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自分自身を決めつける人は、他者をもカテゴライズして差別する

「ゲイだから」 
何度使っただろうか、この言葉。 

出来ない理由、挑戦しない理由を持ち出すには、都合の良かったこの言葉。 

これまでそうやって自分自身を安心させて来た。 

でも、最近思うこと。 
「ゲイ」っていっても1人1人見ていけば、全然一括りに出来ないということ。 

確かに、傾向としては女性的な人。 
多いのは分かる。  
けど、だから何だ?っていう話。 

自分のやりたい事とか、目指す姿を諦める要因にはならない。   

というか、思考を放棄する手段にしてんじゃねえよ。    

自分に何ができるか、自分だったらどんなことをしたいか、ちゃんと頭使って考えろよ。

そうやって、「自分は〇〇だから、できないんだ」とか自分で言う奴は、 
他人をも、属性で判断するんだろ?

「シングルだから」   
「〇〇世代だから」
「男だから、女だから」 
「〇〇人だから」 

自分の得意不得意を見極めることは大事だし、
やっぱり出来ないことをもある。 

けれど、人生を悲観したり、ものごとが上手くいってない時に 「それら」を使うのはなんともアホらしい。 
そもそも、そうやって嘆いたって意味が無いし。

「じゃあどうしたら現状を変えられるか」頭でちゃんと考えろよ、自分。 

(大学受験の時、追い込みすぎで精神安定剤薬 を使うようになってしまった自分。 
じゃあ逆に聞くが、「薬を使う」行為は全ての「ゲイ」が皆がしたのだろうか?
違うでしょう? 

自分の思考の癖や、性格だったのではないか? 
そうやって自分自身の問題を、「ゲイだがら」にすり替えていたのではなかろうか? 


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