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【短編】砂浜の狂女

二〇二六 夏

何のために、ものを言い、なぜ訊くのだろう
——立原道造「夏の旅」


 その家にはもう誰も住んでいなかった。水道も電気も止められた家の中を、ただわたしだけが、ひとり彷徨っていた。わたしの足元は、数年前、祖母がそこで死んだという寝室の前で止まった。洗い立てのシーツを被された白いベッドが、戸口の右壁にそって据えられていた——きっとこのシーツも真っ赤に染まっていたに違いない、『それがシーツの役割なのだから』——と、わたしは瞬時に想像した。部屋の奥に、いくつかの本が縦に並んだ小さなキャビネットがあり、銀縁の鏡と化粧道具がその上にあった。生前、ほとんど化粧をせず、本も一切読まなかった祖母の姿のうちに、このとき、別の女性の面影が静かに混ざり合い、わたしのうちで奇妙な複合体を形成し始めた。それからわたしは、戸口に立ったまま、ペルシャ絨毯の上で陰影ゆたかに揺れるカーテンと円卓の戯れを、暫しのあいだ、しずかに目で追っていた。円卓の丸い輪郭は、はためくカーテンの影に侵食されたり、再び形を整えたりした。すべては風の気まぐれだった。そうして気づくと西陽が差し、物たちの影が長くなっていく。わたしは、犬がよくやるように、いちばん明るく暖かいところに寝そべりに行こうと思い立ち、一歩踏み出した。が、そのとき冷たい何かが首に触れ、振り向くと同時に目を覚ました。
 ——なんのことはない、かおりの腕が当たっただけだった。
 胸の動悸が徐々に奥へ退いていくと、わたしは体を捻って目覚まし時計を確認した。カーテンを透かして漏れる青白い光を反射して、デジタルの画面が五時ちょうどを打っていた。それからわたしは元の姿勢に戻り、体を彼女の方に向けて、目の前で呼吸する顔をまじまじと眺めた。かすかな乳液の匂いが香ってきた。緩んでわずかに開いた口元を、空気は掠れた音のうちに出入りしていた。時折、開いた窓から、カラスやヒワの鳴き声が聞こえ、道路を走る車のエンジン音がそれに覆い被った。
 就寝前の世界が着々と形を整えていくのが分かった。が、わたしは同時にその中から、隠微な不安の色調が滲み出して来ることを感じ取らないわけにはいかなった。明け方の静寂に沈んで、思いつくままに過去へ糸をたぐると、不覚にもある固い物体に衝突したのである。
「でも、忘れられた女は……思い出されたとき……いちばん求められるんじゃないかしら」
わたしは再び彼女の方を振り返った。昨夜、薄灯りのもとで漏らした彼女の言葉が、このときはじめて新鮮で充実した意味を持って蘇ってきた。そうだ、一度眠りの世界へ落ちてしまうと、わたしは二度と同じ人間として目覚めない。眠りの中で、お互い別々のところに赴いたという確かな経験が、目の前の彼女と、わたしとを、少しずつ遠ざけてしまう。彼女が、私の蔵書から持ち出したマリー・ローランサンの詩を読んで、ベッドの上で誰に向かうわけでもなくポツリと呟いた言葉も、それぞれが夢の中に持ち込んで、別々の記憶と共に結び付けられる。分かち合った一つの出来事は一夜にして分裂し、出自を変える。突然、わたしは居心地悪く感じ始めた。「忘れられた女」という単語が、わたしに別の女の匂いを想像させた。わたしはそれを上手に思い出すことができるだろうか?
 ——それは確か、本州からやってくる従兄弟を待つ、夏のわずかなひとときだった。当時小学生だったわたしと姉は、毎年夏になると母の実家に遊びに行った。家から片道一時間ほどを要し、その道はほとんど農地の中を走っている。わたしたちは行きの車内で、夏の作物たちが、紺青に浮かぶ太陽の下で鮮やかに喜ぶさま——小麦が金粉をはためかせ、蕎麦の白い花は緑の中で涼やかに休らい、小豆の黄色い花は子供に官能の歓びを伝えた——をながめ、これから来る夏の祝祭に、無意識のうちに胸の鼓動を早めていた。着くと、祖父母が勝手口の傍のベンチでわたしたちを待っている。祖父はタバコを燻らせ(いつも咳をしていた)、祖母はその側で向かいの花壇を見守っていた。背筋を張り、やや俯いたその様子は、何とも形容しがたく、というのも、祖母の花々を見つめる視線には、こどものわたしにとってはどこか真面目すぎるものが含まれていたのである。
 わたしたちはその日一泊することとなっていた。昼食を食べると、近くの公園に行って日が暮れるまで遊び、帰ってきて晩ご飯を食べる。夕食はきまって近くの肉屋のすき焼きだった。そのあとは、トランプや将棋や囲碁をして過ごし、お風呂に入って、仏間で弥勒菩薩に見守られながら就寝する。大体の過ごし方は決まっていた。
 父や母が買い物か何かに出かけ、祖父も畑仕事などで家の中にいない日中など、祖母はわたしたち姉弟に色々な話を聞かせてくれた。記憶のうちで豊かな色彩をもって思い起こされる祖母の姿は、いつもこのときのものだった。わたしたちは、食堂の奥の寝室で、ガラスの円卓上のおかしやジュースを飲みながら、長い間祖母の話に耳を傾けた。じりじりと日の照るなか、祖母は低く、鼻の詰まったようなしゃがれ声を出した——それはどちからというえば人間よりも蝉の鳴き声に近かった。近くの国道でトラックに潰されて死んだ親子の話、車の窓ガラスに腕を挟めて手術した男の話、戦時中、炉の上で髪をすいて、櫛から落ちてくるシラミの卵がパチパチと爆ぜるのを楽しんだ話。当時のわたしにとって、祖母の語りは絵本で聞くおとぎ話よりも世界の秘密で満ちていた。それは面白いという感情とも、退屈という感情とも無縁ではあった。しかし戦争の話はただ未知ということで——そう、絶対的な未知ということで、わたしを惹きつけた。そしてそこに働いた因果を分析するならば、のちにわたしを「性」に惹きつけたものと何ら変わらないといっておそらく間違いでない。
 歳を経て、忘却を免れたものたちは、いつのまにかわたしの中で不思議な重み——それはほとんどが「反戦」という確固とした形をとったのだが——を獲得していった。次第に疎遠になっていったとはいえ、中学生になってからも、そして高校になってからも祖母の話を聞く機会があった。しかしもうそれも不可能になった。今、脳裏に浮かぶ、寝室の椅子に座ったわたしの目元には、花壇を見つめる祖母と同じ真剣さが宿っている。が、わたしは途端に恥ずかしくなって想像するのをやめる。幼年時代に吹き込まれ、その後時間をかけて涵養された「反戦」という理念は、生きた眼差しの前で化石になった。愛に見放された若者は、戦場を、言葉の最も純粋な意味で「すべて」を解決する聖域としてイメージする・・・・
 ——しかしわたしはそこまで考えると眠ってしまった。


 結局わたしたちが起きたのは十時ごろだった。
 その一日は、避けがたい喧嘩から始まった。
 朝食のとき、薫は、今日は八月十五日だからと黙祷を捧げた。
 向かいに座ってトーストにバターを伸ばしていたわたしは、それを見て、「死んだ兵士は、黙祷なんて軽蔑しているだろうよ」と言った。それがどうやら戦いの合図となったようである。彼女のその日の怒りはこれをきっかけに連鎖していった。一種の礼儀であるかのような自然さで、彼女はまずあからさまに眉を顰めてみせた。その角度は感情と正確に釣り合っているか、あるいはやや過剰気味だった。それから、落ち着くために一息つくと、まず、自分は個人的な感情で怒るわけではない、一種の社会的使命からそうするのだ(もちろん彼女はそんな言葉を使わない)と、冷静を装って断りを入れた。それからわたしを諭し始めたが——「人のいのち」「死んだ人の苦しみ」という言葉が開口一番に放たれた——、馬鹿にして眺めるわたしの視線がときおり重なると、次第に、その語気に憐れみの響きが加味されていった。しかしわたしは、憐れみは一種の自己防衛であることを確信していたから、それで自分の態度を改めようとはつゆも思わなかった。彼女は改心しようとしないわたしを根気強く、長く説教し、結局さいごは、ちゃんと黙祷するまでごはんはダメです、と言って、物分かりの悪い子供に対するように、ため息混じりにわたしから顔を逸らした。
 わたしは、それほど意地を張るつもりもなかったから、小さく「黙祷」と呟いて心持ち頭を下げたが、彼女の方はわたしの作法に納得しなかったよう——今度は真っ直ぐ純真な瞳でわたしを見据え「心がこもっていない」「ちゃんと目を閉じていない」と指導した。それが本気でわたしを不信仰の暗闇から救い出そうとするかのようだったから、わたしはいくらかたじろいだ。それから、ようやく朝食にありつき、無言の時間がだんだん積もるにつれ、薫のあからさまな怒りは徐々に鎮まっていったが、それでもわたしたちのあいだには、お互いが手を出すのをためらい、見て見ぬふりをする——しかしお互いがそれを知っていることもまた知っている——何か不吉なものが、残飯のように強烈な臭いを放ちながら取り残された。朝食の終わる頃には、どちらかが「それ」を口にしては負けという協定を、わたしたちはどうやら暗黙のうちに作り上げていた。喧嘩と説教の舞台は水面下に変化していた。——しかし一体彼女は何を怒っていたのだろうか?
 その日は午後から、わたしの親族と会って、墓参りをする予定だった。朝食のあと、簡単に身支度を済ましたわたしは、まだ時間があったため自室で暇をつぶした。本を読もうと思い手に取ったのは、あるアメリカの作家の短編集だった。大学時代に買ったきり、一度も開くことが無かったものである。わたしはそのうちの一つの短編を一時間ほどで読み終えた。それは、高齢の没落貴族の独身女性が、自室で恋人のミイラと共に死んだことが、当の女性の葬儀に参列した語り手たちに発見されるという話だった。あまりに物語然としていて、わたしは特別惹かれたわけでもなかったが、性愛を巡る事柄が葬式という公の場でグロテスクな形態のもとに表出するということ、つまり人間のなかで社会が軽々しく触れることのできない狂気的な部分が潜在しているということ、そしてそこに紛れも無い文学の可能性が潜んでいるということに、わたしは細やかな快感を覚えた。それからは何も読む気になれず、パソコンに向かって原稿を進めようとしたが、それもなんだか気が入らず、わずか一行か二行進んだだけだった。
 出発する時間が迫り、部屋を出てリビングに行くと、薫がまだメイクの用意もしておらず、シャワーを浴びた様子も見えない格好で、スマホを片手に仰向けでソファに寝転んでいた。見たところ、体調不良という感もなく、わたしは、「さては拗ねたな」と直感した。
「もう時間だよ」
「知ってる」
彼女の返答はわたしの声にかぶさるようだった。圧迫感のある、攻撃的な沈黙が流れた。しかし彼女の目は一向にスマホから逸れない。
「行かないの」
「うん」
「どうして」
「蜂が嫌だから」
ハチ? とわたしの上ずった声が中に浮いた。
彼女はスマホを持っていた右手を胸に伏せ、目を閉じ、いつもより調子の低い声で天井に向かって言った。
「お母さんに言っといてよ、あんなに蜂のたくさんいる場所で、どうしてお参りなんかできるのかって」
わたしは冗談ではないと分かっていながらも吹き出すと、彼女は目をパッと開き、ようやくわたしに目を据えた。朝食の時と同じ憐れみを含んだ表情をすると、だってそうでしょ? とまるで傷口を撫でるように言った。眉毛の角度と上目遣いは硬直した頬によって普段の意味を失っていた。
「いや、わかるよ、君の言う通りだ」
しばらくすると、彼女は何も言わず、気だるそうに体を起こし、ローテーブルに置いてあった鏡を引き寄せ、化粧道具をカチャカチャと鳴らし始めた。時間の重みが彼女の四肢を動かしたようだった。一時現地集合の予定で、現在十二時。一時間あれば何とか間に合う距離だが、この様子だと出発するのは早くて二十分後。幸い両親と恋人の薫の関係は良好で、少しの遅刻でとやかく言われることもないが、親戚たちが何と言うかはわからない。とはいえ、何か方法があるわけでもなかった。わたしはソファに腰を下ろし、床に正座した薫の、メイクに忙しないその横顔をじっと見つめた。わたしの視線に、この日の彼女は何も応えず、ただ黙々と手を動かしていた。わたしたちは完全に観客と役者の位置にあった。


 外はよく晴れ、小麦の刈った跡が低く金色に輝き、小豆の黄色い花、蕎麦の白い花が、太陽と風のなかで揺らめいていた。見渡す限りの畑道を、稜線のはっきりした山脈を後ろに背負いながら走り抜けると、徐々に交通量が多くなり、住宅街が開け、樅に囲まれた学校が道々に顔をのぞかす。そこをさらに通り抜け、再び鄙びた土地に出て、ビートと馬鈴薯の青々とした葉が延々と広がっている農地の、そのさらに奥に、ようやく目的の墓地がある。「御影」という美しい土地の名を、近づくにつれ、わたしは何度も口元で繰り返した。
 だがわたしたちの目的地はすでにそこでなかった。墓地に入っていく小道を横目に、国道を時速80キロ前後で走り抜けた白い二人乗りの小さな車は、近くの有名な画家の記念美術館を目指していた。
「薫の体調が良くないから」と連絡を入れて、わたしは元気よく、無言で車を走らせた。薫は車の中で、何度も「お母さん怒ってないかな」と心配したが、わたしは大丈夫とだけ言った。墓地に近づいた時、去年の微かな記憶から、薫は「ここ?」と言ったが、わたしは何とも答えず、そこを勢いよく通り過ぎだ。
 ようやく異変に気づいた薫が、心配そうに、また怪訝そうにこちらを見るので「俺も蜂は嫌いだからね。昔一回刺されているし、大きのにね、下手したら死んじゃうから」と言った。からかわれていると思ったのか、薫は再び不貞腐れた様子に変わり、無言のまま視線を窓の外に向け続けた。去年の同じ時期にこの辺りを走った時は、広大な農地を見て「空が広い!」と驚いていたが、そのあどけなさは今は見る影も無かった。
 今年で二七になる彼女はわたしの一個年上で、出身は東京、大学から北海道にやってきた。一年浪人しているため学年は同じで、学部は違ったが、聖書研究サークルで知り合い、そこから交際を始めたという次第。わたしはこのサークルに殆ど「からかい」のつもりで入ったのだが、それがまっさきに薫に見破られて、それでわたしは彼女に完全に惚れてしまった。ある日、わたしがグリューネバルトの祭壇画とそこに書かれた文句「He must increase, I must decrease」について、これは洗礼者ヨハネがキリストの栄光について述べたのでなく、美が真理について述べているのだと言った時、彼女はわたしの目を真っ直ぐ見て「ええ、あなたみたいな無神論者を、神様は愛しているんです」と言ったのだ。それからもうひとつ、そのサークルの集まりのなかで、わたしが、これは「からかい」では無く、キリスト教の本質とは、聖書なんかの嘘百ぱちではなく、一ユダヤ人のナザレの太郎さんが、無罪のまま誰も憎まず、何の慰めもなく十字架にかけられて死んだこと、そのただ一点にこそあるのだと熱弁を振るった時、皆が気まずそうに俯いて机を眺めていたなかで、彼女だけが「私たちもみんな、太郎さんです」と言ったこと。それもまた、わたしが彼女に惚れてしまう重大な出来事だった。
 やがて美術館の看板が見えた時、ここ、とつぶやくと、薫は不思議そうに体を伸ばしながら辺りを見回し、びじゅつかん、と陽射しにキラキラと輝く紅色の口もとを子供っぽく動かした。常日頃から男友達に、君の彼女は色気が無いと言われたが、わたしには、抱きしめて守りたくなる色気と、突き放して殺してしまいたくなる色気は全く別物だった。そして私は前者の色気を、全くくだらない、無味無臭なものと思っていた。
 車を留め、入口までの長い道すがら、薫がまた「本当に大丈夫?」と言うので
「母さんにはちゃんと蜂のことで連絡したから、心配いらないよ」
と言うと、彼女はようやく理解したようで、そう、と呟いてわたしの後をついてきた。
 中に入ると、来館者は、わたしたち以外に数名いる程度だったが、荘重で立派な外観に比べると中はそれでも何だか狭苦しく、同時に寂しく感じられた。画家は、太平洋戦争を機に北海道へ疎開してきた人物で、農業をする傍、油絵を描き続け、道内で活躍した。展示は彼の作風の変化を辿るよう配置され、写実主義的な風景画――その技術の面において文句のつけようはない――、ペインティングナイフとベニヤ板を使い、顔料の質感をそのまま残すような独特のタッチで馬や人間を描いたもの――これはどこか原始美術を思わせるような力強さと呪術性を有し、その色彩には野獣性がみなぎっている――、これも独特のリアリズムゆえ、デフォルメされた人物や馬がクレヨンのような質感で描かれたもの――いかにも農家の画家らしい作品群で、わたしはそのなかでとりわけ飯場の中で眠る二人の労働者を描いたものを気に入った。というのも、わたしはそのとき読んでいたドストエフスキーの『白痴』の最終場面をそれに重ねたのである。ムィシキンとロゴージンの終極はきっとこんな感じだったのだろう、と、自分でも不思議な連想が働いたのである――、さらにはピカソや前衛芸術を思わせる、しかし完全に抽象画とも呼べない、コラージュやモンタージュを駆使した抽象的具象画――これは目の前にたつと非常に不気味な印象を与え、月並みに言えばアイデンティティの危機を感じさせられる作品群である――、絶筆となった、初期の作品のような、しかし別次元に過剰な写実性を追求した、半身のみの赤黒い馬――よくよく近くで見ると、あのレンブラントにも引けをとらない筆致の細かさと柔らかさと、そしてなにより対象を見つめる眼差しの力強さと信心深さがあることがわかる――というコレクションだった。
 わたしはこれらの作品を、長い時間、飽くことなく眺めていたが、そのあいだ薫は、暫くある絵の前で立ち尽くしていたかと思うと、急にどこかへ姿を消したり、戻ってきても何度か、時間を気にするようなそぶりを示した。わたしは敢えて気を遣うことなく、目の前の絵についての印象を伝え、美術史上のどの画家と似ているとか、影響を受けているとか、その絵の中の思想はどうとか、そういったことを一方的に語り続けた。しかし彼女はそれに特段の反応を表さなかった。ついにわたしが一向に帰ろうとしないのに諦めて、薫は一時間後にはもう館外へ足を伸ばしていた。わたしはそれでもさらに一時間ほど、やや意地を張って、人気のない妙に涼しい館内で絵と対峙し続けた。
 彼女は駐車場近くの広場にあるベンチに腰をおろしていた。新たにベージュのバケットハットをかぶって、目の前の噴水を姿勢良く眺めていた。背後から近づくわたしに初めに映ったのは水面にゆらゆらと反射する彼女のうす暗い影だった。「三四歳、わたしたちもあと十年もないのね」と、小さな影に大きな影が並ぶのに気付くと、彼女はそう口を開いた。それはあたかも、寿命の上限が既に決められていて、それまでに何かしなければならない事が課されているような、わたしには奇妙な言い方だった。
 笑って過ごすこともできたが、ジリジリと刺す夏の日差しがわたしを凶暴にした。
「君はじゃあそれで死ぬのかい」
 彼女の肩のあたりが一瞬緊張した。わずかの沈黙があって、ふたたび落ち着いた口調で言った。
「いえ。そんな値打ちはありませんもの」
「値打ちがなくたって早く死ぬ人もいる」
「そうかしら。わたし、理由あると思うわ」
「しかしそれは生きてる人間の考えだよ」
「ええ、『ガス室で死んだ人に言えるのか』って、あなた前も怒ってましたよね」
「生きる意味を問うのは不道徳だよ、戦後は」
「じゃあ何で生きてるのかしら」
「ほら、それだ」
「いえ、あなたに言ってるの」
 彼女はここで振り返った。ハットから覗く彼女の瞳はわたしを諭すような——つまり母親が息子に怒るような——真面目さと微かな狂気を含んでいた。
「放り出されたから、だろうね」
 とわたしはようやく笑った。
「ちがう」彼女はそう言って黙って俯き、真面目に思案し、再び顔をあげた。「いいえ、わたしが間違っていました。じゃあ何であなたは今にも死なないのかしら。」
「苦しいからさ」
 と言って、わたしは小刻みに何度も頷いた。
「いいえ、いろんな方法があるわ」
「たしかに」と言って、今度は吐き出すように笑う。「そうだね、僕だって昔、気紛れなオオスズメバチがどこに攫ってくれればって、本気で思ったことがあった」
「でもあなたってほんと、いつでも傍観者よね」
「狡いからね、君とちがって」
「わたしが馬鹿だって、あなた思ってるでしょ」
「それは三四になったらわかるだろうさ」


 併設されたレストランで遅めの昼食を摂り、車に戻ったころにはすでに四時を過ぎていた。外はまだ真昼のように明るく、紫外線も強く指し込み、しばらく空けていた車の中は灼熱だった。これからどこへ向かうとも定まらぬまま、エンジンをかけ、わたしがハンドルを握ると、お墓、本当にいいの? と薫が言った。はっきりした返答など持ち合わせていなかったが、わたしは向かうことにした。来た道を引き返し、馬鈴薯とビート畑の奥にある、あの墓地を目指した。
 人影はほとんど見られず、御影の墓石が等間隔に、およそ正方形の形をした敷地内に、ひっそり、整然と並んでいた。着いた頃にはようやく日が傾きかけ、辺りの樅や杉の木に柔らかい光線が斜めに降り注いでいた。荒涼とした中に、鬼百合のオレンジ色が一際目立って見えた。
 車を止め、近くのスーパーで買った供物を持って父親の祖先の墓へ近づくと、すでに、御影石のゴツゴツした表面に、ペットボトルに挿された供花と、火の消されたタバコが置いてあるのに気づいた。久しく刈られていないと見える芝に足を踏み入れながら、ビールやお菓子、果物を並べていると、突然、後ろから薫の悲鳴が聞こえた。
「はち! はち!」
 薫は墓石の下の方を指差しながら、ひと時も目を逸らさぬようにして、車の方に退いていく。指の指された方を見ると、墓石の亀裂の入った部分に、一匹、また一匹と、大きな蜂が出入りしているのが目に飛び込んできた。わたしも慌ててその場から離れ、しかしそのまま帰るわけにもいかず、何とか薫を呼び寄せ、ここでいいから手を合わせようと言った。
 四拍、手を叩いて目を閉じると、静けさの中から、遠くで蜂の飛ぶ音が聞こえてくる。盆の熱気の和らいだ時間帯に、蜂は、羽音を響かせ、先祖の墓を包囲する。わたしは目を開け、墓跡の下の亀裂に忙しなく出入りするその姿を追った。ちらと横を見てみると、薫はしかし、落ち着いた、穏やかな横顔をしていた。顔の前で信心深く合わせられた両手が、彼女の鼻を僅かに押しつぶしている。身体全体を微かに前傾させることで、自分自身を律し、謙虚になろうと勤めているかのようだった。蜂が近くに巡ってきた瞬間、彼女は体をびくりとさせ、バランスを失ったが、すぐにまた元の姿勢に戻って、美しい色をした口元をきっかり結んで、眉間に鬼のような皺を寄せ、じっと時の過ぎるのを待っていた。そうした彼女を見ていると、しかし、わたしはほんとうに薫が愛しいのか、それとも夏の墓地に飛ぶ蜂がわたしをそう思わせているにすぎないのか(もちろん、そこには深い真理がある)、はっきりしない、いささか酔った気分に襲われた。が、ふいに、ひんやりとした風が腕を通り抜け、わたしらの目が合った。
 わたしは彼女の不審そうな目から逃げるようにして「いこうか」と言った。


 はじめは地震かと思った。帰る途中、信号機を待っているときのこと。突然、車全体が揺れている感覚に襲われたのである。無言のままだったわたしたちはとっさに顔を見合わせ、なに? とお互いに体の神経を集中させた。
「太鼓だ」
 ややあって薫が言った。彼女が窓を開け、身を乗り出すと、たしかに、ドン、ドンと響く一定の振動とともに、遠くのほうからかすかに、拡声器を通した歌声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「祭か」とわたし。
「そうだ。すっかり忘れてた」
 祭はわたしたちの住むアパートの近くの公園で行われていた。小規模ながらも、確かな熱を帯びているものだった。灌木で囲まれた小さな公園で、近くに車を止めると、櫓の頂点てっぺんから滑らかに、提灯の連なっているのが覗かれた。中央で太鼓が鳴らされ、音頭がマイクを持って歌っている。わたしたちは車を降りて、見物人のなかに加わった。周りで踊っているのは、多くは子供たちで、浴衣を着て真剣に踊る少女たちもあれば、半袖半ズボンでふざけている少年らもいた。なかには、中学生、高校生の男女もあり、紅白の垂れ幕を囲むよう、みな一団円となって地面を軽やかに踏み鳴らしていた。辺りには屋台も多く並び、いくつかのものにはすでに列ができていた。熱く、蒸して、汗の匂いが蔓延していたが、それはここにいる誰もがみな密かに望んでいる夏の熱気——草いきれそのものであった。太鼓の響きが人々の心臓の鼓動を早め、彼らは、提灯の灯る夜の訪れを、いまかいまかと待ち望み、呼び込んでいるかのようだった。熱気に巻き込まれ、原始の香りのする地下室を、わたしは好奇の目でのぞいているようだった。
「あなたは死者の蘇りを、信じるの」
 そのとき、低く冷たい響きの声が、わたしの耳を捕えた。ややあって、盆踊りのほんとうの意味を、彼女は考えているらしかった。
「きみはいつも唐突だね」
 突然、場違いな冷風に打たれた心地がして、わたしは苦笑を禁じ得なかった。しかしその苦笑には、侮蔑的な意味もなければ、暫定的な意味もなかった。意表を突かれたことに対する自己防衛が、いわばグロテスクにわたしの頬を歪めたのである。
 彼女は無言が一種の言葉であるかのようにそれを貫いた。それに応えるためには、言葉を発するほかなかった。わたしは何とかそれが攻撃的なものとならぬよう、注意を払った。
「僕は肉体が復活するなんてことは考えないよ。たとえばキリスト教徒が考えるようにはね。でも僕が好きな話に、ある音楽家が言ったことがある。彼に有名なチェロ協奏曲があって、彼自身それを生涯にわたってとても気に入っていた。晩年、死の床にあるとき、見舞いにきた友人にその第一主題を口ずさんだらしい。すると続けて彼はこう言う。『いつかぼくが死んだら、モールヴァン・ヒルに生えるシダの歌声が聞こえることがあるかも知れない。しかし恐がらないでくれ。それは《チェロ協奏曲》の最初の小節の調べを歌う、ぼくだから』」わたしはそこで沈黙を挟んだ。彼女は、櫓の周りで陽気に踊る人々の流れを見ていたが、耳はたしかにこちらに意識があった。太鼓の音がわたしたちの間でリズムを打った。「それ以上のことは、ぼくにはわからない。客観的な視点というのはどうだっていい。エルガーが真心からそう述べたことに、僕は深い感動を覚える。それにこの、『恐がらないでくれ』って言葉、美しいと思うな」
 そう、とだけ彼女は言った。こちらに目をやることなく、その短い言葉のうちには切り捨てるような趣があった。再び沈黙が優勢となり、その間を太鼓が満たしていく。しかし彼女の無言の意味するところをわたしは推し量ることができたし、それはわたし自身に対する疑問として、このとき跳ね返ってきた。
 『ならなんで、あんなことを言ったの?』
わたしは次のように答えるのを、ぐっと堪えた。それが信頼関係に決定的な傷を入れることは必定であったし、忍耐の中でその言葉が過去へと下ることをわたしは望んでいたから。
『いいかい、軽蔑が、彼らに残された最後の自由なんだよ!』
 
 帰る途中、薫が不意に、あそこの海に寄ろうと言い出した。車内でのわたしたちの様子はいささかぎこちなかった。尾を引く胸の動悸は、わたしたちにとって夏の悦びのリズムでなく、不安と動揺の印であった。そのまま家に帰ることを怪しく感じながら、わたしはなす術もなくいつもの帰路を心持ちゆっくりと走った。が、薫の突然の言葉に、わたしは藁にもすがる思いを掻き立てられ、力強くハンドルを切った。
 それは今住んでいるところから、車で三十分ほど南に行ったところにある海岸で、移り住んできた頃はよく、何の目的もなく、二人で砂浜に涼みに行った。しかし今となってはもう波の音も忘れていた。近くの堤防に車を停め、浜に向かう途中、街の喧騒から囁き声のように浮かび上がって耳を撫でる、その暖かさにわたしは思わずはっとした。
 すでに六時を回り、太陽は薔薇色になろうとし始めていた。八月の波は穏やかで、チラチラと、夕暮れの太陽が水面で踊り、辺りは全体琥珀色に輝いていた。磯を低く打つ波の音が、わざとらしくないテンポを刻み、わたしたちの胸は自然と、それと共に凪いでいった。弱まった光線に、塩気を含んだ風が心地よかった。浜にわたしたち以外の人影はなかった。波跡から数メートル後ろに腰を下ろし、そうして数分、数十分と、何も語らずにすごした。
 そんな時だった。不意に、ねえ、と言った薫の視線の先を見ると、波打ち際に、一人の若い女がガニ股でしゃがみこんで、砂を集めては、壊して、また集めては、それを壊して、という動作を繰り返していた。年の頃はわたしたちとさほど変わらないように見える。白いワンピースを着ていて、黒い髪が冷気を含んだ風に造作なく暴れている。裸足には、湿った砂が足の裏はもちろん、甲や、踵、またわずかに覗くふくらはぎにもこびりついて黒々としている。ここからの距離は五、六メートルほど。西日のなかで、顔の輪郭がはっきりと浮かび上がった。
「キレイな人」
 薫がつぶやいた。黒い長い髪は前で無造作に分かれ、青白い額が覗いている。三十度の角度を保った眉毛が眉間の皺を深くし、細い瞳がその奥に光っていた。細長い指を濡れた砂浜に埋め、水が滲んでくる辺りまで掘り、するとそれをまた埋めるように砂を返していく。華奢で細い喉の奥で唸るような声を発し(これが意外にもよく響くのであった)、数秒に一度、すらりと伸びた鼻が不気味に鳴り、鼻水を手の甲で拭った。時おり、低い声で笑うのだが、それはまるで小鳥が歌うように自然な——つまり人工的でない——笑い声であり、それは波の音と混じって、繰り返し繰り返し、夕闇の中に溶け込んでいく。彼女の歌を邪魔するものは誰も、何も、なかった。
——そうか、僕はようやく思い出した
 ほとんど無意識に言葉が出た。わたしの視線はその「狂女」の口元に釘付けとなっていた。真っ赤な口紅が雑に塗られ、右手の甲にそれを拭った跡がある。今朝の夢と、それと混ざり合った記憶の断片が、そのとき意識の底から蘇ってきた。わたしは、祖母の話の中の、最も強烈なものに、長い間蓋をしていたという事実を、この時初めて思い知らされた。そう、わたしは薫に、ほとんど興奮を隠しきれぬまま、「忘れられた女」について話し始めたのである。彼女はその間、大して興味もなさそうに、小枝を使って砂浜にα、β. . . と、ギリシア文字のアルファベットを書いていた。

「終戦記念日ですから、そうです、終戦記念日ですから! 戦争の話をしましょう。といっても、僕が知っている話はごく僅かです。祖父母から小さい頃に聞かされたことが、記憶の片隅に残っている程度です。たくさんのことを聞いたような気もしますが、今のわたしに残っているものは、片手に収まるくらいです。ところがそのなかに、子供ながら、わたしが恐怖におののき、好奇心に酒を注がれたかのように、くらくらしたエピソードがあります。それはたしか夏休みに、祖母から聞いたものです。わたしの父方の祖母は、むかし満州に住んでいました。商家の一族だったので、戦前の日本の満州開拓と同時に、その地で一旗あげようと、父親が意気込んだのです。日本を出国した時、祖母はまだ生まれて間もなかったようですが、向こうでは妹、弟も沢山うまれて、一家の長女として、立派に暮らしていたそうです。商売の地盤もできてきて、さあこれからだ、というとき、それは祖母が中学生くらいのときだったそうですが、戦争が始まりました。戦争中というのは、いろんな病気がはやるのが常ですが、その例にもれず、祖母の身内もほとんど、当時流行ったチフスで死にました。年長だったこともあり、奇跡的に祖母はチフスから回復したのですが、両親含め家族全員、祖母を除いて満州の地で死にました。あるのか、ないのかわからぬような軽い骨壷を抱えて、僅かに残った親族とともに、戦争中はとにかく逃げ回ったそうです。しかし終戦が訪れ、一安心かと思えば、終わった後も、いや、終わった後こそ、本当の地獄でした。ご存知、日ソ共同宣言が破られ、満州にはソ連兵が沢山やってきます。祖母は叔母や、生き残った親族とともに、地下に逃げ、教会に隠れたりしたそうです。ロンぺいが、ロン兵がと、祖母は憎しみの混じった声で話をしました。行く先々で、小さな仕事を見つけたり、時には盗みを働いたりしながら、何とか食い繋いだそうですが、こうした生活は数年続いたそうです。そんな最中で、祖母がよく覚えているのは、親身に助けてくれた、ひと回り年上の従姉妹のお姉さんでした。驚くほど色白の美人で、おまけに強くて、賢い。どこへ逃げる時も、お姉さんの後ろにしがみついて、泥の中も、血の海のなかも、死臭で溢れる街中も、がむしゃらに走った。時には盗みも教わり、とにかく彼女からは、生きる術を学んだと、祖母は言っていました。ある日のこと、しばらく腰を落ち着かせることになっていた土地に、兵士が女を辱めにやってくるという噂が立ちました。女たちの仕事場にいた祖母は、その日、従姉妹のお姉さんがいつも以上に綺麗に粧し込んでいるのに気づきました。家のものたちは、こんな日に着物を着たり、お化粧したりなんかするなと言いましたが、彼女は全く意に介しません。祖母は、そのときのお姉さんのことをよく覚えていて、『それはほんとうに、おそろしくきれいだった、とにかく、くちもとが』と、思い出すようにして、感心しながらわたしに何度も繰り返しました。それから、噂通り、屈強な兵士がやってきて、女たちのいる部屋の戸を叩いたそうです。そのとき、戸口に立っていたのは華やかな着物に身を包んだ、驚くほどの美人、色が白く、肌のハリがあり、髪も麗しい、そして、口元は美しいルージュ。男たちは息を呑みます、が、次の瞬間、彼女は隠し持っていた青酸カリを一気に口に含んで、泡を吹いて倒れたそうです。男たちは突然のことに驚いて、その家を出ていきました。祖母はその一部始終を、机の下から眺めていたといいますが、はじめ、何が起こったか分からなかったそうです。彼女の行いの本当の意味がわかったのは、もっと後になってからだと言っていました」

 話終えたわたしは、しばらくの間、狂気の為せる業と、輝く太陽を交互に眺めていたが、やがてそれは詮無いことだとわかったので、隣の彼女の頬に接吻した。彼女は途中から、枝で砂浜をいじるのを止め、俯いたまま——真剣さを隠すかのように——わたしの話に耳を傾けていた。わたしの体温を感じると、彼女ははにかみ、頭を寄せ——絹のように繊細な髪の一本一本までが、太陽の祝福を受けるように赤く輝いた——わたしの胸の中で穏やかに呼吸を始めた。そうして、やっと言葉になった沈黙をわたしたちは分かち合った。
 薫の呼吸を胸に感じながら、わたしは深い薔薇色に変わった太陽をふたたび眺めていた。水平線に並行にたなびく雲が桃色を帯びた空は、どこかエロティックでもあり、引っ掻き傷のようにも見え、痛々しくもあった。海は太陽の半分ほどを鏡像の中に飲み込み、夜の帷を下ろす準備を着々と進めていた。辺りは黄金色から一転、青白いカーテンを纏い出し、子供の視力を持っていれば、一番星がわずかに見える、そんな具合だった。
 後方からかすかに声が聞こえ、わたしは、堤防の上に三人の少年と、一人の少女のいることに気づいた。彼らが大きな声で笑ったので、薫もそれに気づいたよう——彼女はそっと上半身を起こし、身を正し、スカートについた砂を手際よく払った。彼らは、見たところ中学の上級ほどで、どうやら、砂浜にいる女の真似をしているようだった。砂をかき集め、それをめちゃくちゃにする、その動作を繰り返し、お互いに見せ合って笑っていた。坊主が一人、髪の長い男が一人、帽子を深く被った背の低い男が一人。少女は近くの学校の指定ジャージを着て、男たちの足元に腰をおろしていた。男たちは制服を着ているが、それは乱れ、いかにも部活終わりという格好だった。彼らの笑い声に砂浜の女が引っ張られるようにして後ろを振り向くと、同じように彼らも後ろを向き、立ち上がると、彼らも立ち上がり、唸るような声を出すと、三人揃って同じような声を発する。すると、女は、ある時突然、自分が何をやっているのかわからなくなったように急停止し、再び元の姿勢に戻り、砂を捏ね、水をかき出し、それをまた埋める。そうした応酬が、海岸でしばらくの間続けられ、わたしは何も語らずただそれを眺め、薫は意識的にそちらに目を向けず、小枝をいじりながら(彼女は何かを書いているようだ)時の過ぎるのを待っていた。
 やがて、薄暗い空の隅々に、徐々に闇が染み渡り、星と月の世界が開けた時、彼らの劇は終わり、後には波の音が残った。わたしは、「劇」の最終場面で、少年らに近づいていった女に対し、坊主が放った言葉の余韻に、暫くのあいだうっとりと浸っていた。『醜い顔だな! お前みたいなやつは、化粧しなきゃ出てこられんだろ!』
「今のは」漁り火だけが頼りになった海岸で、わたしの言葉は自分でも驚くほどに軽やかだった「一万は払う価値があるね」
 薫は何も言わず、書けた、とだけつぶやいて、足元を指差した。枝で描かれたぎこちないアルファベットが並んでいるようだが、暗くて見えない。なに、と云うと、言葉が返ってくる。
 
ὁ ἥλιον μή ἐπιδυέτω ἐπὶ παροργισμῷ ὑμῶν
日が暮れるまで、怒ったままではいけません
 
 わたしが微笑みを抑えきれずに「帰ろうか」と言おうとしたそのとき、堤防の上のほうから、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。薫は、生気を取り戻したように腰を上げ、きた、と呟いた。腰の辺りを両手で払い、砂に刻んだ聖書の一節を右足で雑に消した。彼女が裸足だったことを、わたしはその時初めて知った。
 暗闇の中から現れたのはわたしの両親だった。小走りで向かった薫は、その場に立ち止まっているわたしを振り返り
「わたしが呼んだの、だって、お母さんは蜂じゃないもの」
と言った。それから再び駆け出した。
 父親を置き去りにして下ってきた母親が、その大きな顔をさらに大袈裟にしながら、開口一番に言う。
「あの子たち、酷いことをするのねえ、嫌がってるのに口紅かなんかを塗ろうと……」
「お母さん、今晩は」
 薫は屈託ない声で、母の声をかき消した。

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