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【私の終活奮闘記-4】


 前回の「私の終活奮闘記-3」からずいぶん時間が経過してしまった。理由はいろいろあるのだが、書けば言い訳になるし、愚痴になるので止めておこう。


 経過報告だけさせて頂くと、エンディングノートは完成した。これからは内容に変更があった場合にノートも変更し、毎年年度末に次年度用を用意することとした。


 さて、「それでは今、なにをしているか?」だが、これはもうお察しの通り「身辺整理」である。


「断捨離」と同じように思われるかもしれないが、ちょっと違う。


 そもそも、「断捨離」は無駄なものや不用品を整理して、これから先を簡素な空間で生きるために行うものと私は理解している。つまり人生はまだまだ長いという前提がそこにはある。


 対して、私が今やっている「身辺整理」は最後が決まっている。決まっていると言っても、その日を特定できているということではないが、「それほど多くの時間は残っていない」ということが前提にある。


 つまり、やっていることに大差はないように思えるかもしれないが、前提条件がまったく違うのだ。なので考え方としては、「明日がその日になったとしても、大丈夫なようにしておきたい」という気持ちで整理している。


 具体的には、十年後位が目安だ。


 前にも書いたが、今の仕事はあと三年で終わらせる。なので仕事上必要な衣類や備品などは、三年後に不要品となることがもう決まっている。言い換えれば、「三年もてばいい」ということだ。そういう考え方で、十年後位を目安にすべて整理している。


 今回の「身辺整理」の目的は、「残った者たちが後始末に手間取らないようにしておきたい」というだけなのだ。



 私の母は昭和初期の生まれだ。姉を手こずらせながら、九十歳を過ぎた今もなんとか頑張って生きている。


 この母が「捨てられない人」なのだ。「何から何まで」という言葉があるが、この言葉通り実家にはものが溢れていた。と言っても、勘違いしないでほしい。ゴミ屋敷とは違い、ちゃんと整理はされていた。田舎の農家なので収納場所はたくさんある。たぶんこのたくさんある収納場所がいけなかったのだろうと今は思う。


 戦中、戦後の物がない時代に、親の苦労を見ながら多感な青春時代を生きてきた。工面を重ねて生きる知恵を学びながら育ち、その経験だけを頼りに、私たち姉弟を育てながら生きてきた人なのだ。不用品などという考え方は、脳みそに組み込まれていないのだろう。


 対する姉はというと、断捨離が服を着て歩いているような人のため、片っ端から片付けてしまう。この姉が実家に戻った当時、「片っ端から捨てられてしまう」と母が私に本当に寂しそうに愚痴っていたことを、昨日のことのように覚えている。


 実は私も、この母の息子らしく「捨てられない人」なのだ。母ほどひどくはないが、姉のようにはとてもできない。


「ねえさんの気持ちもわかるが、オレも捨てられない人だから、お袋の気持ちも理解できる。今はお袋の様子を見ながら、気づかれないように少しづつ処分しないか」などと、当時は姉を説得したものだった。


 そんな母も認知症が進み、今は何がどうということもなくなったのだが、物への執着は捨てきれないようだ。姉の方も、ある程度の片付けが進んだので満足したのか、母のものを処分する時は相談しながら納得させて処分するようになっている。


 そんな昨今なのだが、時折母が「あれもこれも捨てられて……」と愚痴をこぼし、「かあさんが逝った後の始末が大変だ」と、姉は私に愚痴る。



 少し話が横道にそれてしまったので、私のことに戻そう。


 そんな捨てられない人の私だが、実は数年前に今の住居に引っ越したばかりなのだ。ちょうどいい機会だからと、その時にかなり多くの不用品を処分した。ずいぶん身軽になったと、当時は自画自賛していたものだった。


 その当時からまだ数年しか経っていない現在、私的には不用品と呼べるものなどほとんどないのだ。また三年後に引っ越すことも決めているのだから、買い足したものといえば消耗品程度しかない。


 この状態から、今回の身辺整理を始めたわけである。これはなかなか進まないということは理解頂けるのではないだろうか。


 それに加え、私は「捨てられない母親」に育てられた「捨てられない息子」なのである。どうひいき目でみても、「きれいサッパリ」という具合にはならない。せいぜい収納場所が変わった程度なのだった。


 それでも、使い物にならないパソコンやタブレットは、無料回収業者に引き取ってもらい、まだ使えそうな周辺機器などは、フリマアプリに流した。一か月様子を見て、売れないようなら処分しようと考えている。


 その結果、最終的にゴミとして処分すると決めたものは、普段使っているごみ袋(中)一枚で充分間に合ってしまった。


 勢い勇んで始めたはいいが、この体たらくである。自分で自分に嫌気が差してきた。だが、「このままで終わりというわけにもいくまい」という気持も少しは残っている。


「過去一年間を振り返り、一度も使わなかったものは不用品だ」という誰かの言葉を思い出し、「こういう考え方でもう一度やり直すか?」と自分に問うてみたのだが、一度萎えてしまった気持ちはそう簡単に元に戻ってはくれない。


 逃げに走っているようにも思えるのだが、ここで一旦終わりとし、「もう一度やろう」という気力が満ちてきたときに再度挑戦しようと決め、今回は潔く身辺整理から身を引いたのだった。





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