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【道行き5-3】

【第五章『事件』-3】

集団暴行事件しゅうだんぼうこうじけんに巻き込まれた隆夫たかお茉由まゆは、通報で駆け付けた田澤たざわ刑事らに助けられ、病院に救急搬送された。病院のベッドで目を覚ました茉由のところに、その田澤刑事が来ていた。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「ま、我々はそれが仕事です。ところで事件のことですけどね、お話できますか?」

「ごめんなさい、まだちょっと頭が混乱してて……」

「そうですか…… では、もう少し落ち着いた頃にまたうかがいます」

 茉由にそう言うと、「後を頼む」と田澤は婦人警官に言った。

「あのぉ…… 隆夫は……」

 出入口に向かった田澤を、ベッドから茉由が呼び止める。

「ん、隆夫ですか? 奴は大丈夫ですよ、あのくらいでくたばるたまじゃない。今はウンウン言ってますが、明日になれば話もできるでしょう」

「わかりました……」

 茉由が聞きたかったことは、隆夫が最後に振り上げた鉄パイプのその後だった。

「もし、夢で見た光景こうけいが事実だったら……」

 茉由が恐れていたのはそのことだけだったが、田澤の口振くちぶりからそんな緊張感きんちょうかん微塵みじんも伝わってこなかった。極度きょくどの緊張が少しだけほぐれ、睡魔すいまに身を任せるように茉由は目を閉じた。

「なぜあの刑事さんは、隆夫のことを呼び捨てにしていたのだろう?」

 目を閉じながら茉由は、まるで隆夫のことを以前から知っているかのように話していた田澤の口調に、少し違和感を感じていた。


 八雲やぐもは夢にうなされていた。血走った目をした青年が、倒れた八雲に馬乗りになっている。手にはナイフが握られ、刃先はさきは八雲の心臓しんぞうを狙っていた。

「ぶっ殺してやる!」

 ナイフが振り下ろされる。スローモーションで刃先が近づいてくる。八雲は必死になって体を動かし刃先から逃げる。わずか十数センチほど体が右に動いた時、八雲の左手に激痛げきつうが走った。

 全身に流れるような汗をかいて八雲は目を覚ました。時間を確かめると、真夜中の午前二時を少し過ぎたところだ。スマホが着信を知らせている、八雲は頭を振ってスマホを手にした。

「もしもし……」

 相手を確かめもせずに八雲は電話を受ける。

しょうちゃんか、今どこにいる?」

 スマホから聞こえてきたのは、あまり夜中には聞きたくない男の声だった。そう、八雲昌夫やぐも まさおのことを「しょうちゃん」と呼ぶ男は一人しかいない。

「田澤さんですか…… 勘弁してくださいよ、こんな夜中に……」

「ちょっとまずいことになった。こっち来れないか?」

「どうしたんですか、いったい」

「隆夫が……」

「隆夫が?」

 次の瞬間、八雲は飛び起きた。

「どうしたんですか? 隆夫が何か!」

「落ち着け、奴が何かやらかした訳じゃない。ちょっとした事件の当事者になったってことだ」

「事件って?」

「それも、この前コンビニにいた店員のお嬢さんも一緒だったんだ」

「コンビニ? もしかして下月しもつきさんのことですか?」

「やはりお前の知り合いだったか。ま、そういうことだから、真夜中だったが連絡したってわけだ」

「彼女は、下月さんは大丈夫なんですか! 怪我はしていないですか!」

「安心しろ、あのお嬢さんは大丈夫だ。おい、やけにあのお嬢さんのことが気になるようだが、どんな関係だ?」 

「いや、そんなわけでは…… わかりました、これからすぐ帰ります。明日の朝、そっちに顔出します」

「ん? 帰るって、昌ちゃん今どこにいるんだよ」

鶴岡つるおかです」

「あぁ? なんでまた、そんなとこにいるんだ?」

「休暇中ですよ、旅に出てました。と言っても昨日からですけどね」

「そうだったか…… じゃ、無理すんなよ」

「いいや、すぐ帰ります。その話を聞かされたら、のんびり旅なんてできませんよ」

「あのお嬢さんのことが心配でしかたないか。わかった、待ってる。気をつけてな」

「いや、そうじゃなくて…… はい、では明日の朝。あ、田澤さん、連絡ありがとうございました」

「あぁ…… じゃ明日」

 八雲は仮眠中のフロントを起こして事情を説明し、チェックアウトした。

「実は、弟が事件に巻き込まれたようなのです。今、警察から連絡があって至急戻ることになってしまって……」

「それは大変なことですね。わかりました、すぐ精算しますからお待ちください」

「お手数をかけて、申し訳ありません」

「いえいえ、そんなことより、気をつけてお帰りください」

「ありがとうございます」

 そんなやり取りがあって旅館を出た八雲は、仙台に向かって山形道を走る。

「仙台までは後二時間くらいか……」

小雨が路面を濡らしていた。

 夜が明けて、病室の中は薄いオレンジ色に染まっている。茉由が目を覚ますと、ベッドの横でパイプ椅子に座ったまま、父親ののぼるが眠っている。左手の点滴は、眠っている間に外されたようだ。

 体が自由になった茉由は、昇が目を覚まさないようにそっとベッドを抜け出した。窓に近づきカーテンをめくって外を見ると、朝日が東の空をダイダイ色に染めている。

「誰がどんな状況になっても、当たり前のように朝がきて、一日がまた始まるんだね」

 そんなことを小さな声でつぶやいて窓から外を見ていると、肩に柔らかな重みを感じた。

「風邪をひくぞ」

 いつの間にか目を覚ました昇が、茉由の肩にカーディガンを掛けながら言う。

「ありがとう、お父さん」

「まだ見ているのか?」

「ううん、少し寒くなったから、ベッドに戻るわ」

「その方がいい」

 茉由がベッドに戻ると、昇はまたパイプ椅子に腰を落とした。

「お父さん、心配かけてごめんなさい」

 茉由が白い天井を見つめたままで言う。

「本当に心配したぞ。警察から連絡がきた時は、心臓が止まりそうだった」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい」

 上半身を起こした茉由の瞳から、大粒の涙が流れ落ちた。

「もういい、無事で本当によかった」

 上半身を起こして泣いている茉由を、昇がやさしく抱きしめた。

「隆夫くんに感謝しないとな。あんなにボロボロになりながら、お前を守ってくれたんだろう」

「うん」

 朝食を済ませると茉由は隆夫の病室に行ったが、まだ隆夫は眠ったままだった。隆夫の両親は、昨夜田澤から事件の連絡を受け病院に駆けつけた。それから母親は眠っていないようだったが、父親は廊下のベンチで仮眠している。

「お母さま、本当にごめんなさい。私が狙われたんです、それを隆夫くんが守ってくれて、こんなことになって……」

「そんなことはないでしょう。あなたをあんな危ないところに連れて行ったのはこの子のはずよ。そうでしょう?」

「……」

「あなたに危害が及ばなくて、本当によかったわ。そうでなかったら私たちは、亡くなったあなたのお母さまに申し訳なくて……」

「でも……」

「安心して、命に別状はないようよ。精密検査はこれからだけど、たぶん大丈夫でしょうって、お医者さんも言ってますから」

「本当に申し訳ありませんでした」

 それだけ伝えると茉由は病室に戻った。病室では昇が茉由の帰りを待っていた。

「疲れたろう、少し休むか?」

「うん、ちょっと横になりたい」

「わかった」


  第五章『事件』 ー完ー



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