#2 「間奏曲」だけじゃない!歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』オペラとしての楽しみ方【作品解説・水野蒼生編②】
前回、こちらのnoteに歌劇『道化師』ついて寄稿した。今回はその続編として歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』についての文章を書き進めてみたいと思う。
前回の歌劇『道化師』についての記事はこちら↓
『道化師』の後だからこその面白さ
『道化師』を観劇したあなたはまだオペラの世界の中に取り残されたままだ。そんなあなたを次に待ち受ける演目が、作曲家マスカーニによる歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』。『道化師』と『田舎騎士道』の2つのオペラはほぼ同時期のイタリアで作曲された。作曲家こそ違うが彼らのバックグラウンドは相当近く、オペラそのものも同じスタイルで描かれているので、立て続けに観ても違和感なくそのストーリーに没頭できるはずだ。
それでは早速『田舎騎士道』の内容について書いていこう。オペラのストーリーを紹介する前に、まずはオペラ本編では語られることのない、登場人物たちの過去について語らせてほしい。
前日譚
南イタリアはシチリア島、その山岳部にある小さな村にトゥリッドゥという一人の青年がいた。彼は母ルチアが営む村の酒場の手伝いをしていたが、貧困に苦しむ彼に残された生きる道はもはや兵役のみ。しかしそれは故郷と家族、そして愛する恋人ローラから離れることを意味していた。
そして数年後、兵役が終わったトゥリッドゥは意気揚々と村に戻ってくる。だが無常にも恋人だったローラは村に住む別の男アルフィオと結婚してしまっている。傷心したトゥリッドゥも勢いに任せて別の女性サントゥッツァと結婚するが、かつての恋人たちはやはり互いを忘れることができず、狭い村の中で隠れ愛しあっていた。そんな状況の中で、とある日にオペラは始まる。
物語の前半
ある春の日の午前中のことだった。この日、村は復活祭(イースター)を迎え、村人たちは祭日独特の浮かれた雰囲気の中にいる。そんな中サントゥッツァだけは、やけに不安そうな顔つきで昨晩から帰らない夫トゥリッドゥを探し歩いていた。トゥリッドゥの母は「ワインを仕入れに村を出ているよ」というが、「彼を村の中で見た」という目撃情報がいくつもあるのだ。
村人たちみんなが復活祭のミサのために教会に向かった後、ようやくトゥリッドゥがサントゥッツァの前に現れる。サントゥッツァはトゥリッドゥの浮気を確信して詰め寄るが、トゥリッドゥは開き直りサントゥッツァに罵声を浴びせ、一人教会の中へと去っていく。
一人残されたサントゥッツァのもとに現れたのはローラの夫であるアルフィオ。サントゥッツァは彼に真実を打ち明け、衝撃を受けたアルフィオは怒り狂い復讐を誓うのだった。
間奏曲
そうして登場人物たちは舞台上からいなくなり、オーケストラによって短い間奏曲が演奏される。この場面の音楽こそがこの『田舎騎士道』で最も有名な楽曲と言っても過言ではないだろう。この間奏曲はとても広く知られていて、クラシック音楽の中で最も有名で美しい楽曲の一つと言えるかもしれない。
それ故この曲はオーケストラのコンサートでも演奏機会がとても多い上、テレビや映画、あるいはフィギュアスケートなどでも使用されることも多々ある。あなたも耳にすればもしかしたら「ああ、これか!」と腑に落ちることもあるだろう。
そんな間奏曲だが、間奏曲単品として聴くのと、本来通りに劇中で聴くのとでは曲の印象はまるで違うものに感じるはずだ。
前半の終わり、激昂する二人が去った舞台で突如奏でられる間奏曲の甘美なメロディは、間奏曲単品で聴いていた時の優雅で温かい雰囲気はなく、悲痛なむせび泣きのようでとても悲しいメロディに聴こえるのだ。まるでこれから僕らを待ち受ける悲劇を予兆するかのように。
物語の後半
美しくも哀しい間奏曲が終わると、再び物語は動き出す。ミサの終わりを告げる鐘が響き渡り、広場には教会から出てきた村人が溢れている。その中にはトゥリッドゥもいて、さっきまでの逆上ぶりが嘘のように、今では陽気に周囲の人々と酒を飲み交わしている。
トゥリッドゥは群衆の中からアルフィオを見つけ乾杯しようと話しかけるが、どうにも険悪なムードになっていく。そのアルフィオの態度からトゥリッドゥは浮気がバレたことを察し、トゥリッドゥは自らアルフィオに決闘を申し込む。決闘場所が畑の裏に決まり、アルフィオは早速そこに向かう。トゥリッドゥは母に対して「自分に何かあったら、その時はサントゥッツァを頼む」と言い、同じように畑の裏へと去っていった。
舞台上に残されたのは息子の無事を祈る母と、同じように夫の無事を祈る妻サントゥッツァの姿。きっと今頃畑の裏では決闘の真っ最中だろう。どうにかトゥリッドゥが無事であってほしい……二人がそう願う中、数名の村人が叫びながら広場へ駆け込んでくる。「トゥリッドゥが殺された!」「トゥリッドゥが殺された!!」。それを聞いた二人は気を失い地に崩れ落ち、広場にいた大勢の村人たちが叫び声を上げる中で『田舎騎士道』は終演する。
巧みなコントラスト
以上がこのオペラのストーリーだ。この『田舎騎士道』の特筆すべき魅力は巧みなコントラストによる演出とリアリティのある人物設定の二つだと僕は思う。
復活祭というめでたい祭日に起きる悲劇、教会という純潔性の象徴の側で行われている不倫。また、群衆による陽気で朗らかな合唱が田舎の情景や雰囲気を表しているのに対し、登場人物たちの歌には怒りや苦悩、そして悲哀の表現が色濃く表れる。そして、緊張感に溢れた前半ラストの直後に静かで美しい間奏曲が演奏されることも、このオペラの持つ大きなコントラストと言えるだろう。これらのタイミングや、場所、そして更に幾つかの演出的な設定などが絡み合って物語をよりドラマチックに演出しているのだ。
実は素朴なストーリー
もう一つの魅力として挙げたリアリティのある人物設定では、観衆が物語にどれだけ感情移入することが出来るかという点で大きな効果を果たしている。
大きな枠組みで見ると、オペラは自分事のように感じられるストーリーが少ない。登場人物が王族や貴族であったり、はたまた神々が世界を創造していたり…。勿論これに当たらない演目も多数あるが、テーマや時代性、そしてカルチャーが僕らが生きる現実世界とはかけ離れているが故に感情移入しにくいものが少なくない。
しかしこの『田舎騎士道』に出てくる登場人物たちは王族でも貴族でも、もちろん神でもない。特別な力や地位を持たない、ごく普通の田舎の村人たちなのだ。ストーリーだって、そこにあるのはまるで昼ドラのようなドロドロとした不倫と決闘があるだけ。ファンタジックな展開とは無縁だし、スペクタクルな逃走劇や病弱な恋人との感動的な死別があるわけでもない。圧倒的な音楽表現ゆえに観劇中は気付きにくいが、実はこのオペラはとても素朴な物語なのだ。
そんな素朴なストーリーのオペラが当時爆発的にヒットし、100年以上経つ今でも人々に愛されている理由こそが、観衆が感情移入しやすいリアリティだと僕は思う。市井の人々によってドラマが繰り広げられるからこそ、それぞれのキャラクターの感情表現はリアルになり、それが巧みなオーケストレーションによって何倍にも拡張されることで僕らは感動の渦を享受できるのだろうと感じる。
さらに、これからあなたが目撃するであろう全国共同制作オペラの『田舎騎士道』は巧みな演出により、舞台設定が日本に移されているそうだ。なので、この日あなたはもっとオペラの深い部分に入り込んで共感することが出来るかもしれない。
執筆 水野蒼生