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【道行き5-1】

【第五章『事件』-1】

 休暇を作り「夕陽を撮影する旅」に出た八雲やぐもだったが、初日から夕陽は雲に隠れていた。朝早くから動き回っていた八雲は体力温存を優先させ、早々はやばやと布団に入った。

 さて、仙台の茉由まゆは何をしているのだろう。

 昼休みの時間を狙って、茉由は隆夫たかおに電話した。

「今夜、会えない?」と聞くと、「残業で遅くなる」という返事が返ってくる。

「急ぎの用事か?」と重ねて聞かれ、「急ぎじゃないけど…… いい、また今度ね」と、つとめて明るい口調で答え、茉由は電話を切った。

 茉由は八雲のことが気になってしかたなかった。「今どこにいるの? 何をしているの?」できるなら、八雲の後を追いかけたいとさえ思い始めている。この衝動をどう処理すればいいのかまったくわからないまま、時間だけが過ぎていた。

「連絡先くらい教えないかな~ これだから、中年はダメなんだ」

 誰に文句を言っているのか想像はつく。だが、それよりも隆夫の声が普段より暗く、素っ気ないものだったことに茉由は気づくべきだった。八雲のことで頭がいっぱいになっていた茉由に、それを望むのは無理かもしれないが……

 隆夫から連絡があったのは夜の八時を過ぎてからだった。

「今終わった、これからでもいいか?」

「私はいいけど、なんだか隆夫疲れているみたいよ、大丈夫なの?」

「大丈夫だ。で、どうする?」

「じゃ、いつものファミレスで」

「二十分後くらいでいいか?」

「うん、わかった」


 二人はボックス席に向かい合って座っている。

「会話が続かない…… なぜ?」

 茉由はそんなことを考えていた。隆夫は不機嫌そうにコーヒーを飲んでいる。話をしていても、あまり茉由を見ない。

「急に呼び出したからかなぁ……」

 茉由が思い当たるふしを考えていたからだろう、二人の会話はますます少なくなっていく。

 そもそも、今日茉由が隆夫に会いたかった理由は、八雲の連絡先を聞きたかったからだ。しかし、なぜか隆夫にその話ができないまま、時間だけが過ぎている。

「ねぇ…… 私、何かした?」

「なんでだ」

「だって……」

「ちょっと付き合え」

「どこに行くの?」

「いいから、こい!」

 今夜の隆夫には、逆らえないすごみがあった。

 高校の頃からたちの悪い先輩と付き合い始めた隆夫は、ちょっと手がつけられない不良になっていった。誰の言うことも聞かず、一方的に繰り返される家庭内暴力に両親はほとほと困っていた。母親は心労しんろうが原因で入院し、父親も発狂しそうになってしまった。

 そんな隆夫は高校三年の時、退学処分を受ける。進路指導の先生に暴行ぼうこうしたことが直接の原因だったが、普段の学習態度や素行そこうの悪さが、退学という決定に大きく影響を及ぼした。その先生にも落ち度があったため、学校側は警察への通報はせず、隆夫を退学処分、先生は停職ていしょくという両成敗りょうせいばいをしてことをおさめた。校長の友人に国会議員がいたため、マスコミも押さえ込んでこの事件は闇のなかに消えた。

 しかし当時の在校生とその親は、みんなこの事件を知っていた。もちろん、茉由もその一人だったことは言うまでもない。

 このことがきっかけとなって父親からは勘当かんどうされ、自分の居場所を失った隆夫がその後、どこでどんな暮らしをしていたのか誰も知らない。だが、二十一歳になった隆夫は突然実家に戻ってきて、父親の会社に中途採用という形で就職した。もちろん、一般人として採用試験を受けてである。当時の隆夫に何があったのかは誰も語らない。だが、隆夫がこの時「傷害しょうがい前科一犯ぜんかいっぱん」であり、執行猶予中しっこうゆうよちゅうであったことは誰もが知っていた。

 今現在も隆夫は、心を入れ替えたように黙々もくもくと仕事をしている。幼なじみの茉由は、そんな隆夫に当時から分け隔わけへだてなく接していた、数少ない同級生の一人だった。

 しかし、今日は違っていた。まるで昔に戻ったような隆夫に、茉由は黙ってついて行くしかなかった。隆夫の車は、産業道路さんぎょうどうろ疾走しっそう仙台港せんだいこうに入った。この場所は、一時期暴走族のたまり場になってしまい、事故やトラブルが多発していた。そのため、今では港湾こうわん関係者以外の夜間の進入は禁止されている。見つかれば、当然取り締まりの対象だ。

「ねぇ隆夫、どうしたの? 今日の隆夫怖いよ」

「茉由、昨日昌夫まさおさんと、どこに行ってたんだ!」

「どこって、何のこと」

「ちゃんと知ってるんだぞ、オレは!」

「だから、何の話をしているの! それに、私が誰とどこに行こうと私の勝手でしょ」

 そう言った瞬間、茉由の首から上が自分の意思とは別な動きをして、ほほが燃えるように熱くなった。

たれた、なぜ?」

 その瞬間、茉由の思考は停止した。

「打たれた、なぜ? 誰に? 誰が? 私が?……」

「答えろ! 昌夫さんと、どこで何をしていた」

 その時、数人の男たちの足音が二人に近づいてきた。

「あらら、女性に手を出したらダメよ、お兄さん」

「誰だ、お前ら」

 五・六人はいただろう。薄暗い埠頭ふとうに気味の悪い影がらめいている。

「お前らに関係ねぇ、どっか行け」

「あら、ずいぶん強気ね! 一人でオレら全員とやる気?」

「やめとけ、やめとけ。黙って女渡せば、お前は返してやるよ」

二十歳はたち前後くらいか…… 五人は間違いなくいる。やっかいなことになった」そう考えながら隆夫は暗闇くらやみの中を見据みすえ、なにか武器になるものを探したが、なにも見つからなかった。

痴話喧嘩ちわげんかしてたんでしょう。だったら後は私らが面倒見てあげるって。打ったりしないよ、いい思いさせてやるからこっちきな」

 闇の中から男の手が伸びて茉由のうでつかんだ。

「キャー!」

 一瞬の出来事に驚いた茉由が悲鳴ひめいを上げると同時に、隆夫の手刀しゅとうがその男の腕をたたく。

「グッ」

 こもったような男の声がして、茉由の腕から男の手が外れた。

「ヤるのね! ヤるんだってよ」

「走れ、車で逃げろ! 早く!」

 隆夫にそう言われ、車まで走ろうとした茉由の前方を、両手を広げた男がふさいだ。

「慣れてやがる。それに統制とうせいも取れてる」男たちの動きに、隆夫は背筋せすじがゾッとしてきた。

「茉由、すきを作るからオレにかまわず全力で逃げろ!」

 隆夫が怒鳴どなりながら、車の方向を塞いだ男に体当たりをする。

「今だ!」

 一瞬隙が見え走り出そうとした茉由を、別の男が後ろから捕まえる。

 五対一ではさすがに分が悪い。隆夫は直ぐに捕まり袋だだきになった。男たちの不気味な笑い声と容赦ようしゃなく隆夫を痛めつけるこぶしの音にじって、隆夫のうめき声が聞こえる。やがて隆夫は立っていることさえできず、コンクリートの上に転がってしまう。

 男たちは容赦なく隆夫をり始める。何度も、何度も、血だらけになってうずくまっている隆夫に、笑いながら蹴りを入れる男たち。ここまでやられても、隆夫は一切手出しせずに耐えていた。

 茉由は何もできず、ただ涙だけが止まることなく流れていた。

「隆夫!」

 茉由の隆夫を呼ぶ悲鳴のような叫び声さけびごえに、一瞬男たちの手が止まった。

「隆夫? まさか隆夫って……」リーダー格と思われる男が小さくつぶやいた。

 その時、薄目うすめを開けた隆夫の視界にバットのような鉄パイプが見えた。隆夫はそれをひろうとつえにして立ち上がる。

「キサマら! ぶっ殺してやる!」

 そう叫ぶと、隆夫は目の前の男に向かって鉄パイプを振り落とした。

「ダメ!」

 またもや茉由の悲鳴のような声が、埠頭に響き渡ひびきわたった。

  ーー続くーー



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