浜崎空

知的障害のある長男と暮らしています 妻と息子二人の四人家族 尼崎で二十年そのあと世田谷

浜崎空

知的障害のある長男と暮らしています 妻と息子二人の四人家族 尼崎で二十年そのあと世田谷

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時間(知的障害のある息子とのこと)

この文は、2017年9月に書いている。 朝だ。 リビングから、長男と妻のやりとりが聞こえてくる。 「青くん、何食べる?」 「タベナイ」 「食べないと学校間に合わないよ」 「ガッコウイカナイ」 長男の青はもうすぐ七歳、知的な障害のある自閉症、 特別支援学校小等部の一年である。 リビングへ行ってみると、腹を出してフローリングに寝転がっていた。 「青くん、学校行かないの?」 「ガッコウイカナイ」 「バス乗らないの?」 「バスノラナイ」 三歳の次男の姿が見えない。 「橙は

    • きょうだい児

      ふたりの息子がいて、長男は青(あお)、次男は橙(だい)と名付けた。 青と橙は色彩学的に補色の関係にあり、 相性が良い色の組み合わせとして、様々なデザインに採用されている。 次男の橙が生まれたのは 長男の青が 「知的障害を伴う自閉症スペクトラム」と診断された直後のことだった。 しかし当時の私はまだ 「知的障害を伴う自閉症スペクトラム」のすべてについて 隅から隅まで無知であったし、 「きょうだい児」となる次男の名に 長男の名の「補色」をあてるということの 意味合いについても、

      • ヤングケアラー(の何を、私たちはケアすべきなのか)

        僕はあなたに感謝します 小さくふにゃふにゃな僕を お湯で洗ってくれてありがとう そのふしくれだった手の温度がなくては 三歩と歩けず立ち止まってしまう僕を 外へと連れ出してくれてありがとう 線路わきの金網ごしに いつまでも 電車が走るのを見せてくれてありがとう なんにも知らない僕をとなりに座らせて お経の読み方を教えてくれてありがとう おたふくみたいな顔をして笑わせてくれて ありがとう おみやげにプラスチックの日本刀を買ってくれて  ありがとう でも 僕はいつのまにか 線路わき

        • ワカッター

          2018年1月 繁忙期で、作業量が多い。 職場から妻へ電話した。 「ごめん遅くなる。青は?」 「パパとお風呂入るって言ってる」 「直接話してみるよ」 妻が端末を息子に向けると 「パパー!」 「おー青くん、元気?」「ゲンキー」 「ごめん青、パパ遅くなっちゃう。お風呂、先に入ってくれないかな」 間。 「パパトオフロハイルー」 そこへ妻が助け船、 「パパ遅いって。橙ちゃんとママと、先にお風呂入ろ?」 間。 「ワカッター」 「わかったの(驚)?」 「ダイシャンママアオ、

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        時間(知的障害のある息子とのこと)

          続ける

          2017年1月 「治るというものではありません」 現代の自閉症児の親が全員、医師から聞かされる言葉だ。 個人的にはほぼ事実と思う。 診断後、健常の国へ籍を移した例を知らない。 ただ、異邦人として健常の国で暮らせる程度に適応することは 不可能ではないと思っている。 それを可能にするのが日々の療育であり、 親としての勝負どころだと思っている。 「治らない」と言われて、 親たちは様々に反応する。 「そんなはずはない、治る」と目の色を変え、 玉石混淆の療育法を片っ端から試す人。

          車窓

          2016年11月 祝日の午前、用事も無かったけれど 長男と二人で外へ出た。 最近はすでに次男が精神発達の面で 長男を追い越しつつあり、 親のほうでも弟と会話する時間が増え、 それが言葉をうまく扱えない兄を 悲しませているきらいがあるので、 何とか機嫌を直してもらおうと思ったのだ。 行くあてもなく下りの京王線に乗って、 落ち着いたところで 「はまざきーあおくん」と声を掛けた。 「はーい」と答えて彼が手を挙げる。 たったこれだけのこと、 出来るようになるまで随分練習したなと思

          立ち食いそばの思い出

          2016年9月 平日の昼食はだいたい立ち食いそばで済ます。 電車通学になった十五の春以来、 のべ何杯食ったか見当もつかない。 プッチンプリンがプリンではないように、 立ち食いそばも蕎麦ではない。 別の食べ物で、両方好きだ。 就職して東京に出てきたころ、 当時の恋人と立ち食いそば屋に入ったことがある。 彼女はそれまで一度も食べたことがなく、 一口たぐって 「何これ、まずいね」と言った。 蕎麦切りと思って食えばそりゃ不味い。 お嬢様育ちにオー・ヘンリーの 「都会の敗北」を気取

          立ち食いそばの思い出

          パパアリガト

          2015年10月 長男、初めての運動会。 父兄でいっぱいの騒がしい園庭に対応できず久しぶりのパニック、 抱き上げた私の肩に顔を埋めたまま動かない。 降ろそうとすると暴れる。 大丈夫、想定内だ。 担任と話をつけ、抱っこしたまま開会式に出た。 その後もなかなか状態は良くならず、 歌では耳をふさぎ、ダンスでは目をふさぐ。 練習では一人でやれていたという徒競走も、 結局、抱えたまま親子で走った。 でも大丈夫、想定内だ。 大切なのは進行の妨げにならないこと、 親が不機嫌になっ

          パパアリガト

          世間

          2015年4月 去年の今頃の話。 育児休業中で、自閉症の長男と毎日散歩に出ていた。 当時の長男は住宅の門扉に拘りがあり、 一軒ごとに取っ手を回さねば気が済まず、 回して開こうものなら 中に立ち入らねば気が済まなかった。 止めると暴れる。 何事かと家の人が出て来る。 それでも謝って事情を話せば皆さん優しくしてくれ、 いいよ門扉くらいと言ってくださり、 おかげで近所を歩くかぎりは次第にストレスも減っていた。 そんなある日、道で コリーを連れた老年の男性と出くわした。 門扉

          デイサービス 

          2014年4月 発達支援デイサービスは本来親子分離だが、 いきなりは無理なので、当面同伴で参加する。 火曜と金曜、午前9時から午後1時まで。 早く分離して楽をしたいが、事を急いでトラブルになるのも怖い。 走り回っている長男を何とか椅子に座らせようとするけれど、 いつまでもうまくいかず、つい声を荒げてしまう。 長男があああと叫びながら玄関へ逃げる。 追いかけて引き留めると、下駄箱から靴を取ってこちらに投げつける。 カッとなって頭をはたくと、火が付いたように泣いて突っ伏す。

          デイサービス 

          四月 長男 公園

          2014年4月 長男と朝の散歩に出ると、 彼と同い年の、普通の子供たちを嫌でも目にする。 通い始めた幼稚園の迎えのバスを待っている。 親と手をつないで。 長男に目をやると、道沿いの住宅の門扉をいじっている。 門扉にこだわりがあり、一軒ごとに取手を回さねば気が済まない。 止めると暴れる。 次の門扉へ移る時、右手を握ろうとしてみた。 払いのけられた。 昼前の公園、長男が遊ぶすべり台に、幼稚園児が二人走ってくる。 真新しい水色の帽子だ。 階段を勢いよく上るが、てっぺんで息子を

          四月 長男 公園

          無知(そして突然、育児を知る)

          2014年1月 2013年、春に長男が 「知的な遅れのある自閉症」と診断されショックを受けていたら、 二人目の妊娠発覚。 夏、障害抱えた息子との向き合いに苦慮するうち、 二人目も男の子とわかる。 12月27日夜、妻の股間に出血あり、 病院へ行ったら切迫早産の危険でそのまま入院。 子宮の張りを抑える薬を常時点滴投与、終わるメドなし。 そんなわけで母と息子は離れ離れ、 父と息子はクレイマークレイマー。 年明けて1月9日、午後になって息子の咳がひどくなり、 軟便や嘔吐もあるた

          無知(そして突然、育児を知る)

          手をつなぐ

          2013年10月 三人で散歩に行った帰り、もう歩けないと道に座り込んで、 抱っこは無いよと親が先に行きかけるのを泣きながら追いかけて、 まあでも、どこかで抱っこしないとしょうがないなと こちらが思っていたら、 おもむろ、妻と手をつないで、結局最後まで歩いた。 息子は、苦手なことがいろいろある。 そのひとつが親と手をつないで道を歩くことで、 だからこんな普通のことだがとんでもなく貴重に思えて、 だから僕は写真を撮る。 春、息子が自閉症と診断された時は、 目の前が真っ暗にな

          手をつなぐ

          四人 ~東京で 離ればなれになったこと

          2013年3月 「猫がいるんよ、うちに」 と、友達が言った。 「猫?」 「そう、ショートヘア」 「何歳?」 「5歳」 その夜、彼女が誘ってくれて、 東京タワーの近くにある中国料理の店で食事をした。 会うのは三年ぶりだった。 「それがね、前に一緒に住んでたひとの猫やねん」 「ほう」 「で、別れるときにね、猫をくださいと  だめもとで言ったんやけど、これがあっさりオーケーで」 「うん」 「驚かない?」 驚かないな、と僕は思った。 「俺が誰かと住んでて猫を飼ってて、  別れる

          四人 ~東京で 離ればなれになったこと

          繋留流産のこと

          2009年10月 月曜 目が覚めると寝室の入口に、外から戻った妻が見え 彼女は「赤ちゃん駄目かもしれない」とひとこと言って 堰を切ったようにそこから泣いた 朝、少し出血があると気づいてかかりつけの産科に出向くと 胎児の拍動が無かったという 二週前の検診で 超音波画像にうつった胎児には、すでに小刻みなリズムが認められ 妻は「こんなに小さいのにもう心臓動いているんだよ」と 感動しきりにその様子を話してくれたものだった 火曜 紹介された中核病院で、繋留流産と確定診断された 繋

          繋留流産のこと

          フィッシュマンズについて 〜世田谷で、佐藤伸治を知った時

          2010年8月 フィッシュマンズを知った時、佐藤伸治はもう死んでいた。 どこかで名前を耳にしたことくらいはあったかも知れない。 1999年の夏に、渋谷のHMVで「Aloha Polydor」をジャケ買いして、 その夜聴いた1曲目の「IN THE FLIGHT」にいきなり引き込まれた。 ガラス細工みたいな音だと思った 佐藤伸治が33歳で死んだのはその年の3月で、 「Aloha Polydor」は、追悼のベストアルバムだった。 僕は東京に出て来て3年目、25歳、 経堂にアパー

          フィッシュマンズについて 〜世田谷で、佐藤伸治を知った時