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【おさむくんとクロと サーカス 1】


 

 昭和三十年代後半の日本は、街や人が新しい姿に生まれ変わろうとしていました。東京オリンピックが開催されたこの時期に、新しい日本がその姿を見せはじめたのです。

 

 人々の生活も安定しはじめましたが、まだまだ娯楽が少なかった時代です。庶民の楽しみといえばテレビや映画、それから移動サーカスなどでした。

 

 当時の「日本仮設興行協同組合」には、サーカスが約二十団体所属していたようです。これはそんな移動サーカスのお話です。

 

 この街に移動サーカスがやってきたのは二年ぶりのことでした。

 

 座長はとても太っていてその上ケチだったため、団員たちからは「ブケッチー」と陰で呼ばれていました。

 

 子どもたちはみんな、このサーカスを見に行きたくてしかたありません。

 

 学校ではサーカスの話ばかりで、いち早く見に行った裕福な家庭の子はみんなヒーロー気取りです。

 

 休み時間になると空中ブランコや綱渡り、それに動物の芸など、見てきたばかりのサーカスの話をいつもしているのでした。

 

 そんな話を聞いているだけの子どもたちもいて「おさむ君」という男の子もその一人です。

 

 おさむ君の家はとても貧乏なので、サーカスに連れていってもらったことがありません。「いいな……」と思いながらいつも話を聞いているのでした。

 

 おさむ君のお父さんは小さな工場で働いていました。お母さんは近くの食堂で働いていました。

 

 そのため、おさむ君が学校から帰っても家には誰もいません。

 

「鍵っ子」と呼ばれたこんな子どもたちが、当時はたくさんいたのです。

 

 おさむ君は独りぼっちがつまらないので、いつも近くの公園で暗くなるまで遊んでいました。

 

 一緒に遊ぶ友だちはたくさんいましたが、夕方になると一人、二人と家に帰ってしまい、いつもおさむ君だけが残るのでした。

 

 その公園にはのら猫がたくさんいて「猫公園」と子どもたちは呼んでいました。

 

 おさむ君が一人になると、いつも黒猫がそばにやってきます。足が白い靴下を履いたように白くなっているので、すぐにその黒猫だとわかります。

 

 おさむ君はその猫を「クロ」と呼んでいて、暗くなるまで一緒に遊んでいました。

 

 クロは他の子どもたちには絶対近づきませんが、なぜかおさむ君が大好きで、おさむ君が一人になるのを待って一緒に遊ぶのでした。

 

 その日もいつものようにクロと遊んでからおさむ君が家に帰ると、まだ誰も帰っていませんでした。

 

 お腹がすいたおさむ君が一人でお留守番をしていると、お母さんが帰ってきました。

 

「ただいま、遅くなってごめんね、お腹すいたでしょう。すぐにごはん作るからね」

 

「ボクも手伝うよ」

 

「いつもありがとうね」

 

 お母さんが休む暇もなくエプロンをつけて夕ごはんを作り始めるので、おさむ君はいつもお手伝いをするのです。

 

 台所は狭く、お母さんは一人でごはんを作った方が楽なのですが、おさむ君のやさしさがうれしくて、いつも手伝ってもらうのです。

 

 夕ごはんができた頃に、お父さんが工場から帰ってきました。

 

 その日の夜のことです。おさむ君のお家ではとってもうれしい出来事がありました。

 

 なんと、お父さんがサーカスの入場券をもらってきたのです。

 

 お父さんが働いている工場では、サーカスに少しだけお金を協賛していて、そのお礼にサーカスから入場券をもらってきていました。

 

 社長さんは働いている人たちにも入場券をわけてあげましたが、みんなはいらないと言っていたので、お父さんがもらってきたのです。

 

 お父さんはごはんを食べながら、そんな話をお母さんとおさむ君にしました。そして次の日曜日には、みんなでサーカスを観に行くことになったのです。

 

 サーカスを観るのが初めてのおさむ君は大喜びで、その夜はなかなか眠れませんでした。

 

 次の日は朝早く目がさめたので、朝ごはんをいつもより早く食べて学校に行きました。

 

「ぼく、今度の日曜日にみんなでサーカスを観に行くんだ」

 

 おさむ君はうれしくて、うれしくて、教室で会った友だちみんなに話しました。

 

 おさむ君にはみんなに自慢できることがあまりありません。

 

 家も貧乏だし、みんなが欲しがるような文房具も持っていません。勉強も運動も苦手です。

 

 けれども、おさむ君はとてもやさしい子なのです。みんなが嫌だと思うことでも、あまり嫌がりません。

 

 掃除当番もすぐに代わってあげるし、クラスで飼っている「ウサギ」の世話もほとんどおさむ君一人でしていましたが、いつも楽しそうでした。

 

 そんなやさしいおさむ君はクラスの人気者なのですが、それが面白くない、いじめっ子のグループがいて、そのグループの一人が言いました。

 

「おい、おさむ、お前嘘ついてんじゃねえのか。貧乏なお前の家でサーカスにいける金なんてねえだろう」

 

「そんなことないよ、お父さんが社長さんからサーカスの入場券をもらってきたんだ。だから観にいけるんだ」

 

「嘘だ、嘘だ、そんな券あるなんて聞いたことねえぞ、嘘つきおさむだ、嘘つきおさむだ」と、いじめっ子たちは大きな声で言いました。

 

「そんなこと言うのよくないわ。やめなさい」

 

 教室の入り口から女の子の声が聞こえました。

 

「あ、いい子のゆみがきた、逃げろ」

 

 学級委員のゆみちゃんに叱られて、いじめっ子たちは教室の外に逃げだしました。

 

「おさむ君、今度の日曜日に行くんだったら私と一緒だね。サーカスで会えるといいね」

 

「ゆみちゃんも日曜日に行くの、それじゃ一緒に観れるといいね」

 

 ゆみちゃんも同じ日曜日にサーカスに行くことがわかり、おさむ君はとても嬉しくなりました。

 

 おさむ君はその日も公園で夕方まで遊んでいました。

 

 いつものように一人になるとクロがやってきたので、クロにもサーカスの話をしました。クロはニコニコしておさむ君の話を聞いていました。

 

     …つづく…

 
Facebook公開日 2/18 2019


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