#2 【言語化】についての言語化
このページを開いてくれてありがとう。なとまきです。
今日は言語化について書いてみようと思います。
言語化って何?うーーん
とりあえず辞書を引こう。
他のサイトも見ます。
このサイトめちゃくちゃわかりやすかったです。助かる~。
個人的には自分の抽象的な考えや思考、名前のない感情を言語に置き換えることだと思っています。
あと、最近よくメディアとか書籍でも言語化の話、よく見ますね。
活字を読む時間が取れてなくて何も読めていないけれど、有名なのはこの辺だと思う。
時間が取れたら読もう。多分取れないけど。なんちゃって
さて、ここからが本題です。
この記事で私が一番書きたいのは、言語化能力っていうのはスキルの有無よりもむしろものの見方とか伝えようとする姿勢の蓄積なんじゃないかってことです。
ひとつの物事やその状況を人に伝えたり説明したりする際に、それをいかに多角的に見ることが出来るか。
ないしは多角的に見た上で、そのうちのどの視点を選んで伝えるか。
相手の立場に立って、どれを選べば・どう説明すれば伝わるか。
っていうのを考え続けた結果が言語化がうまいか否かっていう要素に表れると思っています。
だから言ってしまえば、相手のバックグラウンドやいま置かれてる状況を思いやるってことかな。
なんだか薄っぺらい表現に集約されてしまうけれど。
ここで大切なのは、考え”続ける”っていうことだと思う。
伝えることを諦めることってすごくすごく簡単で、楽です。人と関わっていれば意見が合わないことはいくらでもあるし、相手がこちらの意見をなかなか分かってくれないときだってよくあります。
そんな時にまあ所詮他人だから分かり合えないよねとか、本当は納得がいってなくても衝突が面倒でその(相手の)意見でいいよって言ってしまうとか、相手がこっちの意見を聞く気がないから自分が大人になって譲ってあげるんだ、とか、やりがちです。私もよくやってしまいます。よくないね。
これって、相手に伝えることを諦めてるんですよね。というか、自分の考えの甘さや伝え方の至らなさを認識して、改善させたり他の伝え方をしたりっていう手間をサボっているんだと思います。
もちろんどう頑張っても話が通じない人はいるし、その場をうまく収めるだけなら諦めたって別に問題はないけど、なにかいいものを作り出すことや人と人が分かり合うことはできません。少なくとも私はそう思う。
自分と他人の意見が違うことは大前提です。同じ環境や経験を共有していても、そこから感じることは本当に人それぞれだし、共有している以外の環境はすべて異なるくらいに思っておいた方がいい。ってこれ案外忘れがちですよね。わかる〜。
その上で、いかに相手の立場に立って思いやることが出来るか、多角的に物事を見ることが出来るか。
それってすごく難しいですね。
(私もこんな偉そうに語っておきながら、できてないんだろうなぁって反省の日々です)
言語化についての言語化、うまく出来ているかわかりませんが、少しでも伝わったらうれしい。
ここまで読んでくれた人、どうもありがとう。またね。
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