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二世帯住宅が完成しない #16 黒歴史

「ママ、若くてキレイだね。」

友人からそう言われると、私は少し鼻高々だった。

母は、早くに結婚出産したのもあって、子どもながらに周囲のママより若く感じた。そして、昔からずば抜けて社交的な性格だった。よそよそしい親戚同士の集まりも、彼女がいれば場が持って助かる。

私は母が大好きだった。毎日ハグしてくれたし、「可愛い」「大好き」と言ってくれた。私はあまりにも「可愛い」と言われるので、「私って、可愛いんだ」と一時誤ったアイデンティティを確立したくらいだ。

私の自己肯定感グラフは小4で頂点に達する。毎朝1時間、私は鏡にうつる自分にうっとりしながら身だしなみを整える。ちびまる子ちゃんのクラスでいう城ケ崎さんのポジションであると自身を認識していた。

しかし、実際の私は父親似で、容姿は甘口に言っても下の中。そして肉付きのいいフォルム。とんだ勘違いだった。写ルンです で撮られた写真の私は みぎわさんのようで、アイデンティティと現実との乖離によく混乱した。

そんな私の小話は置いといて、母の話に戻す。

大好きな母であったが、外面が良すぎるせいだろうか。彼女はバランスが保てず、家ではヒステリックになりがちだった。

機嫌が悪いと近寄りがたいのは昔からであったが、母と衝突し始めたのは中学性の頃。いくつかのきっかけから、私は少しずつ母に反発心を抱くようになる。

まず、母は財布のひもが固く、私にお小遣いをくれなかった。
そのため、私は自由に使えるお金がなく、買い食いもできなかった。

女子の放課後といえばマック。付き合いで同席するが、友人が美味しそうにポテトを食べるのを、私は指をくわえて見るしかなかった。ファーストフード独特の食欲をそそる匂いが充満する店内。成長期の私には拷問だった。

優しい友人は時々ポテトを数本分けてくれる。申し訳なく思いつつ、プライドを捨て、私は鯉のように飛びついた。

次に、毎日母が作るお弁当は、見た目の配慮がなく一面茶色だった。
そのため、恥ずかしくて友人と食べる昼休みが苦痛だった。

おかずは肉野菜炒めのようなものが多かったが、いつもそのスキマに苺やリンゴが添えられる。仕切りはない。油でギトギトのフルーツは見栄えも悪く、食べる時は勇気がいる。

対して、当たり前のように鮮やかな配色の友人のお弁当は、羨ましかった。「うち冷凍食品ばっかりw」と言う友人もいたが、見栄えはよいし、揚げ物やエビグラタンが学校で食べられるなんて、なんと贅沢なことか。

この冷凍食品がなかなかのお値段がすることを知ったのは、成人になってから。母が導入しなかったのも納得がいく。

さらに、母は私にケータイを持たせてくれなかった。
当時、周囲はみなケータイを所有しており、友人たちは帰宅後、メールでやりとりしていた。

今思うと、学校でも話すのに、帰宅後までメールを送り合わなくてもよいだろう。しかし「昨日のメール、まじウケたw」など友人同士が楽しそうに話しているのを横で聞いていると、私はカカシのように存在を消すしかなかった。

このままではマズイと思った私は、必死に母にお願いするも、買ってもらえることはなかった。あまりにも私が懇願するので、母のケータイでメールを送ることは許された。

しかし、外出時はケータイが持てず不便する。とある休日、友人が約束の時間に来ず、2時間待ちぼうけしたこともある。帰宅して母のケータイを見せてもらうと「ごめん、お腹痛くて今日はパス」とメールが来ていた。なんともいえない気持ちになった。

以上が、当時の私が母に反発心をもった大まかなきっかけである。

母は、私にお金の大切さを学ばせたかったのだろう。お弁当も見た目より栄養を優先したかったのだろう。ケータイを持たせないことでトラブルから守りたかったのだろう。

しかし、母の一挙手一投足は、学校社会に揉まれる当時の私にとって制約が強すぎた。融通も利かない母に嫌気がさし、私の口数も減っていった。

そして私は、非行に走る。
「学食で食べるから」と弁当は断り、毎日400円もらうようになった。が、実際はコンビニで菓子パンを1つ買い、おつりを小遣いにした。

それでも足りず、ついに、私は母の財布からお金を盗ってしまう。

初めてお金を盗った時、私は大胆にも目の合った諭吉の爺さんをつまみ取った。急いで財布を元に戻し、自室に戻る。

冷静になって、さすがに諭吉の不在はバレるのではとドキドキする。自分の財布に入っていると不自然なので、慌てて本の間にはさむという古典的なへそくり手法にも出た。はさむときは、諭吉に白い目で見られた気がした。お札に描かれるくらい貫禄ある彼の抗議の目に、私は大きな罪悪感を背負う。

しばらくハラハラしていたが、結局母は気づかなかった。

1度成功すると、人間は味をしめてしまう。

当時、私は山Pファンで、NEWSの初回限定版CDも欠かさず買うほどの沼にハマっていた。そのころは既に家庭も学校も楽しくなく、私には山Pしかいなかった。愛する山Pに献金するため、打ち出の小槌のように、何度も母の諭吉と逢瀬を重ねてしまった。

これは墓場まで持っていきたい黒歴史。当時の自分の頭があれば、フライパンで強く叩きつけたい。

つい私の話が長くなってしまった。
ただ母のことを話そうと思うと、私の過去なしでは語れない。それほど親子関係というのは密接であり、親の言動の子どもへの影響力は大きい。
というのを、クローズアップ現代で見た。

今思っても調子に乗っていた私だったが、この悪行は最後までバレなかった。母はお金の管理に厳しいタイプだったのに、なぜバレなかったのか。

この頃すでに、母はロマンスの渦中であった。お金も飛んで飛んで状態だったので、私の悪行もバレることはなかったのだ。

皮肉にも、このロマンスの実態は、共有する母のケータイを通じて私は把握していた。

ここまでお読みいただきありがとうございました!これは二世帯住宅を通じて、「家族」について考える連載エッセイです。スキをいただけたら、連載を続けようと思います。応援よろしくお願いします!

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