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二世帯住宅が完成しない #20 5年

先日、結婚5周年を迎えた。

ありがたいことだ。飲食店も「5年もったら安泰」という。
喧嘩もあったが、私達も安泰か。そうであったら、素直に嬉しい。


「結婚記念日、どうしようか。」

安泰夫婦の我々は、阿吽のブレスで外食先を決めた。

ロシスー で シースー
(スシローで寿司)

夫も私も、寿司が好きだ。
それも、安くてうまいやつ。

ということで、スシローで子ども達と4人でテーブルを囲んだ。

席に着くとゴングが鳴ったように、私達はタブレットから次々と寿司を注文する。この日はなんと、イクラ1皿(2貫)100円フェアをしていた。企業努力に感謝しつつ、指をイクラに向かって連打させる。

ほどなくして注文した皿が、どんどん流れてきた。早速、イクラを頬張り幸せをかみしめる。

「安い」「早い」「うまい」
関西人には最高に効く、スリーコンボ。

恥ずかしながら、私達の記念日はお高いホテルのディナーなどではない。

「いつもの幸せを、いつも以上にかみしめる」
これが、私達の記念日スタイル。いや、ただ貧乏性なだけだ。
だが、こういう価値観は、夫婦で合っていてよかったと思う。

スシローの店内は、イクラフェアで笑福亭鶴瓶の顔だらけ。ムードもへったくれもないが、思わず私達も目が鶴瓶になる。

一家団欒で美味しい寿司を堪能していると、突然、隣のテーブルからクレームが聞こえてきた。

「こんなの頼んでないわよ~!」「そっちが間違えたんちゃう?」

店員は後ろ姿でも困り顔であることがわかった。
「タブレットの注文履歴に残ってますが…。」

「え~、このタブレット?がおかしいんちゃうの?ねえ?」
「そうよそうよ!(3人)」

テーブルには、70代の女性4人が座っていた。

最近の回転寿司店は、タブレット注文が主流だ。衛生的だし、食品ロスも減り、お会計もスムーズ。受付やレジは機械が案内するし、コロナ禍もあってか、回転寿司業界はシステム化が劇的に進んでいる。

ただ、シニアには扱いにくいのが難点だ。

店員は「注文してない」と主張された皿を渋々下げた。老女たちは「間違えないでほしいわ~」「ほんと~」などと言いながら、慣れない手つきでまたタブレットを操作する。

履歴が残っていたのであれば、客側が押し間違えたのだろう。店側に非はない。私はしばし店員に同情したが、気に留めても仕方ないので、目を鶴瓶に戻しイクラに手を伸ばした。

その日は、イクラだけで夫婦で10皿以上食べた。我々はお会計を済ませ、何かに勝利したような満足感を得て、店を出た。もう結婚記念日であることは忘れている。

帰り道。
夫が「さっきのおばあちゃん達さ~」と口を開いた。

「自分達が間違っていることも気づかないなんて。ほんと店員さんが可哀そうやった。捨てられた寿司も。企業も、高齢者にシステム化の足を引っ張られるのは、難儀やね~。」

「…あんまり爺さん婆さんを笑ったらあかんで。我々もそのうち、ああなるんやから。」

「別に、笑ってないよ…。悲しんだだけ!」

いや、口元はナイキのマークやったぞ。

「店員さんと寿司は不憫やったけど、この程度のシステム化の弊害は、企業も想定内やと思うよ。」

回転寿司店は、シニアの客が意外と多い。これほどにも人が介在せず、システム化が進むと、シニアはそっぽを向くかと思いきや、意外に彼らは負けじと食らいつく。あの老女達も、タブレット操作を諦めることなく切磋琢磨していた。

憶測だが、シニアにとってのちょっとした不便も、「安さ」には代えられないのだろう。どんな高齢者も「安さ」を前にすると、目が鶴瓶になる。企業もそこをよくわかっている。

先日も、腰の曲がった爺さんが、無人レジを巧みに操作して会計するのを見て、私は感銘を受けた。いくつになっても時代の変化に対応しようとするシニアの心意気も、見習いたいところである。

「まあでも、私たちはいくつになっても、横柄な態度をとらないようにしようね。」
「…そうやな。」


私達は、思ったことをすぐに言い合う。
そういう意味では、会話が多い夫婦なのかもしれない。

会話が多いからか、相手が考えていることを予測しやすい。
 私はさきほどの夫の発言を、イクラを食べているときから予知していた。
 
ここまでくると阿吽ブレスの上級者だと、私は自負する。
5年も夫婦をしていると、お互いが一番の理解者だ。

理解し合うと同時に、違和感やモヤモヤを感じることがあれば、言語化して相手に意見する。何でも対等に言い合うようにしている。

「対等」
それは夫婦円満の秘訣だ。

私の母は、時代的に「女は一歩下がって…」を強要され、後になって不満を爆発させた。そして両親は不仲になった。

夫婦は、対等に話し合える関係であることが大切。
私は常々そう思っていた。

しかし最近、「ちょっと違うのかな」と考えるようになった。

30も過ぎると、周囲で仮面夫婦や離婚調停中の友人が数人いる。みな共働きで、対等そうな夫婦だ。

対等なだけでは、夫婦円満というわけにはいかないのか…。友人の話を聞きながら、考えるようになった。
 
そういえば、人間とは面倒なもので、自尊心が刺激されないと、心のバランスが崩れる。マウンティングという言葉があるように、人間は、無意識に相手より優位に立ちたくなる生き物だ。対等では、満足できない。

夫婦間は閉鎖的であるからこそ、相手からの敬意がないと、優位性を感じられず、すぐに関係にひずみが生じる。うちの両親が不仲になったのも、対等うんぬんより、そんな面が原因だったのではないか。

お互いの良い面を引き出して、尊敬し合い、認め合う。それも言葉にして。それができるかどうかで、夫婦関係は変わってくる気がする。


幸いなことに、私達もお互い尊敬し合う面がある。

私は、夫の勉強熱心なところを尊敬している。夫も、私の行動力をよく褒めてくれる。一応、他にもあることはある。定期的に伝えるべきだから、結婚記念日や誕生日に言い合うルールでも作ろうかな。

 「敬意」こそ、夫婦円満の秘訣。

…果たして、それだけだろうか。

無事5周年迎えられたが、私達は「敬意」だけで夫婦関係を維持できたのだろうか。

あとは、夫婦としての…信頼関係?愛?

いや、もう1つある。

優位性の面から考えると、私達はお互いを「アホやな~」と思い合っていることも否定できない。

アホは、愛おしい。

私は、いつもレタスを「キャベツ」という夫に「アホやな」と笑う。逆に、夫は、「ナスダックってなんやっけ?」という私に「アホやな」と笑う。
がっつり嘲笑だ。

そう。私達は、時にお互いを見下し合ってもいる。そうして無意識に優位性を保っている面もある。

ちなみに関西人に「バカ」と言ってはいけない。このワビサビがわかりにくい方は、あほの坂田師匠の喜劇動画を見てほしい。

ともあれ、私達は尊敬する面も、見下す面も、相手の付加価値と感じている。それを認め合うことで、かけがえのない家族となるのではないか。

この壮大な夫婦論を、私は夫に話した。

「アホやな~、夫婦論を語るなんて100年早いわ」と言われた。


アホと言えば、2年前の住宅ローン審査の席にて。

「そんなアホな…」

夫と私は、泡を吹いて倒れそうになっていた。

ここまでお読みいただきありがとうございました!これは二世帯住宅を通じて、「家族」について考える連載エッセイです。スキをいただけたら、連載を続けようと思います。応援よろしくお願いします!

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