俵屋宗達の描く水墨画は売れ筋
━そろそろ、かからねばならんな……
元和■年の壱月、下京の○○薬師▲▲小路 ◆◆神社の隣にある俵屋工房の屋敷
夜明けと共に目覚めた宗達。
昨年から依頼のあった水墨画をそろそろ仕上げねばならない。
だが、宗達は浮かない顔だ。
絵の工夫ならいつも心を尽くしてきた、ところが、水墨画は形式ばっていて、闊達さや不自由さを感じており、どうにも筆が進まない。
“人のまねなど面白くないが …… たらし込みか! ”
“俺なら金銀泥絵の表現力を活かした画法で、町衆も喜んでくれる絵を描けるかもしれない”
くみ上げた井戸水で顔を洗いながら思った。
━令和6年 静岡市美術館
「墨梅図」(*1)を前に佇む二人がいる。
ヨシコ
“宗達の水墨画って、見慣れないわね”
クニオ
“確かに宗達と云えば、金銀泥絵や装飾料紙が有名だからね”
俵屋宗達は江戸前期に活躍し、琳派と呼ばれる流派を創設した一人だ、宗達はやまと絵を基本として装飾的で絵画的な画風に特徴がある。
宗達が生み出したとされる「たらし込み(*1)」と呼ばれる技法は、色を重ねることで境界線が曖昧になり味わい深い質感を出すことができる。
“この下から上に突き抜ける垂直性を際立たせる表現がえぐいね”
と絵に語り掛けるようにクニオがつぶやく。
“イヤイヤ 上から下と思うんだけど ”とヨシコ
“そうかな どうしてそう思うのよ? ”とクニオは首をかしげた。
“この右上から垂れる枝がねー 左下の「く」の字に曲がる枝と合わせて、右上から左へ流れているじゃない”
確かに梅の根元がいったん画面から消えて、再び右上から現れる構図となっている。
これはトリミングという画法で狩野派が得意としていた、宗達はトリミングも匠だ、有名な風神雷神図屏風(京都国立博物館蔵)でもこのトリミングの構図を採用している。
“イヤイヤ 垂れた枝は 唐突に途中で三角形を描き、左斜め上に向かうでしょう …… だから上昇が基調だと思うよ!“
“そうかなー ”
ヨシコは下降説を否定され悔しさをにじませながらつぶやく …… ハタと何に気付いたらしい。
“よく見ると三角形が三カ所見えるわね、垂れる枝の唐突三角形と ほらココ 左下の若木が「く」の字に曲がることで現れる三角形と、それから根元の幹が描く三角形 そうよだから この絵にかくされたモチーフは三角形じゃないかな”
と得心を得たかのように言い放つ。
“三角形? …… まさかね …… 三角形が隠されたモチーフ ?”と考え込む。
そういえば、斜線を基調とした幾何学的な構図も日本画の特徴の一つ、巻絵でも吹抜屋台という構図法は斜線が多用されている。
そう言われると、やけに三角形が目に付く …… いやいや …… 本質を見誤るなとばかりに、まぶたに焼き付けられつつある三角形を必死に振り払う。
ここは渾身のストーレートを放ってヨシコの口を塞ごうとばかりに。
“この絵の見どころは、根元から芽吹いた若木が背筋を伸ばして凛と立つ姿だと思うな!
トリミングされた垂れる枝や、斜めの線はあくまでも、凛と立つ梅を際立たせる構図だよ“
しばしの沈黙が……
クニオの指摘に構うことなく
“っていうか モチーフや構図の単純化が見て取れるわね!”
目をしばたたかせるヨシコ。
“単純化 ? うーん“
なかなかいいところに目を付けたなと、つい頷いてしまうクニオ。
クニオの渾身のストレートも残念ながらヒットしなかったようだ。
確かに装飾性は排除され、背景の描写も省かれ薄墨が微妙に掃かれている、少数のモチーフ(というより梅だけ)で画面がシンプルに構成されている。
さらに梅の幹や枝、つぼみも墨の濃淡だけで描かれ、洞や枝は「たらし込み」によるアクセントがおしゃれだ。
“シンプルだけど柔らかくて洗練されている”
本当に心が和む
“墨だけだけど、幹や枝の質感が良くとらえているよね つぼみはさらに白く見えるしね”
クニオの返事に満足した様子で
“でしょ こんな表現も、この時代だからこそ可能だったのよね”
宗達が単なる町絵師から「法橋」地位が与えられたこと等、室町から江戸期かけて町衆という新しい層の勃興、新しい商人や庶民層の形成が、これまでにない自由な表現を支えたのだろう。
思いのほか長居をしてしまったようだ、二人は満ち足りた思いで美術館を後にした。
━元和■年の師走、俵屋工房は活気に満ちていた。
水墨画の注文が殺到している、宗達の描く水墨画は俵屋工房の売れ筋の絵画となった。
“やはり「たらし込み」の効果だな 晦日まで忙しい日が続くな ……”
と空を見上げる。
風花が舞っている “山は雪か!”
(*1)たらし込み
俵屋宗達が初めて生み出した日本画の画法、色を塗った上に乾かないうちに、別の色を垂らすし、滲みの効果を生かすことで、境界線が曖昧になり、味わい深い質感を生みだすことができる。
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