可能性のカタマリ

将来が見えなくて不安。
もともと見えなくて当然なのかもしれないけど。
この不安の正体は何だろう。
生きていけなくなる、という恐怖からだろうか。

どうしたら一日を満足した状態で終えることができる?

自己啓発やら、素晴らしい芸術に触れるやらで、やる気が一時的にとてつもなく上がってくる。
夢と希望を抱き、大きく胸を張って、力強い足取りで。
そして目の前は、可能性であふれかえっている。
直後に、「自分の力のなさ」が襲ってくる。
「よし!俺も何かをやってやろう!」と意気込んだとしても、「持ち手がなく何もできない自分」がセットでついてくる。

顔を上げればすぐにゲンコツが待っていて、下を向くことしか許されていないみたい。

やるべきことをやったとしてもすぐには変わらないという事実。
わかっていても、その進歩の遅さがもどかしい。

でも、いったい自分はどこに向かっているのだろう。
割り切ることができれば、もっと生きやすくなるのだろうか。

「考え」ではなく「悩み」をこじらせて、糸が張り詰めていく。呼吸が浅くなっていく。
ふとあたりを見渡すと、何事もなかったかのように世界は動いている。
頭は緊急事態。あたりは通常運転。
悩んでいるのが馬鹿らしく思えてくる反面、なぜ君たちは気にかけてくれないのか、と見当違いな怒りもわいてくる。

あまりにも周りの世界がいつも通りで、もしかしたら自分がいなくなっても変わらないのではとも思えてくる。
いや、実際そこまで影響は出なそうだ。
自分はそこまで特別ではない。

必死にもがく毎日。もがいてもがいて、それでも霧は晴れなくて。
止まることが許されないような毎日に、だんだん息が上がってくる。
きれいごとなんか通じない、この原始人たちがすむアスファルトのジャングルの中で、
震える足に気づかないようにして今日も、可能性のカタマリをしょって歩いていく。


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