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辞めたいのに辞められなかった剣道④

道場のあちこちを竹刀で叩き、怒号を響かせる前時代的な顧問に変わってから半年以上経った頃だろうか

具体的にどの時期だったかはもう覚えていないのだが、1・2週間ほど不登校になった

たかだかその程度の期間で不登校と呼んで良いものかどうかはさておいて

心境的には
1割:クラス外の生徒で関わりたくない奴がいるから
2割:勉強がうまく行かないから
7割:剣道に行きたくないから

が、登校しなかった理由だった

はじめは単なる病欠だったのだが休んでいるうちに
『治ってしまったら部活に行かなければならない』と考えるようになってしまい
心はもちろん、身体も重苦しくなっていった

3日目あたりには体調自体は問題なかったものの『登校したら最後、部活までやらなきゃいけない』という思いから

「本調子じゃないから休みたい」と言い訳し

4日目、5日目も同じ理由でズル休みとも捉えられるような休み方をした

その翌週の朝、学校に行きたくない事と剣道を続けたくないことを素直に母に伝えた

どうせまともに取り合わないだろうと諦めていたが、このときは何故か聞き入れて貰えた

結果、母から剣道部副顧問兼クラス担任の先生に、そして顧問へと話が流れていき

しばらくの間学校を休んで良いという話になった

学校を休んでいる間、祖母から

「あんたがちゃんと学校に行かないとお母さんが教育委員会から文句を言われるのよ!」

脅しを掛けられたが、自分の中では最初の病欠の日から数えてキッチリ2週間目の朝には登校するつもりでいた

どうせ自分の意思をあの祖母に伝えても全否定するであろうから黙ってうんうんと頷くだけでその場を凌いだ

その後の不登校期間中、家に部活のコーチがやって来た

過去8年間に渡り、剣道でお世話になっていた先生ではあったのだが

同時にもう2度と見たくない顔でもあった

8年間剣道を続けてきた俺の意思を確認するつもりだったのだろうが、顧問でもないのにでしゃばりが過ぎるように思えた

ましてや『この年度からはコーチに入らない』という話まであったのに(実際、来ていなかった)

いざ、先生を目の前に自分の意思を伝えようとしたのだが

様々な感情が込み上げてきて泣き出してしまった

こんな時ばかり妙に優しい声で話しかけられて来たので『この人の期待を裏切りたくない』という感情が沸いた

『今まで剣道でお世話になったのに、途中で投げ出すなんて悪い事だ』と思った

だが『ここで剣道から手を引かなければ一生縛り付けられる事になる』と言う思いがせめぎ合っていた

言葉を紡ぐことができず泣いていた

先生にも親にも返事を求められたがずっと泣き続けていた

返事を求められている間にも続々と感情が湧き出した

『中学に上がったら縁が切れると思っていたこの先生がなぜ中学の部活のコーチまでやっていたのか』

『なぜ顧問ではなくこの先生に話を通さなければならないのか』

『こいつのせいで剣道というもののハードルがクソほど高くなっていたのに』

『こんな思いをするくらいなら剣道なんてやりたくなかった』

謝罪・悔恨・疑問・怒り・後悔

すべての感情が混ざり合い、葛藤し、頭がパンクした結果、泣くことしかできなくなっていた

親も先生も泣き続けていた俺の姿に呆れた様子だったが、俺が剣道を辞めるという方向で話はまとまった


その後、中3になってからの剣道部はまた顧問が代替わりし、新任の先生が顧問を務めることになった

新任の顧問とは、校内で顔を合わせる機会は少なかったが1度だけ「剣道部に戻ってこないかい?」と尋ねられたことがあった

返答の際、言葉よりも先に体が反応し、思いきり首を横に振ってしまった

クラス担任の先生もその場の会話に立ち合っていたが、2人の先生方の予想を超えた俺の行動にはどちらとも驚いていた様子だった

「籍は残しておくからまたやりたくなったら戻っておいで」と先生方から声を掛けられた

当時の心情としては『籍が残る=練習に出なければならない』というような気がして籍すら残して欲しくはなかったのだが
「練習は出なくても良い」とはっきり言われたので渋々承諾した

大人目線で考えれば『籍の無い人間に突然練習に参加されても困るから便宜的に残した方が話がスムーズに進む』と言う事だったのだろう

学校と言う組織内でそういう対応をしてくれただけありがたいことだったと今なら思えるが

当時は『これで練習に行かなくて済む』『申し訳ない』『本当にこれで良かったのか』と

自分の中のわだかまりの処理に精一杯で、対応してくれた先生方への感謝へ気を回す余裕が無かった

剣道から離れてひと月ほど、校内で剣道部員の友達と会話した時

「今の先生めっちゃぬるいよ、戻って来れば良いのに」

と誘われることもあったがそれでも戻りたくなかった

「前年度があれだけ酷ければそりゃあ誰が後釜でもぬるく感じるだろうよ」とも思ったが

剣道を続けることの意味ももう自分にはほとんど無くなっていて、むしろこのタイミングで戻ることの方が恥ずかしいことのように思えた

その前年度の顧問とは校内ですれ違うこともあったが顔を合わせれば必ずバカにしたような表情でこちらを見て行った

厳しい練習に耐えられなくて辞めた腰抜け程度に思っていたのだろう

実際、彼からは練習中

『どうせお前は家に帰ったら「怖かったよママ~」って甘えてんだろ!』

と言う暴言罵声を受けたことがある

お前の言う通りの家だった方がなんぼかマシだったんですけどねえ?

体が小さいと言う理由で差別的な目で人を見て勝手な妄想で暴言を吐く前時代的指導者だった裏付けにしか見えなかった

とにもかくにも

これで8年間の剣道生活からは解放される事となった

今まで自分が使っていた剣道の竹刀・道着・防具と言った物は全部、一番仲の良かった友達の家に譲った

3兄弟全員が剣道を習っていて、一番下の弟の防具のサイズが合わなくなってしまったと母から聞いたので譲ると決めたのだ

もう戻る気がないのに道具だけ大事に仕舞って置くのも持ち腐れな上に、一刻も早く剣道の存在を忘れたかったからだ


道具一式揃えて90年代の当時15万円前後と言われた物だったが惜しくなかった

もっとも、親の金で買っているのだから俺が惜しがる必要もない

ましてや、俺が剣道を辞めると言った段階で母が素直に聞いていればそんな金を出すことも無かった事を考えると当たり前の事である


使っている頃から定期的に日光に当てて干していたお陰で道具の状態は良く、かなり喜ばれていたようだった




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