繋留流産のこと
2009年10月
月曜
目が覚めると寝室の入口に、外から戻った妻が見え
彼女は「赤ちゃん駄目かもしれない」とひとこと言って
堰を切ったようにそこから泣いた
朝、少し出血があると気づいてかかりつけの産科に出向くと
胎児の拍動が無かったという
二週前の検診で
超音波画像にうつった胎児には、すでに小刻みなリズムが認められ
妻は「こんなに小さいのにもう心臓動いているんだよ」と
感動しきりにその様子を話してくれたものだった
火曜
紹介された中核病院で、繋留流産と確定診断された
繋留流産では、胎児は死んでしまっているが
子宮にとどまっているため、取り除く手術が必要になる
「納得できるなら早いほうがいいです」と医師が言うと
妻はすぐに「一番早くなら、いつできますか」
「水曜入院、木曜に手術」
「じゃあそれで」
家に戻ると、妻はさばさばとした振る舞いで
入院の準備など始めて
明日あなたは夜勤だから、病院について来なくていい
夕方まで仮眠をとっていればいいと言う
それがにこにこ笑いながらもずいぶん断固とした調子なので
言うとおりにしたほうがいいのかと少しは思うが
もちろんそうであるはずがない
水曜
もうそろそろ出かけるという段になって
一緒に行ってもいいかと訊くと、うなづいた
道具一式詰めた、いちごの柄のトートバッグは
持ってみると案外重い
最寄り駅近くのコンビニで、普段使わない生理用ナプキンを買い
病院の売店で紙ショーツを買う
「健康ランドみたい」と妻が笑う
四人部屋の窓側のベッドに座っていると
「前日の処置を行います」と看護士に呼ばれた
子宮を拡げる器具を装着するのだという
十数分して帰ってくると
へその下あたりを左手でおさえながら顔をしかめて
「痛い」と言った
なんと返したらいいかわからなくて
「痛いね」とだけ、結局言った
木曜
看護士が、妻のきれいな左腕に
太い針で点滴をする
万が一のとき輸血もできるように、太い管を通しておくのだという
部屋がある四階から、ベッドごと三階へ移る
手術室の自動ドアの前で看護士が
「では行って来ます」と言うと
妻と目を合わすひまもなく
ベッドはドアの向こうに滑って行き、ドアは閉まった
脇の黒いベンチに座って待った
やがてドアが開き、ベッドが出てきた
妻は全身麻酔で眠っていた
四階の部屋に戻ると、少し目が開きかけた
看護士たちが
「吐き気を催すことがあるので、話しかけすぎないでください」
「暴れてベッドから落ちそうになるなら、ナースコールで呼んでください」
と言って出て行った
二人になってしばらくすると
妻は半開きの目で病室の天井見ながら
ろれつのまわらない口で僕の名前を呼んだ
「ここだよ」
と話しかけると
「どこ」
と言って両手を宙に差し出す
ベッドにおおいかぶさるようにして
彼女の視線の先あたりに顔を近づけると
妻は突然、僕の胸倉あたりを両手でつかみ
ぼろぼろ涙こぼしながら
「赤ちゃんいななった」
「赤ちゃんいななった」
「今度ちゃんと産むから嫌いにならないで」
「今度ちゃんと産むから嫌いにならないで」
僕は我慢がきかなくて、そこで泣いた
鼻水がずるずるたれてきた
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