見出し画像

12-1 能登半島 ボランティア報告 志賀町 令和6年6月28日

6月28日志賀町へボランティアに行って参りました。
これで氷見市、中能登町以北の8市町を少なくとも一度は巡ったことになります。


志賀町の現在のボランティアセンターは志賀町の北側にあります。
能登半島の西側はほとんど訪れない地域でしたので、今回は千里浜から西岸に沿って北上しようと計画しました。

千里浜は国内で唯一車で走れる砂浜で世界的にも珍しい浜ですが、地震の影響で観光客が少なくなったというのをラジオなどで聞きました。


千里浜なぎさドライブウェイ



千里浜の終点レストハウスの横に砂の像がありました。能登を応援する内容です。

砂像


輪島市などの被害はTVなどで繰り返し報道されますが、志賀町などの被害はあまり報道されません。しかし道路は波打ち、屋根や壁にブルーシートをかけた家が散見されます。


北上していくと志賀原発の近くを通過。


志賀原発

地震直後、志賀原発の電源二つのうち一つがトラブルにあったが一つは維持されたという発表がありました。もし放射線が漏れる事故があれば、風向きによっては私達の住む富山県も影響があったはずです。 モニタリングポストは時々確認しておりましたが、6月末の現時点でも問題無さそうです。

志賀原発の周囲には大きな風車もたくさん見かけます。 海岸は景勝地で厳門なども通過しました。

巌門を上から見る


9時前にボランティアセンターに到着。スマホで登録を済ませます。 志賀町のボランティア活動は平日が多いので平日勤務している私としては土日祝日のほうが参加しやすいです。したがって今回はボランティア休暇を使っての参加でした。 万を超える人がボランティア登録している割に、今日は30人募集のところ11人ほどしか来ていません。他の地域と比べて志賀町の応募の少なさが気になります。


志賀町ボランティアセンター

今日のニーズは2件。畳60枚の搬出ともう一つは県外に半年避難していたお年寄りの家の中の片付けをして生活を再開できるようにするものでした。 私はお年寄りの家の片付けの班になりました。メンバーは男性3名女性2名です。これに依頼者のケアマネジャーさんが随行。私は軽トラックの運転を志望すると、家にある壊れた冷蔵庫を廃棄し、中古冷蔵庫に入れ替え作業をするとの事。ボラセンの倉庫から中古の冷蔵庫を軽トラックに載せてロープで固定。ここでも南京結びが役立ちました。 ケアマネジャーさんが先導し、私とリーダーが乗った軽トラック、その他のボランティアを乗せた乗用車が続きます。県外から参加し、車中泊で連泊して参加されている方がリーダーになりました。 家ではお婆さんが待っておられました。 

元旦から半年の間、時が止まっていましたが、封印されていたものを開くと恐ろしい姿を現します。台所はコバエが沢山いたので窓を開けて追い出します。鍋や食器の中は半年前の食べ物が茶色くなったりカビたり。お節料理が入っていたであろうお重もありました。床はお婆さんが割れた食器のガラスの破片を拾ったと言われましたが、念のためスリッパを借りました。

台所を片付けないと、奥にある冷蔵庫の交換ができません。 他のメンバーは居間など地震で散らかった部屋を掃除。 冷蔵庫を出す動線ができ、壊れた冷蔵庫を軽トラックに載せます。 リーダーと冷蔵庫を廃棄物集積場に持って行き、戻って来るととても片付いて玄関も台所もピカピカです。お婆さんもケアマネジャーさんもだんだん笑顔になって来ました。 中古の冷蔵庫を台所に4人がかりで設置完了したところで昼休み。


道の駅とぎ海街道

リーダーが近くの道の駅で休憩を提案。道の駅には食堂やお土産屋、付近にはラーメン屋などもあって好条件です。 私は兵庫県から来られた女性と二人で道の駅の食堂を利用しました。 女性は海鮮丼を私は甘エビバーガーを注文。

兵庫県から来られたというので、阪神淡路の震災は経験されたのかとつい尋ねてしまいました。彼女は震災のサバイバーでした。阪神淡路の地震の当日、友人や家族を救えなかった状況を淡々と詳しく話をされはじめ、私はあまりに壮絶な話を聞いて思わず目から涙が溢れてしまいました。
「ごめんなさい、私が質問してしまったために辛いお話をさせてしまいました。」と言うと「普通に話せるようになったのは最近なのです。」と言われ、その後、東日本大震災などもボランティアに参加して、今回の能登半島にも来ているのだと。

確かに兵庫県の方とボランティアでよくお会いします。似た苦難を受けている人がいると知ると、いても立ってもいられなくなるのでしょうか。あの時助けられなかった家族や友人に対する無念が彼ら彼女らを突き動かしているのだろうかとそんなふうに思いました。 自分は人生でそのような苦難にあった事もなく、彼女に比べればまことに能天気な幸せ者です。 でも、彼女は暗いところを感じさせず、とても明るく前向きにボランティアに取り組んでいる姿が救いでした。


甘エビバーガー


このタイミングで甘エビバーガーができたとコールを受け、同時に話題を替えました。 私の甘エビバーガーはどうやってかぶりつけば良いか悩む高さ。


海鮮丼

女性の注文した海鮮丼は身の厚いプリプリの刺身がのり、値段も金沢より安いとご機嫌でした。食後お土産を買い、1時近くまでベンチで他のメンバーと体を休めながら午後の段取りを話し合いました。


志賀町のお土産


1時からもう一踏ん張りです。再びお家を訪問して、食器や鍋やシンクを洗ったり、床を拭き掃除したり、居間を片付けたり継続。 途中で民生委員さんはお婆さんを連れて買い物へ。食事の材料や生活用品を購入して戻ってこられました。 まるで新しい家のように玄関や台所は綺麗になり、居間も片付きました。お婆さんもケアマネジャーさんも民生委員さんもニコニコです。 活動を終え別れの時はお婆さんは杖をつきながら玄関前まで私達を見送ってくれました。

リーダーと私は追加で廃棄する家電と割れた食器などを集積場に運び、ボランティアセンターに戻りました。リーダーはセンターに活動報告、他のメンバーは道具の片付け、私は軽トラックを返却。リーダーの声かけでグループは解散しました。いつもボランティアは一期一会です。

すると他の班で活動していた男性が声をかけて来ました。穴水町で一緒に軽トラックに乗ってバディを組んだ静岡の男性です。
「あれ!久しぶりじゃなかった‥、ついこの間お会いしましたねー!」と私
「あはは!昨日は輪島で草刈りしたよ」
「暑くなってきたから熱中症に気をつけて下さいね!私はこの志賀町で全市町周りましたよ」
「じゃあコンプリートしたんだ」
一期一会ですが、よく来るボランティアはお会いする頻度も多そうです。

この後、経済を回しながら穴水の奥能登ベースキャンプへ移動します。
つづく

追記:半年ぶりで帰還された被災者さんの例でしたが、今回はたまたまコバエで済みましたがこれからどんどん暑い季節になって来ます。戻って片付けられるところは早めに対処しないとハエなどが増えてますます大変になるのではと予想いたしました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?