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キヨシロー

どちらのキヨシローか?

渥美清さん
山下清さん
ビート清さん

思いつく限りのキヨシさん出てまいりましたが‥

あ!氷川きよしさん

少しお若いところのお名前も出てまいりました

でも、いずれも
「ロー」が足りません

忌野清志郎のキヨシローなのですから

今年

note をはじめて沢山自分の「好きなこと」を思い出してきました

その中でも

わたしはだいぶんキヨシローが好きだったなあ

って

忘れていた事

もろもろっと

思い出すのです


キヨシローの歌聴くと

好きすぎて泣いちゃうから

あんまり聞けなくて

好きだけど忘れている事にしよう?

そんな風に過ごしていました


去年か

そのもう一つ前の年か


いいえ、やっぱり去年です

そんなだいぶん好きな清志郎氏の本が出ていて

購入したのだけれどけど

直ぐには読めないでいました

何故だかわからないけど‥

‥いいえ、本当はわかっているけど

でも、5月に忌野清志郎特集の番組があって

放送を見ていると

やっぱりやっぱり

だいすきだだいすきだと涙流れて

だから

ちゃんとその本も読もうと思いました

そして

好きな事してもいいのだ

先になるだけ好きな事を優先しよう

この本を読んで思いました


中学生の頃からの清志郎氏のファンであった著者は
紆余曲折ありつつも実際に物凄い情熱でマネージャになる事を叶え
RCサクセションが売れない時
売れて行く時
売れた時
それから
無期限の活動中止になって
離れて
再会して
清志郎氏の病の時
復活の時
そして又これからと言う時
さようならの時

40年
近くで見ておられた記録です


読んでいると

もろもろっ

もろもろっ

ずるずるっ

ずるずるって記憶が蘇ってきます

ぼーちゃんの鼻水より長くながく

私のアホみたいな思い出が
(ぼーちゃんの鼻水ファンの方ごめんなさい)

蘇ります


1983年 

確かこの春に
音楽番組ではじめてRCサクセションを見て
世の中にこんな人がいるんだ!と衝撃を受け

はじめてのコンサート

中学2年生
友達と学校をサボっちゃって汽車で2時間程の会場へ行きました

熱気で
ステージ前におねいさん達が押し寄せて
頭をぐるんぐるん踊り狂っている‥

近藤真彦のコンサートしか行った事のなかった私
あまりの興奮にステージ上のRCがどんな風だったのか
記憶がありません

でも何より記憶に残っているのは
会場を出ると私の父が迎えに来ており
終始無言で汽車に乗って帰った事は
はっきり覚えています
トンネルの中
窓に移る
青白い般若な父の顔を

多分会社も早退して心配して迎えにきてくれたの
申し訳なかったなあ

おんなじ年の夏に
サザンオールスターズとの共演が真駒内スタジアムであり
桑田佳祐が「RC」に完全に負けましたって言っていたらしいですが
清志郎は勝ち負けじゃねぇよな〜なんて言っていたそうです
なんと豪華な共演だったのでしょう

これは「行きたい」と随分ごねましたが
ラジカセ壊れてしまっていたので
買ってあげるからって
赤いラジカセで
我慢させられ?ました
昔は、ラジカセ必須で命だったから
仕方ないですよね


といえば
缶ペンに「清志郎命」とか
書いてました
今の若い人は
そんな風に
「◯◯命」なんて書いたりしないのかしら?

そういえば私の住んでいた街にもコンサート来てくれた事があって
こっそりリハーサルの舞台裏に忍び込んだ事を思い出しました

ごめんなさい
もう時効ですよね?

ファンクラブにも加入していたので
必死でチケットの先行発売日に電話した事も思い出します
当時はチケットが送られて来て何列目が当たったか確認するの
ドキドキドキドキして楽しかったなあー
あんまり良くない席だったら
落ち込んだりして
平和な時間でした

当時は盛り上がって
ステージ前に寄せていき
そうだ、キヨシローのふくらはぎを触った事があります


一度だけ
RCではなくて「ラフィータフィー」での活動の時には
握手をさせていただいた事もありまして

オーバーオールを履いたキヨシローは
妖精みたいで
フラ〜フラ〜と揺れながらたっていて

皆右手で握手しているから
左手で握手してくださいって言って

あれはキヨシローだったのかなぁ


ファンクラブにファンレターを書いて
載せてもらえてポイント券もらったり

一刀両断って言う相談コーナーに
お手紙を書いて
答えてもらった事も‥

キヨシローに自分の書いたもの読んで
答えてもらったなんて今思えば
結構凄いなぁ
なんて

色んな事思い出します

そう「奥尻を救え」で
泉谷しげるさんや沢山のミュージシャンが賛同した公演の時には
前日泊まった宿の物と思われる「浴衣」を
清志郎氏が投げたのをゲット
(当時ティーシャツを最後に会場に投げるお決まり?がありました)
友達とすぐさま浴衣の匂い(香り)を嗅いだ事
懐かしいなぁ


夕張での
復興支援の公演では
舞台入りする車に乗ったキヨシローを
見かけたのですが
横顔
前だけをみていた
キヨシローの横顔
綺麗だったなぁ


夏の野音
蝉の音
凄かったな〜


ずるずるずるずる〜って沢山思い出しました

そろそろ鼻水かんだ方がいいですかね‥


時折り夢を見ます
キヨシローのコンサートに行く日は、いつも嬉しくて嬉しくて友達と早めに
出掛けてたっぷり余裕があったのに、夢の中の私はチケットを忘れてしまったり、出掛ける前に何か用事が出来て困っているのです

そしていつも夢の中の私はキヨシローが死んでいる事を忘れてしまっている


著者の片岡たまきさんが

キヨシローとのお別れの時こう思ったそうです

頭の中で、そういう哀しみはそういう部屋に入れた。
再燃しなくて済むように、そういう部屋に入れるのだ。
それでおとなしくなるまでそこに仕舞っておく。
自分の感情からどうしようもなくはみ出てしまう感情を受け入れる部屋だ。
そういう部屋を持つのだと、このときに納得した。



この本を購入してきたものの直ぐに読めなかった理由は
ステージ衣装で横たわる清志郎氏との対面の様子があり

私は清志郎氏が亡くなられて15年がたち、5年前にはお墓参りにも行けたし
亡くなられた事を充分に分かっているのにそれでもまだ、まともに見詰める事が出来なかったのかもしれません

たかがいちファンの自分なのに不思議です


それから、こうも言われます

この世での活躍が終わった清志郎の体は、焼かれて仕舞ってもうない。
白い骨になった清志郎を見ても、もう清志郎には会えないのだという現実感が湧かなかった。湧かないものは湧かないのだ。
だから、清志郎は死んじゃったんだと自分で自分に言い聞かせるのはやめた。
いつかきっとわかるときがくるだろう。

これから先、清志郎に訊きたいことができても、自分で自分に訊いて答えを
出さなければならない。そういうとき、自分の中の清志郎に訊くのだ。
だから清志郎はいるのだ。

そう

キヨシローはいるのだ。


終わりに

夏の野音にはじめて行って
蝉の鳴き声を聞いた時
あれ?東京に蝉いるの?って思いました
20代の頃です

驚きのおバカです。

今日もキヨシローのあのナンバーが胸に流れます。

                                                        Photo by ARIGA MIKIO

こんな風に楽しそうに生きていきたいです。


とても素敵な忌野清志郎の記事を書かれておられる
お二人をご紹介させて下さい

クリエイターの「たこせん枝瀬@先生はスゴイよ」さん
         
       『君が僕を知っている』
       『夢助・忌野清志郎〜芸術のことは自分に従う②』
   

クリエイターの「ぷるるさん」
       
       『忌野清志郎のこと』
とても素敵なので是非ご覧になってみてください!


🩵マガジンに追加していただきました🩵
  こころから感謝いたします😊

💕しゃんしゃん様 ありがとうございました。
         「芥川龍之介さんの思いびと」
         「私の標本木」

💕重吉陽一郎〔詩人兼店主〕様 ありがとうございました。
         「芥川龍之介さんの思いびと」
        


最後まで読んでくださりありがとうございました😊
今こうして好きな事出来ている事に感謝です。

















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