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【道行き2-2】

【第二章『車』-2】

 古くなった部品を新しいものに交換した時、部品同士がスムーズに動くようになるまで、ゆっくり馴染なじませる必要がある。そのために行う運転のことを「らし運転」という。特に心臓部のエンジンでは、最も重要な作業の一つになる。

 そこで、限りある時間を有効に使うため隆夫たかおが白羽の矢を立てたのが、同級生の茉由まゆだった。茉由はメカニカルなことは全くわからない。だが車の運転は好きだったし得意だった。

 茉由はとてもスムーズな運転をする。丁寧ていねいやさしく、車に不用意なストレスを与えない。それでいて、必要ならエンジンを全開まで回せるテクニックをも、茉由は持っていた。

 何より茉由の強みは、正しくクラッチがめることだった。「車のすべてがオートマチック車だ」と言っていいくらいの今の車社会で、まともにクラッチが踏める人間などほとんどいないのだ。

 隆夫が茉由を必要とした最初の理由は、茉由が持っているこうした運転のテクニックだった。だが、隆夫の中で茉由の存在は少しずつ大きくなっていた。つまり隆夫は、茉由の運転テクニックだけではなく、茉由自身が欲しいと思い始めていた。

 そんな車好きの茉由は隆夫に声をかけられた時、二つ返事で話しに乗った。そしてその後もこの関係は続いていたのだが、隆夫と違い茉由はそれ以上の関係を望んではいなかった。

 そんなこんなで茉由は、車をとっかえひっかえドライブを楽しんでいたのだが、今夜はいつもと少し違っていた。

 それは月曜の夜に始まった。

 その夜、隆夫は小型のファミリーカーに乗って茉由の自宅にやって来た。

「さっき、エンジンを組み上げたばかりなんだ、これを土曜の朝までに千キロ慣らしをしてくれ」

 茉由にこう言う隆夫の顔は、誰の目にも疲労困憊ひろうこんぱいと見える。だが、その目はキラキラと輝いていた。

「急にどうしたの?」

 その顔を見て、心配そうに茉由が聞く。

「ある人に貸すことになったんだ、それでエンジンを組み直した」

 笑顔で隆夫は答える。その顔は、まるで夏休みに作った工作を友だちに披露するかのように自信満々だ。

 街灯に照らされたその車を、茉由はしげしげと見つめる。よく見ると不思議な車だった。

「古い小型のファミリーカーなのに、どこか雰囲気が違う」茉由がそんなことを考えていると、

「乗れよ、ちょっと走ろう。面白い車だぞ」と言いながら、隆夫が運転席に座る。

「しかたないな」そう言いながら、茉由は助手席のドアを開けた。

 乗り込んだ茉由が驚いたように隆夫に聞く。

「え、マニュアルなの?」

「あぁ、そうだよ。メーカーチューンさ」

 そう言いながら、隆夫はゆっくりクラッチをつないだ。一速から二速、三速とギアを上げるごとに、車は乾いた排気音を残してスムーズに加速を繰り返し、スピードメーターの針はすぐ三桁の数字の上で踊る。

「これって、ちょっと凄い! ねぇ、変わって」

「だろう、そこのコンビニで停まろう」

 運転を代わった茉由は、郊外の住宅地を一回りして隆夫を自宅に送った。

「面白い!」

「じゃ、土曜の朝までに頼んだよ。五百キロを超えたら時々全開にしてみてくれ。そうだな~ 三速か四速で頼む、当たりが欲しい」

「わかったわ、任せて」

 ということになって早くも金曜の夜。今夜中に残り四百キロを走り、明日の朝隆夫に車を返すのだ。

「残り四百だから盛岡往復で大丈夫だろう、直線で全開にしてみよう」

 そんなことを考えながら、茉由は東北自動車道に乗るため西道路のトンネルに入った。

 片道二百キロを一時間半で走り、盛岡のコンビニで小休止。七時に仙台を出た茉由は、十時半前に戻ってきた。トリップメーターのカウントは、すでに千キロを超えている。

 十一時前なので、隆夫はまだ起きているだろうと思った茉由だったが、隆夫の家には行かず自宅に帰った。

「友だちだが男と女なのだ、この時間に訪問するのはまずいだろう」そう考えてのことだった。

 茉由が店の駐車場に車を入れると、父親の「 昇のぼる」はまだ店にいた。看板に光はなく、薄暗いカウンターでウイスキーを飲みながらレコードを聞いている。

「早かったな、もう終わったのか?」

 立ち上がり、ステレオのボリュームを落としながら昇が聞いた。

「うん、終わった。楽しい車だったわ、返すのがちょっと残念」

 父親のウイスキーを見ながら茉由が言う。

「私にもちょうだい、ハイボールがいいな~」

 甘えてみせる娘に勝てる父親はいない。言われるままグラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぎソーダ水で割る。出来立てのハイボールを茉由の前に置きながら昇は言った。

「ま、隆夫くんの車なんだ、返すしかないだろう」

「そうね、なんだか初めて自分の車にしたいって思ったわ」

「へぇ~ そんなにいい車だったのか?」

「ぜんぜんいい車じゃないわ、型も古いし…… でも、乗っていると楽しいの。なんて言うのかな~ ちょっとヤンチャな男の子みたいなの」

「お前は昔からそうだな、どこか普通の人と感性かんせいが違う」

 二人の話は、だんだん熱をびてきた。

「だって優等生って、ぜんぜんつまんないでしょ! 成績もよくて、スポーツもできて、親や先生の言うこともちゃんと守って……」

「いいことじゃないか、すべてがまとまって! ヤンチャばかりしている小僧なんか、どうにもならん」

「でもねお父さん、そういう子たちってみんな同じに見えるのよ。『あぁ、この子たちは社会に出ても、みんなと一緒のことしか出来ないかもしれないな……』って思っちゃう」

「いい子のどこが不満なんだ?」

「お父さんよく考えてみて、大人が言う『いい子』って、誰かの都合の『いい子!』ってことでしょ!」

 茉由の鋭い視線が、昇の目を見つめたままピクリとも動かない。昇は観念かんねんしたように言った。

「やれやれ、今夜も私の負けのようだな。お前のその性格、誰に似たんだ?」

「誰に似たんでしょう?」

「たぶん母さんだな、オレじゃない」

「そんなお母さんを奥さんに選んだ人も、そうとう変わり者だと思いますけど」

「それもそうか、あはは」

「あはは、では今日はここまで!」

 残ったハイボールを一気に飲み干し、茉由が話しを終わりにしようとするのを昇が止める。

「おい、車の話はどうなったんだ?」

「あれ? どこかで脱線だっせんしちゃった、覚えてな~い」

「あぁ、これも母親譲りか…… オレはもう寝るぞ」

 そう言いながら、昇はレコードをターンテーブルから外し、ジャケットに入れた。

「あなた譲りよ! 私もシャワー浴びて寝ようっと」

 茉由は入浴の準備を始めた。

「あんなふうに自由に会話ができるのも、実の親子だからよね。みのるは…… 稔とは、ケンカにしかならなかった」

 大きめのドライヤーを机に固定して遠くから温風をかけ、長い髪をいたわるようにゆっくり乾かしながら、茉由は別れた夫のことを少しだけ考えてみた。

   ーー続くーー



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