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【道行き3-1】

【第三章 『写真』-1】

 茉由まゆに会いたいと思い八雲やぐもはいつものコンビニに立ち寄ったが、店内に茉由の姿はなかった。しかたなく八雲は弁当とお茶を買ってアパートに帰った。

 その時、茉由はコンビニにいなかったわけではなく、バックヤードで事務の仕事をしていた。その仕事でその日のバイトが終わった茉由は、またカップラーメンを食べてから帰った。

 原チャにまたがり走り出すと、いつものように大道りは走らず路地に入る。二段階右折など規制が多い大道りが茉由は嫌いなのだ。

 路地の奥には数件のアパートが建っている。その中の古いアパートの駐車場に見知った車が駐車していた。八雲が隆夫たかおから借りた例の車がそこに停まっていたのだ。明るいシルバーメタリックに再塗装された車は、陽の光を浴びてキラキラと光っている。

「立ち姿か…… そんなふうに車を見たことなかったなぁ」

 車の隣に原チャを停めると、じっと見つめながら茉由は話しかけた。

「お前はキレイだなぁ……」

 アパートの二階のドアが開き、八雲が外に出たのはその時だった。

「あれ、下月しもつきさん」

 二階の渡り廊下から八雲が声を掛ける。ドアの開く音を聞き「まさか?」とその開くドアを見ていた茉由は、八雲と見つめ合うような格好になった。

「ここにお住まいだったのですね、車があったので……」

 ばつが悪そうに茉由は答える。

「ちょっと待っててください、今行きます」

 そう言うと、八雲は階段を走ってりてきた。

「危ないですよ、走らないで!」

 という茉由の声と同時に、八雲は階段をくだった先で何かにつまずき、ころがるように転んだ。

「なんてドジな人なの! こんな人見たことない」

 そう思いながらも茉由は八雲に駆け寄る。

「大丈夫、ケガしてないですか?」

 そう聞く茉由に、りむいた手のひらを見ながら八雲は答えた。

「大丈夫、平気です」

「消毒した方がいいです。お部屋にありますか、消毒液?」

 血がにじみ出た八雲の手のひらを見ながら茉由が聞く。

「いや…… それが……」

 はっきりしない曖昧あいまいな八雲の返事にイラつきながら茉由が言った。

「車のカギは?」

「えぇ…… と」

 バッグのポケットを八雲が探る。

「ありました、これ」

「あるのが当たり前でしょ!」

 ぶつぶつ言いながら、茉由はロックを外して運転席に座った。

「乗って! 早く」

「どこに行くのですか?」

 ポカンと立ったまま八雲は茉由に聞く。車に乗る気配はない。

「お店です、消毒します」

「でも……」

「バイ菌入ったら大変でしょ、早くして」

「でも…… 部屋が……」

「どうしたんですか、忘れ物なの?」

「忘れ物というか……」

「はっきりして、忘れ物したの?」

「まだカギ閉めてません」

 ガクンと茉由はハンドルに頭をつけた。

「わかったわ、カギ閉めてきて」

「はい!」

 八雲は階段を走ってのぼり、また転びそうになった。

「危ない!」

 そう車から叫んだ茉由に、なんとか体勢たいせいを直した八雲が指でVサインを作って見せる。

「何してるんだろう、私」

 そんなことをつぶやいて、なんだかひどく疲れたようにシートに体を預ける。後部座席を占領する大きなバッグが二つ、茉由の視界に入った。

 コンビニに着くと「奥、ちょっと借りるよ」とアルバイトの青年に声を掛け、茉由は八雲の手を引く。

「すみません」と店員に頭を下げて、八雲は茉由に従った。

 茉由は八雲の手のひらの血と汚れを水道水で洗い流し、ティッシュで軽く水気を取ってから消毒液を流してき取る。八雲は茉由のされるがままだったが、終始しゅうし「痛い! 痛い!」と声に出して訴える。その都度つど「我慢しなさい、これくらい」と、子どもでも叱るような口調で茉由に叱られ続けた。

 消毒が終わると「ちょっと待ってて」と言い、店の陳列棚から大きなサイズの絆創膏ばんそうこうを持ってくる。封を開けると一枚取り出して傷口に貼った。

手のひらの処置を終らせると「他にはどこも怪我してない? 痛いところは?」と茉由が聞く。

「もう大丈夫です、ありがとうございました」

 まるで小さな子どもに話すような茉由の口調などまったく気にする素振りもなく、八雲は丁寧に頭を下げた。

「肩に土が……」

 椅子に座っている八雲を、立ったままの茉由が見下みおろして言った。その肩に茉由がさわると「痛い!」と八雲が言う。

「ここもね、ちょっと脱いで」

「脱いで、って」

「脱がないと、わかんないでしょ」

「でも……」

「早くして!」

 言われるまま八雲はジャンバーとシャツを脱ぎ、Tシャツだけになった。

「もう!」

 そう言うと茉由はキズを確認するため、八雲の正面に立ってTシャツをまくげる。茉由のバストが八雲の鼻先にかすかにれ、コロンの香りが八雲を包み込んだ。

 コンコンというノックの音がしたのはその時だった。ほぼ同時に、バックヤードの扉が開く。ドアを開けたのはアルバイトの後藤ごとうだったが、その後藤にこの二人の姿はどのように映ったのだろう? たぶん、茉由が八雲の顔を胸に抱きしめているように見えたはずだ。

「あ、失礼しました」

 後藤はすぐうしろを向き、バックヤードを出ていく。

「あ、ちょっと後藤くん」

 あわてて茉由は後藤を呼び止めたが、もはや後の祭りだ。

「あぁ…… 誤解されましたね、これは…… あはは」

「あはは、って、何が可笑しいの。あなたがあんなところで転ぶから、こんなことになったんでしょ!」

 茉由に朝の苛立いらだちがぶり返してくる。

「すみません……」

 八雲はあやまったが、茉由の苛立ちは治まらない。

「もう、それも自分で脱いで!」

「やれやれ、とんだことになった」独り言を呟きながらTシャツを脱いだ八雲は、上半身裸という姿を茉由にさらすことになった。

「よかった、こっちはちょっと赤くなっているだけだわ。軽い打ち身みたいね」

「だから言ったのに、大丈夫だって」

「見ないとわかんないでしょ、そんなの!」

 八雲の意見は、すぐさま茉由に打ち消される。

 上半身だけだったが、久しぶりに見る男の裸だった。茉由はなぜか恥ずかしくなって、頬を少し赤くしながら言う。

「服を着てよ、早く! いつまで裸でいるつもりなの!」

「だって、下月さんが怒るから……」

「本当にもう、私はこれ精算してくるから」

 そう言うと、茉由は絆創膏の箱を持ってバックヤードを出ていった。

  ーー続くーー



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