読書感想文「ノルウェイの森」
あまりにも有名な作品ですが、久しぶりに読んだので感想を書きます。
直子はワタナベのこと好きだったよね
『そして直子に関する記憶が僕の中で薄らいでいけばいくほど、僕はより深く彼女を理解することができるようになったと思う。何故彼女が僕に向かって「私を忘れないで」と頼んだのか、その理由も今の僕にはわかる。もちろん直子は知っていたのだ。僕の中で彼女に関する記憶がいつか薄らいでいくであろうということを。だからこそ彼女は僕に向かって訴えかけねばならなかったのだ。「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在したことを覚えていて」と。
そう考えると僕はたまらなく哀しい。何故なら直子は僕のことを愛してさえいなかったからだ。』
「忘れないで。覚えていて」という言葉は重い。相思相愛を自覚していればこんなことは相手の首に縄をかけるようで言えないだろう。これは直子が、ワタナベとの関係に自信を持てないでいるのではないかと思った。
同時に、直子はワタナベに「またセックスできるようになるまで待てる?」とも尋ねる。相手がワタナベだったことは必然だったとも言う。
これはどちらも1回目の京都でなされた会話で、直子の、ワタナベへの期待ととまどいによる揺らぎだと感じた。
前述の「忘れないで」に対してはワタナベは「忘れらるわけないよ」、「待てる?」に対しては「待てる」と答える。直子の「忘れないで」という言葉は関係性の継続を否定しているように聞こえる。これに対する「忘れられるわけないよ」はそれを肯定しているようにもとれるし、直子の状態と療養所にいることを考えると「死ぬけど忘れないで」という意味でもおかしくない。自殺した姉のことを話し自分の問題は根深いのだと言う直子と、死者のことを忘れれば元通り元気になると言うワタナベ、二人の嚙み合わなさは随所に見られその後も増えていく。そしてワタナベは直子に「ここを出たら一緒に暮らそう」とまで言いながら、帰京後、直子へ緑のことや緑の父の病院へ見舞ったことまで手紙に書く。
直子はワタナベの変化に気付き、身を引いたのではないだろうか。
自分の気持ちも他人の気持ちもよくわからないワタナベ。
でもまだ20歳前後なんだよなあ、と思ったりもするけれど、キズキの死に深く傷付いたワタナベは
『東京について寮に入り新しい生活を始めたとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆる物事を真剣に考えすぎないようにすること、あらゆる物事と自分のあいだにしかるべき距離を置くこと―――それだけだった。』
誰にも何事にも深入りせず、させず、鈍感になっていたのだろうが、排除したつもりの感覚や感情が周りにどんどん溜まっていき、溺れそうになっていた。それを救ってくれたのが緑だった。
キズキの死によって負った傷を慰め合うことは、ワタナベと直子に絶対必要で、二人の間でしかできないのになされなかった。ワタナベはだんだんと直子を重荷に感じるようになり、緑の存在が大きくなっていることに気付く。緑は明るく気丈で、生と死の境目をはっきりと感じさせる存在である。
そして緑に電話をかける。
「忘れないで」と「忘れないわよ」
直子は「忘れないで」とワタナベに言った。それは「あなたは生きて私のことを覚えていて」という意味で、「一緒に生きて」ではなかった。
レイコは「忘れないわよ」とワタナベに言った。「私は生きるよ」という宣言だといいなと思う。
『死は生の対極としてではなく、その一部として存在している』
死という現象の解釈をしたところで近しい人間を亡くした悲しみや後悔を癒すのには何の役にも立たない。防げない死だったかもしれない。それでも自殺という事実はその人との記憶にまた別の意味を与えてしまう。残された者はその意味を考え続けるしか繋がる手段がない。
いまいち理解できなかったこと
ところで私はこの小説における性表現の意味がよくわからなくて、セックスは儀式的に捉えることもできるのだけど、いちいち下ネタ入れてくるのとか、女性に手でやってもらうのとか、自慰行為とか、これはなんですか?
ワタナベと緑が出会って少し経った頃、緑の卒業した高校の前でワタナベの寮の話になり、緑がワタナベにマスターベーションをするのかと尋ねると、『女の子に生理があるのと同じように、男はマスターベーションやるんだ』とワタナベが答える。いやいや、一緒じゃないと思うけどなあ。生理で性欲は解消されないし。
ワタナベと直子の考えるセックスにも解釈の違いがあったような気がするし、テレビで男性自身が「10代の頃は下半身に支配されていた」というような表現をするのを聞いたことがあるので、その切実さは私が女だからわからないのかもしれない。
また別のシーンで、レイコがワタナベとのセックスの後に『私もう一生これやんなくていいわよね?』『ねえ、そう言ってよ、お願い。残りの人生のぶんはもう全部やっちゃったから安心しなさいって』と言う。セックスを葬儀的な儀式だと思えば意味は通じる。ワタナベがただ寂しくて行きずりの女の子と体を重ねるシーンもあるので、それだけの意味しかないこともあるのだろう。
身体性を加えることで、親密な二人の間にさらに特別な何かが共有されるとかそういうことのために性表現が強調されるんだろうか。
感想
心の揺らぎやなんだかうまくいかない関係性、言葉にならない感情、人物描写などは非常に緻密で、描写の豊かさも併せてすごいな、見事だなと思った半面、私にはその緻密さが非常に理詰めに感じられて読んでいて疲れた。
それでも5回の引っ越しを経て手元に残っていた本なので、またいつか読むと思う。
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