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辞めたいのに辞められなかった剣道③

中学に上がり、親戚の脅しに屈する形で剣道部に入った結果、更なる災難に見舞われた

ひとつ上の年代の連中(世間一般では先輩と言う)からの暴力行為が強まったのだ

元々小学校時代から同じ人等からそういう目には度々遭遇していたが

中学校という年功序列の意識が強まる環境下で羽目を外した奴等から

暴言は勿論、暴力まで振るわれた

制服から道着への着替えの最中にパンツを剥ぎ取られたり
「肩パン(肩にパンチ)させろよ」と問いかけられ、断ると問答無用で力任せに殴られるので結局「はい」と受け入れ殴られる他に選択肢がない一方的な暴力が日常的に行われた

それだけでは収まらず、同じ建物の中で部活をする柔道部の上級生までその暴行に加わってきた

「技の練習するからお前が練習台になれ」と無理矢理柔道場の方へ連れて行かれて否応なしに投げ飛ばされ

更には、柔道の技でも何でもなく両手を剣道部の上級生に、両足を柔道部の上級生に掴まれては

戦争映画で大きな墓穴に放り込まれる死体のごとくマットの上に放り投げられた

部活開始の予鈴が鳴るまでの準備時間中はずっとそうした暴行が続けられていた

そんな事が半年以上続けられ、我慢の限界に達した俺は、授業の合間の休憩時間を利用して柔道部の顧問に相談をした

部活以外で接点がなかった剣道部の顧問だと相談しづらかったが、柔道部の顧問は受けていた教科の担当教師だったので話をしやすかったのだ

結果、柔道部の顧問から当該生徒に指導が入り、連鎖的に剣道部の連中も加担していた事が剣道部の顧問にも親にも伝わり

一連の暴力行為は終息に至ったが、親からは

「なぜ剣道部の顧問に相談しなかったんだ! 剣道部の人間が最初に手を出してるんだからこっちの顧問に相談すべきだろ!」

と文句を言われた

当時の自分には「職員室に生徒が足を踏み入れてはいけない」という強いイメージがあり

実際、職員室に近づくだけで先生方から注意されたり不審そうな眼差しで睨まれることが小学時代の頃から中学に至っても続いていたため

名指しで先生から呼ばれるとき以外は近付いてはいけない場所だと思っていた

かと言って加害者の居る練習場内で剣道部の顧問と相談するのも気が引けた

こうしたことを親に伝えても理解はされなかった


鬱々とした気持ちを引き摺りながらも剣道を続けていたが

中1の終わり頃のある対外試合の時だった

自分も選手として参加していたのだが
相手と対戦して鍔迫り合いになった時、相手の胴がガラ空きだったのに気付いて思い切り引き胴を繰り出したところ

見事に3人いる審判全員が旗を上げ、一本が決まった

結局そのあとすぐ相手に2本取られて巻き返され、試合には負けてしまったのだが、自分の中では相手から一本取れた事自体が嬉しかった

試合を終えて自分のチームの待機所へ戻り引率のコーチ(顧問とは違う)から反省を聞く流れだったのだが

「胴なんかで勝つな!」

というお言葉を頂いた

負けた内容に関して文句をつけられるのは理解できるし、勝った内容でも途中で改善が必要な点が見られたら指摘されるだろうというのも理解できるが

ルールに則った技で決めたのにそれすらも否定されるのかという絶望が襲ってきた



この人物、スポ少時代からの剣道の先生だったのだが中学の剣道部でも時々、コーチとして顔を出してきていたのだ

しかも、複数いたスポ少の先生方の中でもかなり強い立場の人物で こだわりがあまりにも強かったのだ

面以外での勝ちは認めない

そういう人物だった

どれだけ相手と身長差があろうと頭頂部を竹刀で狙い打てと言うのだ

低身長の俺には極めて厳しい条件なのに

と言うか

それはお前自身の美学であって、教え子にまで押し付けるべきものじゃないだろう

今にすればそう思えるのだがともかく当時の自分はコーチのその言葉に酷く打ちのめされ

本格的に何故剣道をやっているのか(やらされているのか)が本当にわからなくなっていた

そんな事があったすぐ後

剣道の顧問の先生が家に来た

母曰く「暴行騒ぎの時にお世話になったから、そのお礼に」と招いたらしいのだが
母親から『第一に先生に相談しなかった事への謝罪をしろ』と、先生が来る寸前に釘を刺されていた

この時先生とどういう会話をしたかは正直覚えていないが、先生は特に怒った様子もなく穏やかに会話をしていた

しかし、当時は大人全員に対して漠然とした恐怖を抱いており、このときも親や先生を怖く感じて緊張しきっていた事と、先生が帰り際に一本の木刀を差し出してきてくれたのを覚えている

「毎日10回だけでもいいからこれで素振りしてみな」という感じの事を言われて受け取った

【虚無槽君へ 継続は力なり (顧問の名前)】

受け取った木刀には自分の名前と先生のメッセージと名前が木刀に書いてあった

次の年度には、顧問の先生は他校へと転勤してしまった

生徒一人一人の技量に合わせた指導をしてくれていたので嫌いな先生ではなかったお陰でこの年は頑張ってこられていたのだが

翌年で遂に我慢の限界を迎えてしまった

後任の顧問が毎日のように威圧と罵声を放つ人間だった

剣道の強豪大学を卒業し、教員に就職した20代の先生だった

道場以外の場所でなら気さくに生徒たちと会話したりふざけあったりするような先生だったのだが

部活が始まり、道場での指導となると人が変わった

竹刀で床や壁をバンバン叩いて怒鳴り
時には生徒を叩いて欠点を指摘した

前時代的な指導者だった


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