【道行き3-5】
【第三章 『写真』-5】
奥新川駅で、八雲の撮影が始まった。その八雲の指示で、ビデオカメラが倒れないように茉由は見守っていた。
「下月さん」
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ、茉由は振り向いた。
「カシャ、カシャ」というカメラの連写音が聞こえる。八雲が三脚を立て、ファインダー越しに茉由を見つめていた。
「恥ずかしいから止めて」
茉由は顔を手で隠すようにしながら八雲に言った。頬が上気して赤くなってくるのが自分でもわかる。
「キレイだよ、少しじっとして。手は下げて欲しいな~」
ファインダーから目を離さずに八雲が茉由に言う。茉由の手はゆっくり下げられ、瞳は八雲を見つめるようにレンズに焦点が合わせられた。
「そう、その目はいいよ。とてもいい! ゆっくり右を向こうか、目線はそのままで、顔を右に。そう、ゆっくりね」
茉由はそれからも八雲の言うとおりに動いた。なぜそうしているのか自分でもわからない。ただ、八雲が撮るカメラの連写音を聞いているのがとても心地よかった。
二人はカメラや機材を持って車に戻った。八雲が手際よくカメラと機材一式をバッグに片づけている。茉由は傍らでそれを見ていた。
「これでもう今日の撮影は終わった」その事実を突きつけられた茉由は、切なくて涙がこぼれそうになった。
「終わりなのね」
やっと言葉を見つけたように茉由が呟く。
「あぁ、今日はね」
「今日は?」
「日が暮れる。撮影するところはまだあるんだけど、あとは明日」
「明日も来るの? 今夜、旅に出るって……」
機材の入ったバックを積み込み、リアハッチを八雲が閉める。
「だって、ほら」
そう言って、手のひらを茉由に見せた。
「出発が遅れたから?」
「ま、そういうこと」
そう言うと、八雲はペットボトルの水をごくごくと飲んだ。
「とにかく、まずはトイレに行こう」
茉由を促すように車に乗り込み、二人は奥新川の駅を後にした。
山には夕暮れが押し寄せ、帰り道はすぐに薄暗く気味の悪いものに変わる。
「逢魔が時……」
八雲が呟くように言う。
「ちょっと何、怖いわ」
「あそこは心霊スポットなんだ、だから早めに退散する。これでも少し遅いくらいだ」
ライトを付け、先を凝視しながら慎重に八雲は車を進める。外灯など一切存在しない林道は、その先がどこにつながるのかさえ教えてはくれない。
「このまま帰れなかったら……」そんなことを考えながら、茉由は八雲の横顔を見つめた。
「いいわ、それでも」
呟くようにそう言うと、そっと茉由は右手を八雲の左手の上に添えた。
国道まで戻った車は、来た時に寄ったコンビニを目指して走る。
「戻れなかったらどうしよう…… って、考えてたの」
茉由は呟くように言った。
「もしそうなってたら、どうした?」
「それでもいいかなぁ…… って、思った」
「そうか……」と言ったきり、八雲は何も話さなくなった。
ほどなくして、車はコンビニの駐車場に停まる。トイレを済ませ、二人は黙って車の中で熱いコーヒーを飲んでいた。
夕暮れが通り過ぎ闇が満ちた世界の中で、二人の乗った車を外灯が照らしている。
飲み干したコーヒーのカップを持って八雲が外に出る。まだ飲みかけのコーヒーを手に、茉由も後を追うように車のドアを開けた。
じっと車を見つめる八雲の傍らに、寄り添うように茉由は近づく。
「わかるだろう、この車はスレていない。まるで新車のようだ」
「わかるわ、とってもいい子よ」
「いい子か、そうだね」
二人の見つめる先には、照れくさそうに一台の車が佇んでいた。
「さてと、もう帰ろう」
コーヒーカップをごみ箱に捨て、八雲は車のエンジンをかける。乾いたアイドリングの音が心地よく響く。動き出した車の振動が体に伝わり、茉由は体の真が熱くなる感覚に襲われた。忘れていたその感覚に頬が火照る。
「こんなに男を意識するのって、久しぶりだわ」そう思った茉由だったが、すぐその感情を打ち消した。
「久しぶりじゃない! この感じ、きっと初めて。早く何か話さなくちゃ! そうじゃないとこの人に気づかれてしまう」自分の感情を隠そうと意識は話題を探しているが、脳裏に浮かぶのはファインダーから目を離した時の八雲の笑顔と、裸の上半身だけだった。
「そうだ、明日は何時ごろに行くの?」
「う~ん…… 起きたら、かなぁ~」
「プ! いい加減ね。カメラマンの人って、みんなそうなの?」
茉由は吹き出して、笑いながら聞く。
「みんなは知らない、私はいい加減だけどね」
前を向いたままで八雲は答えた。
八雲の左手は、シフトレバーの上にあることが多い。ハンドル操作は右手一本で行なわれ、左手がシフトレバーから離れることはほとんどなかった。その八雲の左手の上に置いた手のひらが汗ばんでくる。茉由は感情の変化を八雲に知られることが恥ずかしくなり、それを誤魔化すように、後部座席からお菓子の残りが入ったコンビニの袋を引き寄せる。
「お腹空いちゃった。何か食べる? チョコとか」
「あはは、それじゃチョコお願い」
「ハーイ」
そう言うと、茉由は板チョコを欠いて八雲の口に入れた。
「何か食べて帰ろうか?」
「うん、でも今日はいい。帰りましょう」
「また食事会はお預け、かなぁ~」
「そうだったわね、また今度ね」
そういいながら、茉由はポテトチップスを食べている。
「左利きなんだ!」
「そうなの、左利き」
驚いたように聞く八雲に、照れくさそうに茉由は答えた。
「だからだったのか! キミの動きに見馴れない新鮮な感覚があったんだ。だから思わずシャッターを切ってしまった」
「よかった、左利きで。って、ちょっと待って! じゃ私が右利きだったら写してくれなかったってこと! ひどい!」
「あちゃ! またやっちゃったか」
二人の笑い声で、車の中の重く淀んだ空気が入れ替わり、和やかなものに変わる。
二人は八雲のアパートに帰ってきた。
「今日はありがとう、楽しい撮影になったよ」
「私も、とっても楽しかったです」
車を降りた茉由は、ペコリと頭を下げた。
「明日は何時ごろ……」
明日も一緒に行けるものと思い、出発の時間を聞こうとした茉由を制して八雲が言う。
「キミはあまり私に関わらない方がいい。明日は私一人で行く、撮影が済んだらそのまま旅に出る」
ーー続くーー
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