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アスリートライフデザインアソシエーション

アスリートのキャリアに関して、ずっと課題感を抱いていた。
そして僕が、人生でチャレンジし切れなかった選択にも大きく関わっていた。
よくメディアで耳にするセカンドキャリア。
アスリートの現役引退後のキャリアをどうしていくかが課題となっている。
自分自身、大学生までサッカーを本気でやっている中で、プロアスリートになりたいという思いがあった。
しかし、自分の実力をサッカー界全体から客観的に見ると、とても長生きできない。もしも、運よくプロの世界へ挑戦できたとしても、代表クラスには到底届かない。軽く自己分析を行いそれほど悩むことなく、就職活動をする事に決めた。
ただ、その判断の根底にあったものは、セカンドキャリアに対する不安であった。チャレンジしたいけれど、その後の長い人生、20代前半から30代をサッカー選手として、細々をやっている方がマイナスだと考えていたのだと思う。

いざ、就職活動を行い社会人となり企業の新入社員になると、改めてサッカーへの関心度に驚いた。一般企業の社員、課長、部長がランチ時に毎日スポーツの話をする。毎回僕は意見を求められる。
することが好きだったサッカー。それほど世界の試合、Jの試合を観ておらず大したことは何も話せなかった。

そんな中、開催された2010年南アフリカW杯。
当時僕は23歳。同世代が台頭し日本中で注目を浴びてメディアに連日取り上げられていた。
その時思ったことは、セカンドキャリアなんて考えず自分でやりたいことを燃え尽きるまでやっていたら。
自分は今どこで何をしていたのだろう。プロアスリートとして居ることができたのか。選手なんて日本や欧州だけじゃなく、世界中で可能性がある。とにかくチャレンジすることが大事だったのではないか。
社会人としてまだ何もできず勉強させていただいている毎日。
新しく新鮮な世界での日々であったが、あの試合でしか味わえない緊張感や達成感。
今後絶対味わえないのか、、、などと思いながら吹っ切れない思いがあった。
ただ、何もできないまま、またサッカーにプレイヤーとして戻る、もしくはサッカー関連の仕事を探す、そんな判断をする自分に納得ができず、
まずは新卒社会人として採用いただいた会社で吸収できることを吸収し成長すると決めた。
決めたものの、すぐ気持ちが揺らいだりと本当にダメな社員だったと思う。しかし、仕事や商売の基本が自然と身につき、そこに人間関係も気がついたらできた。
いつの間にか仕事が楽しくなり、結果を残したいとがむしゃらにやっていくうちに成功体験を得ることができたのだと思う。

同級生のプロアスリート達も同じく、キャリアの全盛期を迎え光り輝いていた。ただ、その頃から彼らからは、『次は何かしたいね。』『指導者ではなくて経営者になりたい。』『お店を持ちたい。』などと、次のキャリアに関する話が増えていた。
時が経ち、彼らが30代を迎え、本気で次のキャリア、引退を意識し始めた頃、いろいろなアスリートから相談がきた。
『あと1年続けるか。続けられるうちは続け、1年でどう動くか。』『いろいろな話をもらっているからとりあえずそこで社員として働くか。』『新しく始めたことを手伝ってほしい。』
30代半ばになれば、ご家族、お子さんもいるアスリートが大半で、携る中で僕の想像以上に非常に大きな不安を抱いていることが伝わった。
一方僕は成功体験を重ね、自信が付きはじめ、今こそ自分自身で新しいビジネスができないかを模索をしたり、部下をマネジメントし始める時期。そして転職や独立を考え始めている時期でもあった。
アスリートのキャリアが短く厳しいと思い、企業への就職を選択した自分。自分が別の選択をしていたら同じような不安を抱いていたのだろうか。競技の実力は遥か上の友人たちでも次のキャリアをここまで考え不安になっている。僕なんてまず、この歳まで現役でやっていないだろうと思った。

そんな相談を聞いている中で、ずっと思い続けていた、サッカー界、スポーツ界に携わる仕事。貢献できる事。選手や指導者の立場ではなくやっていきたいと改めて思った。

小学生、ユース年代、そしてプロアスリートとして輝いていたアスリート達。
彼らが、現役引退後も同じように輝き続ける世界でありたい。
スポーツ界に限らず、様々な分野で輝き、地域・社会から応援され続ける様な世界。
そして多くの子ども達が現役引退後の活躍も含めて、トップアスリートに憧れ、目指し、各競技レベルが上がりスポーツ界でも日本が世界のトップとして活躍できる未来を創っていきたいと思い、2022年7月12日アスリートライフデザインアソシエーションを設立致しました。

https://alda.or.jp/



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