ここではないどこかへ
旅に出る時の心境は、いつもこれです。
昔、「♪ど~こか遠~くへ行~き~た~い」という歌もありましたね。
行きたくなるどこかがあるのではなく、どこでも良い。
ここに居たくないというのとは違い、自分を異動させたくなるのです。
休みが取れない時は、ただ電車に乗って駅に降りずに過ごしたこともありました。
見知らぬ路線のバスに乗ることも、たぶん好きなんだろうと思います。何故ならば、記憶に残っているのはそんな移動時の景色だからです。
わざわざ他人に伝えるまでもないこと。特徴のない説明しづらい記憶。
こういうものは、例えれば普段の食事と一緒で、まるで名前のない料理のようです。
山口県の萩からバスに乗り、里山を超えて長々揺られた時に見た、川に佇む真っ白な鷺の姿。日本昔話に出てきそうな山の形と、ひそやかに建つ民家、田んぼ。コスモス。
島根県の辺鄙なところにあった人気のない神社と、蛙の声。
海岸線を走る小樽までの列車の風景。
福岡のホテルで受けた素晴らしい癒しのマッサージ。
伊豆稲取高原のすすきと、タクシー運転手さんの話し。地元の方の快い親切。
奈良の筆屋の女性との会話、墨の香り。
伊勢でお賽銭が尽きた後にコインを落としてくれたキツツキ、月読宮のある皇大神宮別宮の空気感。またね、と言ったら返事をくれなかったお爺さん。
高野山でハグしてさよならしたオーストラリア人の新婚さん、ケーブルカーで荷物を運んでくれたアメリカ人。毎夜見上げた満天の星空。
幼い頃に遊んだブランコが残っていたこと。
他からすれば、だから何だ、ということばかりです。けれど、国内外にかかわらずわたくしの旅の実感はそんなもので出来ています。
素晴らしい建造物や芸術品、お買い物、お食事の記憶はありますが、○○といえば◎◎、の◎の部分がずいぶんと些末なのです。
おそらく、旅の移動中の揺らぎ感を楽しんでいるのだと思います。飛行機が飛び立つ瞬間なんて、だ~い好きです。
これでは、あたかも子供が旅行に行って何も覚えていない現象に近いですが、もう、そういう生き物だから仕方なしと諦めています。
みなさんは、いかがですか。
そういえば、千葉の香取神宮を訪ねた際に、気が付けば降車駅を乗り過ごしたことがありました。
引き返すにも無人駅で、いつ電車が来るのか、どこから乗るのかもわからない。検索しても、嘘みたいな時間にしか電車は走っていない。ホントかな。これじゃ、参拝時間終わっちゃうよ。。。
ええい、とりあえずと思い引き返す方向に歩き進むと、住宅街はいいものの、本当に人っ子一人見当たらない。タクシー、絶対ない。
おいおい、私、これでいいのか、と心配になり、おうちのピンポンを押して聞いてみようと思いました。よし、ここにしよう。人差し指を伸ばして門に近づく。
と、遠くに動くものが視界に入りました。
建物から出てきたおじさま3人。おお、よしよし、逃すまいと、お声がけをしました。随分緊張した(わたくしではなく、相手方が)雰囲気で、走り寄っていくのを待っててくださった。
「ええええええ~!」と一様にのけぞってハモったおじさまたち。
とても歩くなんて無理だよ、どうする、と3秒悩んで
「僕たちはこれから仕事で移動するから、近くまでこの車に乗って行ってください」
と、何と車の席を空けてくださいました。
「せっかくだから、助手席で風景を見ていってください、田舎でね、な~んにもないけどな、アハハ」
「それにしても、よくこんな場所で道を聞けましたね、ちょこちょこ移動するぼくたちですら普段ここにいないから、絶対ひとには会えなかったはずですよ」
などと、珍しい生き物に出合った感を隠し切れないおじさまたちは、地方のガイドまでしてくださいました。
キッコーマンの名前の元という亀甲山を観ましたよ。
綺麗な空気の風に吹かれて眺めた田んぼの緑の本当に美しかったこと。とてもとても感動しました。柔らか~な穂が、黄金色になるのも壮観でしょう。素敵な場所でした。名前はわからないけど。
結局、話しがはずみ、神宮まで送ってくださいました。
「ここからなら、タクシーも呼べるから大丈夫。帰れるでしょう」と、まるで子供かフーテンの寅ですよ。
お仕事、遅れちゃいましたねとお詫びすると「いいのいいの、自分たちでやってる仕事だから大丈夫。楽しかったよ」「私も」と手を振り合いました。
・・・
すでにお気づきかと存じますが、ハイ、このあとしっかり参拝したのは確かですが、わたくしの香取神宮への旅は、この記憶となっております。
香取神宮といえば、風に吹かれて知らないおじさまたちとドライブ。
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