その場は聞き流した。

「これから出るんですか?」

 運転席に腰を下ろす訳でもなく、左斜め前方から黙って車を見ている八雲に隆夫が聞いた。

「いや、今日はまだ仕事が残っているんだ。それには車があると便利だからさ。ちょっと買い物あるし、出るのは夜中かなぁ~ 二時か三時くらい」

 そう言いながらドアを開けた八雲は、躊躇ちゅうちょするようにそこで動きを止める。

「隆夫くん、気のせいかな? マニュアルに見えるんだけど……」

「もちろんです。昌夫さんにオートマなんて用意出来ませんよ。ははは」

「ははは、って、そういう気の使い方は必要ないんだけど……」

 ほこらしげに言う隆夫とは対照的に、八雲は「まいったな……」という顔をしていた。

  ーー続くーー



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