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「すべてが苦手」という伸びしろ


 学童期、私はなにも得意なものがない子供だった。
「天は二物を与えず」という諺があるが、それどころかひとつも無かった。とりあえず5教科はすべて苦手。走らせればクラスで最下位。絵も描けず、楽器を演奏することもできない。歌も歌えない。昭和の辛口な成績表には、すべての教科に「2」がならび、人物評価も「積極性・責任感が足りず、引っ込み思案」というダメっぷりだった。友達もいなかった。
クラスメイト達は、苦手なことはあっても、それを補い、自分の立場を確保できるだけの特技を持っているように見えたし、実際そうだったと思う。
担任の先生からは「お伝えできる良い点が、さらさちゃんには見つからなくて」とまで言われていた。

 なぜ、すべてのことが苦手だったのか、今でもわからない。真面目な性格だったので、それなりに努力も重ねていたが、それが成果として現れる日は、小学校時代は来なかった。

 両親は取り柄がない娘を叱りはしなかったが、ちょっと残念に思っている気持ちは伝わってきた。私のきょうだいは私とは正反対で、何でも機能が備わったパソコンのように、あらゆることがよく出来た。明るく、愛嬌があり、友達も多かった。あの初期設定の違いは何だったのだろう。

そのような中、わたしが子どもなりに考えていたのは、
「どうすれば出来るようになるのか」ということだった。
例えば、どうすれば速く走れるようになるのか。
どうすれば算数で高得点を取れるようになるのか。
どうすれば笛が吹けるようになるのか。
どうすればあのクラスメイトのように人気者になれるのか。

なにか良いやり方があるはずだ。それを見つけるしかない。

やり方を探し続けて特に芽が出ないまま中学生になった私に、思いもよらない転機が訪れた。
「中1の初めての英語のテストで満点を取った」ことである。実は、これには英語の先生の作戦があった。当時、初めて触れる外国語ということで、ほぼ全員が満点を取れるテストを作ってくれたのだ。みんなもやる気が出て授業も盛り上がる事必至である。
しかし、単純な私は、「これって、初めての特意科目じゃない?!」と舞い上がった。さらに、もっと得意になりたいからと自ら塾に通うことにした。
数学の成績が大変悪いということで、塾の先生から数学コースも勧められた。一教科・一ヶ月あたり5000円で、2教科で10000円。「月謝なら何とかするから」と両親が数学込みで通わせてくれることになった。

その塾のおかげで英語は得意教科となり、ずっと最低評価をキープしていた数学も普通になり、最終的には戦力科目になった。このあたりから、私は速く走れるようになり、絵が描けるようになり、あんなに苦手だった人間関係の構築が出来るようになった。あちこちに散らかっていた「やり方」の断片が回路のようにつながったのかもしれない。それ以降は、「私はすべてのことが苦手である」を出発点に、なんでも調べ、分からない事は人に聞き、自分のためのマニュアルを作りながら仕事や人間関係をさばいてきた。「たいしてやらなくても出来る人」というのは本当にいて、若い頃は自分がとても野暮ったく思えた。
今でも、感覚で勘よくやれている人を見ると羨ましくなるが、今世の私が授からなかったものを嘆いても仕方ない。

私の子供たちは、昔の私より色々なものを持っているようだが、他の子に比べて出来ないことがあって悩んでいることもある。しかし、本人があきらめずにやり方をみつけたら「出来ないを出来る」に変えることは可能なのだ。私はその手助けに力を注いでいる。

私は、自分は取り柄を授からなかったと長いこと思ってきた。
でも今は、「苦手なことが多い」という名の計り知れない伸びしろを貰ったのだと思っている。

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