指導における「声掛け」がいかに大事かについて
■「指導」における声掛けはかなり重要
週末指導者をやっている方々の声掛けがとても悪い、という場面をどれだけ見てきたことでしょうか。
「ちゃんと言ったとおりにやれよ」
「やる気がないなら帰っていいよ」
「そんなのだといつまでたっても上手にならないよ」 …等
具体例を挙げ始めるとキリがありません。
今日は少し「声掛け」について考えてみたいなと思います。
ポイントは以下です。
もっと発した「言葉」の重みを理解しましょう。
指導者という立場は必ず”上下関係”を生みます。
基本は自身が子供の時に言われて嫌だったことは言わない。
言葉を発する前に、”言われた子”のリアクションや次のアクションを想像して話さなければいけない。
上記で伝えたいことは箇条書きしましたので、以下からは駄文にて。
ゆるりと行きましょう。
■指導の立場に付くと必ず思い出す動画があります
誰かに指導をする=上下関係が発生する
その時にいつも私の心をザワつかせ、思い出す動画があります。
お時間のある方は冒頭1分でも良いので、是非ご覧ください。
※設定から日本語字幕出せます※
デビッド・ケリー氏はIDEOというデザイン会社を設立し活躍する起業家で、デザインの業界では名の知れた方です。
デビッド氏は、
多くの人は「クリエイティビティ」を持っているが、
大人になるまでの些細な出来事(否定的な発言等)によって、
その内から湧くクリエイティビティへの自信を失くしていると話されています。
そしてクリエイティブな活動を行うには「やり方(ツール)」が存在するので、”センス”というような”不確かなモノ”が重要なのではなく
【Creative Confidence(創造する自信)】
が最も重要であると語っています。
同じような文脈でこの曲も好きですね。
↑冒頭の歌詞の中でも
「~に気づかなければ」、「~と思わなければ」という言葉があります。
これらを外的要因として発生させたなら、それはもう本当に指導者として失格ですよね。
これらの動画や音楽を思い出し、
人とというのは想像以上に
”誰かの発言によって人生を変えてしまう”
生き物だと思っています。
そんな”生き物”に、
心無い言葉をかけることが、
どれだけ未来を奪っていることになるのだろうか?
と、考えるだけで怖くなります。
■大事なのは「何を言うか」ではなく、「どこに導きたいか」である
上記のような考えを持ちますと、「言葉」そのものにプレッシャーを感じるようになって「叱れなくなった」という指導者の方が、私の所属チームに居られました。
この時に若輩者ながら私が話したのは、
「その子にどのように成長して欲しいか?(目標)から逆算するようにすれば、おのずとかける言葉は決まってきますよ」
というようなお話をさせていただいたことがあります。
例えば、
①試合で同じミスを犯して欲しくないなら
→ただ怒るのではなく、「なぜ起きたか?」を考えさせる声掛けや、
そもそも根本的なルールを知っているかの声掛けをする
②練習に真剣に取り組んで欲しいなら
→なぜ真剣に取り組めていないのか?をヒアリングし、
集中力が切れているなら楽しませたり、休憩を入れる
そもそもスキル的な要因なら説明を加えた声掛けをする
等です。
指導者になるとどうしても「上下関係」が出来てしまい、その場でパッと言葉で注意したくなる気持ちは分かります。
しかしながら私の経験上、最初に頭に思いついた言葉は口に出さない方が良いような気がしますw
是非簡単な原点を思い出して欲しいのですが、
・失敗しようとして失敗してる子供
・できなくて良いと思ってやっている子供
は基本的には居ないものと思ってもらうのが良いと思います。
我々の声掛けは、”威圧や抑制”ではなく、”導いていく”ものに変換していくべきだと思います。
そして何より、我々大人は社会人経験を通して
”あんな言われ方をして気分を害した”
というストックはたくさん持っているはずです。
その経験を持ち込むだけで、必ず声掛けは良い方向に変わると思っています。
本日はここまでとします。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
少しずつ発信してまいりますので、どうぞ気楽にお付き合いください。ノシ
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