【道行き2-6】
【第二章『車』-6】
仙台市の北西に立つ山が「泉ヶ岳」だ。その山の中腹にはスキー場が二つあり、その二つのスキー場を結ぶ道は、キツいコーナーが連続している。当然のようにその場所は、車が好きなガキどもの格好の遊び場になっていた。
夜明けを待たずに小僧どもが姿を消した日曜の朝早く、その場所では見慣れない小型のファミリーカーが疾走していた。
ダンスを踊るかのようにコーナーでは四輪を滑らせ、僅かな直線を猛烈な勢いで加速し、激しく身震いしながら迫るコーナーの手前で減速する。
まるで車の限界点を探るようなそのドライビングは、ドライバーの意図を無視して時に限界を超える。だが、限界を超えコーナーでスピンモードに突入している車を、そのドライバーは最小限のカウンターとアクセルコントロールだけで修正し、何ごともなかったかのようにフル加速させる。
奥のスキー場手前でスピンターンしてダウンヒルに入ったその車は、更にスピードを上げる。繰り返されるハードブレーキングでディスクのローターは真っ赤に焼け、キャリパーで押し付けられたパットは火花となってホイールから飛び散る。
右に左にと繰り返されるドリフトのスキール音が激しく響き、タイヤの焼ける臭いが谷間に充満していた。
そのコースを二往復したその車はエンジンの回転数を落として、僅か数台しか駐車していないシーズンオフのスキー場の駐車場に入ってきた。
アイドリングのままでボンネットが開けられる。いわゆるクールダウンだ。開けられたボンネットの中で、休憩に入ったエンジンがゆっくり油温を下げる。
八雲はタバコに火を付け、目視でエンジン周りの点検を始めた。
「ふぅ…… 息が続かない、歳だなぁ」
そんな独り言を呟いて、八雲は空を見上げた。
「速いですね、驚きました」
そう八雲に声を掛けてきたのは、二十代中頃と思われる男性だった。少し離れた場所に車を停めて来たのだろう。その青年は徒歩で八雲の所にやって来た。
「何を言ってる、少し離れた位置でピッタリついてきたくせに」そう思った八雲だったが、気づいてないふりをして答える。
「え、どこで見てたんですか? 恥ずかしいな~」
「ご謙遜を……」
年配者のような口ぶりで答え「クールダウンですか?」と八雲に聞きながら、青年はボンネットの中を覗き込んだ。
「この型だと、オーテック仕様ですか?」
「くわしいですね、そのようです」
タバコの煙を気にした八雲は、青年の風下に移動する。
「給排気系メインのライトチューンか…… ブレーキはオポーズドタイプ、足回りは少し硬めかな~」
そんなことを呟きながら、その青年は何かしらを確かめるように、エンジンルームからフロントタイヤ回りを見ている。
「この色は純正ではないようですね、再塗装?」
「よくわかりません、借り物なので」
「あなたの車ではないのですか?」
驚いた様子で青年が八雲に聞く。
「私は車を持てるほど裕福ではないのです。これから少し旅に出るので、今朝知人から借りてきました」
そう答える八雲に、あからさまに呆れたような表情になって青年は言った。
「今朝って、それじゃ今日初めてこの車に乗って、それであの走りですか? 呆れて言葉が出ない、いったい何者ですかあなたは?」
「私は八雲と言います。ただの中年男です、何者でもありません」
「私は堤です。堤吾郎と言います」
お互い名乗りあったところで、八雲はボンネットを閉め、エンジンを止めた。
「コーヒーでも飲みませんか」という堤の提案を八雲は快諾し、二人はレストハウスに向かって歩き出す。
「ここを、よく走るのですか?」
八雲は歩きながら、堤と名乗った青年に話しかけた。
「今はほとんど来ません。今日はたまたまです」
「そうなんですか」
堤の素性を探る手掛かりが欲しかった八雲だったが、ありきたりの会話で終わった。
「あなたは?」
今度は堤が八雲に聞く。
「私もたまたまです。久しぶりに乗るマニュアルなので、勘を取り戻そうと思い来ました」
「『久しぶりに乗るマニュアル』って、まいったな~ 今までどこに隠れてたんだ?」堤と名乗った青年は、コーヒーを飲みながらそんなことを考えていた。
この「どこに隠れていた」とは、どういう意味なのだろう? 物語の中に、その答えがあるといいのだが……
その後、暫く雑談していた二人だったが、「そろそろ私は帰ります。旅の準備があるのでね」と八雲が言うと、「では、私も」と堤も言って、二人は並んで駐車場に戻った。
「よい旅を」堤にそう言われ、「ありがとう」と八雲は礼を言って、駐車場を後にした。
「ロータリーか、乗ったことがないな……」堤の車を思い出しながら、八雲は山を下った。
「今のうちに給油するか」そう考えた八雲がガソリンスタンドに入って行くと、スタッフが走って来た。
「満タンに」
窓を開け、そう言う八雲にスタッフが聞く。
「レギュラーですか?」
「不意を突かれる」とは、こういう時に使う言葉なのだろう。
「聞いてない…… どうしよう」八雲はこのスタッフの問いに絶句してしまった。
「あ、えぇ…… と……」
しどろもどろしている八雲の表情を見て、「知らないのだ」と判断したのだろう。スタッフは笑顔のままで、「それでは、給油口を開けてください」という。
「これも知らない」
困った八雲が、あちこち覗いていると、
「すみません、ドア開けていいですか?」と聞くスタッフ。
「どうぞ」という八雲の声と同時に、運転席のドアが開けられた。
「失礼します。あ、ここですね」そう言って、スタッフは小さな取っ手を引く。
給油口が開くと、その裏に「ハイオク」という文字が、太いマジックで大きく書いてあった。スタッフは八雲のところに戻ると、確かめるように聞いた。
「ハイオクと書いてありましたので、ハイオク満タンでいいですか?」
「はい、それでお願いします」
八雲は恥ずかしさで、顔を真っ赤にしながら答えた。
「またバカをやってしまった」と考えていた八雲だったが、「ま、恥をかいたがこれで覚えた」と、思い直した。
ガソリンスタンドを出た八雲は部屋に戻ろうと考えていたが、昼の弁当を買うため茉由がアルバイトしているいつものコンビニに寄った。
茉由がいれば今朝のことを詫びようと思っていたのだが、店内に彼女の姿はなかった。残念だったが弁当とお茶を買ってアパートに戻った。
第二章『車』 ー完ー
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