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17年間勤めた公的機関を退職、独立します。

中小企業診断士のフクダです。
2023年3月末で17年間勤めた公的機関(中小企業支援機関)を退職し、中小企業診断士として独立を決めました。
いわゆる退職エントリーですが、私の半生史みたいになってしまいました。


2005年 中小企業診断士に合格


中小企業診断士をご存知でしょうか。国が唯一、経営コンサルタントとして認めている国家資格で、1次、2次合わせての合格率は数%という難関資格でもあります。
この資格を知ったのは、前職の出版業界にいた2000年頃でした。当時勤めていた企業では、キャリア教育として中小企業診断士の資格取得を勧めていました。
当時私は30歳前後。風船が萎むように出版市場が縮小していく中で、将来への不安を感じていました。会社に残るにしろ転職するにしろ、自分の武器となるキャリアが欲しいと考え、勉強を始めました。
残業の多い職場だったので、平日は毎朝4時半から6時半と通勤時間、休日は8時間から10時間を勉強に費やしていました。高校受験も大学受験も中途半端だった私にとっては、初めての猛勉強です。
幸い1次試験は一発合格したのですが、2次試験に3回も落ちました。試験は年1回しかないので、これが最後の挑戦だ! と覚悟した4回目でようやく合格。
翌年、市役所に勤める高校時代の同級生から「さいたま市の財団が、中小企業診断士を募集しているよ」と声をかけられました。当時、激務で体調を崩していたこともあり、転職を決意しました。

2006年 中小企業支援機関でのお仕事


初めての転職先はさいたま市の外郭団体で、設立して3年目の若い組織でした。
当時は市から出向してきた管理職以外は30代が中心で、仕事が終わるとみんなで飲みに行くような、良い雰囲気の職場でした。いわゆるお役所仕事で戸惑うこともありましたが、役所の外郭団体だけあって、残業も少なく休日も取りやすい超絶ホワイト職場。しかも通勤はバイクで20分。身体は本当に楽になりました。
中小企業診断士の先輩方からコンサルティングの実務を教えていただき、充実した日々を過ごしていました。

2012年 農業との出会い


東日本大震災の翌年、異動があり「東北の自治体や産業を支援する」というミッションが与えられました。
私が着目したのは農林水産業でした。風評被害で売上の落ちた農林水産業を、どうやって回復させていくか。
震災前から飲食店や食品関連企業のコンサルティングを多く担当してきたので、さいたま市の飲食店や食品製造業と東北の産地を直接結び付けられないか、と思い、地元のシェフや食品メーカーの社長を連れて、あちこちの産地を周りました。

ここで初めて、農家の方々との交流が始まりました。私は親戚に農家が一軒もいないし、街中で育ったので農業の事を何も知りませんでした。 
あんなに苦労して作った野菜や果物が、なぜ苦労に見合わない価格で取引されているのか。美味しいのに、飲食店も欲しがっているのに、流通インフラや商流が滞って欲しい人に届かない。いろんな矛盾にぶち当たりましたが、当時の私には解決のノウハウが足りませんでした。

2013年 さいたまヨーロッパ野菜研究会立ち上げ


東北の産地支援でいくつか成果を上げると、今度は「地元の農業を何とかして欲しい」というお題が与えられました。
東北支援の事業でお付き合いのあった、地元イタリアンレストランのオーナー、北さんに相談すると「地元の農家にイタリア野菜を作って欲しいのだが、なかなか作ってもらえない」という意外な話を伺い、これをきっかけに「さいたまヨーロッパ野菜研究会」を立ち上げ、私が事務局をつとめることになりました。
この話は後で詳しく書こうと思います。

2017年 農業関連の仕事が増える


さいたまヨーロッパ野菜研究会は当時かなり珍しい取り組みだったのと、若い農家が面白いことをやっているということで、多くのメディアに取り上げられ、外食業界や農業関係の賞もたくさんいただきました。

農業の世界に触れて驚いたのは、栽培の技術を教えてくれる機関はたくさんあるのに、経営やマーケティングを個別にアドバイスしてくれる機関がほとんどないこと。かつて、作ったものをすべてJAさんに買い取ってもらえた頃は良かったのでしょうが、今は状況が大きく変わっています。
この話もまたの機会に詳しくお話します。

この頃から、人づてに「フクダさんに相談しろって言われたんですけど・・・」と、農家の方々が経営相談にいらっしゃる事が増えました。各地の自治体から講演やコンサルティングを依頼されることも増えてきました。
私の職場は副業ができないので、職場に対して謝金をお支払いいただく形で、さいたま市外からの講演依頼などを受けていました。

2020年 コロナ禍での葛藤


コロナ禍で講演などの依頼は減っていましたが、相変わらず農業・食品関連の相談は多く、農林水産省の方から直接相談を受けることもありました。
当時私の職位は課長補佐。課長に昇格すると、管理職業務が中心となり、どうしても現場の第一線からは外れることになります。
自分はもっと専門性の高いコンサルティングがしたいのに、「上」に上がるほど現場からは遠のいてしまう。
眼の前の仕事をこなしつつ、なんとかして昇格しないように、という訳の分からない努力をしていた葛藤の時期でもありました。

元々、漠然と「いつかは独立」と考えていたのですが、その考えが現実味を帯びてきました。

私は農業・食品関連のお仕事と並行して、ながいこと創業支援のお仕事をしていました。だから、独立創業後にうまくいかない人を数多く見てきましたし、独立創業して心底楽しそうに仕事している人も同じくらい見てきました。

今まで創業する人に、専門家という上から目線でアドバイスしてきたけれど、実際にリスクを背負って事業をした経験のない自分が何を言っても説得力がないよな・・・とも感じていました。

2022年春 退職・独立を決意


私は1971年生まれなので、51歳になりました。
色々不満はあるけれど、あと9年我慢してやり過ごせば、安定した収入はあるし定年退職で退職金が満額もらえる。
独立すれば、生活は不安定だし色々辛いこともあるだろうけど、自分が「やりたい」と決めた仕事を、自分の責任でできる。

どっちの人生を選ぶか。

以前、年上の友人から言われて印象に残っていた言葉があります。
「やらない後悔より、やった後悔」
このままモヤモヤを抱えて定年を迎えたら絶対後悔する。
幸い扶養家族もいないし、マンションのローンももうすぐ終わる。いざとなったらアルバイトでも何でもして生きていく方法はあるから、やりたいことをやろう! と、独立を決意しました。
この日から、独立に向けた具体的な準備が始まりました。

長くなりましたので今日はこのへんで。


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