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『キングダム』【2012年1期-2024年5期アニメ/実写映画1-4/漫画】

BGMを聴きながらお楽しみください


【感想】2024年7月28日

長編にもほどがある作品。アニメは1~5期、実写映画Ⅰ~Ⅲ視聴済。映画は4が公開中ですが、アニメの第1期がやっと終わるあたりの進捗、中華統一まで、俳優さんの不祥事などリスクを回避しながら続けるのは至難の業になってきます。

本題へ、史実に元ずく物語とわかっていても盛り過ぎ感は否めない?でも戦は2000年以上前確かにあった歴史。日本の歴史よりもはるか昔。凄いとしか言えない。戦争は、そんな昔からある、おいそれとは終わらないはずだ。

中国の歴史は破壊の歴史、日本のように文書や建物などキッチリ残っていればと思うと残念でならない。最近でも、万里の長城の一部を壊して通行できるにしたという無知の事件があった。

この「キングダム」の素晴らしいところは、広大な大地の国「中華統一」果たした始皇帝・第31代秦王・嬴政の諦めない志と王に従う天下の大将軍たち。物語はフィクションだけど確かに起こった出来事。今、生きている人類はこれ以上愚かにならないよう、今こそ非暴力を全人類が団結して、インターネットで叫ぶべき時だと思います。全人類が何もしない恐ろしさを戦争をしたがる者に思い知らせるべきなのです。この作品を観てそんなことを妄想してしまいました。では、また。

【作品情報】

『キングダム』は、原泰久氏の漫画『キングダム』を原作としたテレビアニメ作品。

第1シリーズ、2012年6月4日全38話放送。
第2シリーズ、2013年6月8日全39話放送。
第3シリーズ、2021年4月5日放送全26話。
第4シリーズ、2022年4月10日放送全26話。
第5シリーズ、2024年1月6日より放送開始予定であったが、令和6年能登半島地震(1月1日発生)の臨時ニュースの放送に伴い同年1月14日に延期された。

【ストーリー】

紀元前3世紀、500年の争乱が続く古代中国の春秋戦国時代末期を舞台に、「中華統一」を目指す後の始皇帝・第31代秦王・嬴政と、その元で「天下の大将軍」を目指す主人公・信の活躍を中心に描く。

国内統一編【1巻 - 40巻】
王都奪還編【1巻 - 5巻】
王弟反乱 - 嬴政との邂逅(1巻 - 5巻)

紀元前245年、中華最西の国・秦に信と漂という戦災孤児で下僕の少年がいた。2人はそこから抜け出し「天下の大将軍」になるべく、日々修行に明け暮れていた。そんな中、漂は秦の大臣・昌文君に見出だされ仕官を果たす。だが1ヶ月後、漂が深手を負った状態で信の元に戻り、信に地図と大将軍の夢を託して命を落とす。
地図に記された場所に向かった信は、その先で秦王・嬴政と出会う。政は異母弟・成蟜と秦左丞相・竭氏の反乱により玉座を追われるも、昌文君と仕官後に影武者となった漂の手により逃げ延びていた。だが漂は刺客により致命傷を負い、その刺客が追ってくるも信が討ち取る。そして追手の包囲から河了貂の手引きで逃がれ、追撃をかわしながら昌文君らと合流する。そして玉座の奪還を狙う一行は山の民の助力を求め、政は山の王・楊端和と会談する。政はその中で「王の道」を説き説得に成功、助力を獲得した政達はついに成蟜と竭氏のいる秦王都・咸陽へと向かう。
政達は王宮内に潜入、城門を破り広場へ突入する。そして政・楊端和らが広場の敵軍を食い止め、その隙に昌文君副官・壁や信らが成蟜と竭氏のいる本殿へと通じる回廊を進む。そして信は、待ち構えていた左慈を壁の援護もあって討ち取り、本殿に到達する。そこへ化猿・ランカイが襲い掛かるも信の一刀により戦意を失い、竭氏は討たれ成蟜も逃亡する。そんな中広場に秦六大将軍・王騎が乱入、敵将を討ち政に問いかけた後去っていった。
逃亡した成蟜も気絶させられ、反乱軍も降伏したことで反乱は終結した。山の民は帰還し、信は土地と家を貰い貂と共に次の戦を待つ。

蛇甘平原編【5巻 - 7巻】
蛇甘平原の戦い - 信の初陣(5巻 - 7巻)

3ヶ月後の始皇二年、魏の要衝・滎陽に向け秦大将軍・麃公を総大将に15万の軍勢が侵攻する。信はそれに従軍し、尾平や羌瘣らと伍を組み進軍する。だが魏軍総大将・呉慶により城が落とされ、さらに魏軍が滎陽から討って出るなど秦軍は後手に回る。そして両軍は蛇甘平原で激突するが、秦軍は兵数・地の利で劣り劣勢となる。そして信の所属する第4軍も魏軍に対し突撃する。
だが、魏の装甲戦車隊の突撃により秦軍歩兵は甚大な被害を出す中、信達は孤軍奮闘する。それを知った麃公は全騎馬隊を第4軍の元に派遣、千人将・縛虎申は魏軍副将・宮元の布陣する丘を目指し突撃する。縛虎申は丘を登りきり宮元と刺し違え、秦軍は丘を奪取する。秦軍が丘への布陣を急ぐ中、突如王騎が現れた。そして、信は王騎に武将とは何かを教わる。
そんな中、呉慶本軍に向けて麃公本軍が突撃、麃公は壁隊の援護や信の活躍により呉慶のいる本陣へと到達、一騎討ちとなる。呉慶は奮闘するも、麃公の力を前に敗れ、討ち取られる。呉慶討死により魏兵は退却し秦軍は勝利するが、滎陽奪取には至らず秦軍は帰国の途につく。帰国後、信は武功により百人将に昇格する。

刺客急襲編【8巻 - 10巻】
秦王暗殺計画(8巻 - 10巻)

3ヶ月後のある夜、昌文君の協力者が何人も暗殺される事態が起こる。昌文君一派は警戒を強めるが、刺客の真の狙いは政であった。翌晩蚩尤ら数々の刺客団が放たれ、その事を昌文君に伝えた肆氏は、政の護衛に信を王宮に送り込む。
信と政は合流後脱出を図るが、何者かに脱出路が塞がれる。そこへ蚩尤・羌瘣らが現れ、信と羌瘣は対峙する。信は羌瘣に対し苦戦するも、戦場を共にした信の言葉は羌瘣の心をかき乱す。そんな中、更に刺客団が襲撃し、信と一時休戦した羌瘣は奥義・巫舞で敵の大半を討つ。そして昌文君達が到着したことで、刺客を撃退する。
終結後、発覚した首謀者は秦右丞相・呂不韋であった。この件は大王陣営に大きな衝撃を与え、対応策を協議する中、呂不韋陣営が帰還する。呂不韋は昌平君、蒙武、李斯、蔡沢の四柱らを率いて参内、力の差を見せられた大王陣営は、肆氏ら竭氏残党を吸収する。一方、河了貂は軍師になることを決意し、昌平君の軍師学校に入学、蒙毅らと兵法を学ぶ。また、信は王騎に修行を乞い、信と貂の修業の日々は続く。

馬陽防衛編【11巻 - 16巻】
馬陽の戦い - 飛信隊躍進(11巻 - 16巻)

始皇三年2月、秦大将軍・蒙驁を総大将に20万の軍勢が韓に侵攻、蒙驁軍は快進撃を続け1ヶ月の間に11もの城を落とす。だがその隙を付かれ趙三大天・龐煖を総大将に12万の軍勢が馬央、そして馬陽に侵攻する。秦はそれに対し王騎を総大将、蒙武を副将に10万の軍勢を派遣。出陣前に王騎は政に昭王の遺言を伝える。また、従軍した信の元に特殊百人部隊・飛信隊が結成される。そして両軍は乾原で開戦するが、秦左軍は趙右軍の将・馮忌の策により大損害を出す。そこへ飛信隊が王騎の特命を受け、馮忌を討つべく趙右軍の側面に突撃、守備隊を突破し馮忌本陣に迫る。さらに秦左軍の将・干央と千人将・壁も反撃に出たことで本陣一帯は乱戦状態となり、信はその隙を突いて馮忌を討ち取る。
一方、秦軍中央の蒙武軍の攻撃は一日目こそいなされるも、二日目・三日目と大損害を与える。これを受け趙軍は四日目に全軍で蒙武を狙うも、王騎は全軍総攻撃を掛け、趙軍は後方の山間部へ退却した。その夜、秦軍の夜営地に突如現れた龐煖が秦兵を襲い、さらに趙将・万極の夜襲を受ける。飛信隊は龐煖を狙うも失敗、敗走し万極軍の猛追を受ける。だが、隊員の奮闘により難を逃れ、翌朝再集結を果たす。
五日目、王騎は自ら敵将を討つも、趙本陣に猛攻を掛けた蒙武が罠に嵌まり、窮地に陥る。王騎は蒙武軍を救うべく軍を進め趙本軍と対峙、歩兵を囮として趙本陣に突入し、龐煖との一騎打ちを繰り広げる。六将・摎の仇である龐煖を王騎は追い詰めるも、趙三大天・李牧率いる大軍が秦軍を挟撃する。さらに王騎は背後からの狙撃により、龐煖に胸を貫かれる。
王騎副官・騰らの奮闘の末に守りを突破した王騎は、信に自らの矛を託し、皆に多くのものを残してこの世を去る。その後、趙軍は撤退し、信は武功により三百人将へ昇格する。

山陽平定編【17巻 - 24巻】
山陽大攻略戦(17巻 - 23巻)

始皇四年、呂不韋の画策により趙宰相・李牧が秦を訪れる。そして李牧の提言により秦趙同盟が締結、その後の宴席で、信が李牧を戦場で倒すと豪語した。そして前線では、信や玉鳳隊隊長・王賁、楽華隊隊長・蒙恬といった若き将が武功を重ねる。一方、咸陽では、政陣営の元に政の母・太后から白紙の書簡が届く。翌朝、政は太后の元へ赴き、打倒呂不韋への協力を頼むが、太后は呂不韋と密通していた。それを知った宮女・向は大怪我を負いながらも政に伝え、政は攻勢へと転じる。
始皇五年、魏要衝・山陽一帯を攻略すべく大将軍・蒙驁を総大将に20万強の軍勢が侵攻。対する魏軍は、元趙三大天・廉頗に率いられていた。秦軍は魏の城を落としながら行軍するが、廉頗四天王・輪虎により千人将が次々と暗殺される。これを受け秦軍は軍の再編成を行い、蒙恬、王賁、信は臨時千人将へ昇格した。そして両軍は流伊平野で開戦した。
一日目、先鋒隊同士の激突は一進一退となるが、廉頗四天王・玄峰の策略により大損害を被る。二日目、王翦率いる左軍は魏軍の猛攻により後退するも、桓騎率いる秦右軍は奇策により魏軍を翻弄し、四日目には桓騎自ら魏軍に潜入し玄峰を討ち取った。五日目、蒙恬の策により信と王賁が輪虎に襲い掛かるも、輪虎は2人相手に互角以上に闘う。だが限界を越えた信の一刀により、輪虎は左手を負傷する。一方秦左軍では壁が敵将を追い詰めるも、敵の策により窮地に陥る。そこへ王翦本軍、更には廉頗が現れるも、王翦は後方の砦へ退却した。
六日目、輪虎率いる魏中央軍は秦中央軍へ突撃するも飛信隊に進撃を止められ、信と輪虎は一騎討ちを繰り広げる。また、蒙驁本陣の背後から廉頗軍が攻め込み、廉頗は蒙驁の策を破り本陣へ到達、蒙驁と一騎討ちとなる。一方、信は死闘の末に輪虎を討ち取り、蒙恬と共に本陣へと急ぐ。蒙驁は奮闘するも左腕を失い、また廉頗は輪虎の仇・信にも矛を向ける。だが、桓騎が魏本陣を落としたことで廉頗は敗北を認め和睦、秦は山陽を獲得した。
戦後まもなく飛信隊は帰路に付き、その最中に羌瘣は姉同然であった羌象の仇を取るべく、飛信隊を一時離脱する。一方、廉頗は魏から楚へ亡命し、論功行賞で信は正式に千人将へ昇格した。

幕間 - 山陽平定(23巻 - 24巻)

3ヶ月後、飛信隊は軍略の要たる羌瘣が不在の為に敗戦を続け、再降格の危機に陥る。だが、河了貂の加入により救われ、山陽平定に活躍する。そして山陽平定後、秦は山陽を東郡へ改称すると宣言した。その後、飛信隊が対楚前線に送られる一方、李牧と龐煖が燕に侵攻し劇辛を討ち取る。
また、信が楚軍千人将の項翼・白麗と小競合いを起こす一方、咸陽では、嫪毐が太后の元へ送り込まれ呂不韋陣営が拡大、呂不韋は相国に就任した。これを受け、政は成蟜一派を解放し、呂不韋打倒に協力させる。そして、昌平君と昌文君が丞相に就任、政陣営は確かな実権を手に入れた。

合従軍編【25巻 - 34巻】

合従軍襲来 - 函谷関攻防戦(25巻 - 30巻)

始皇六年、楚軍が秦へ侵攻し、さらに魏・趙・韓・燕・斉の軍が次々と侵攻。これは戦国四君にして楚宰相・春申君を総大将、李牧を参謀とする六国連合・合従軍であった。蔡沢により斉を離脱させたが、合従軍を迎え撃つべく秦は国内全戦力を動員、両軍は秦国門・函谷関で開戦した。
一日目、麃公軍は趙軍副将・慶舎の罠に嵌まるも、信の檄で盛り返し激戦となる。一方、魏軍総大将・呉鳳明は函谷関に巨大井闌車を投入するも、桓騎が1台を焼き払う。また、騰軍は楚第一軍と激突してその将を討ち、信は混戦の中で万極を討ち取った。2日目以降合従軍は、楚第二軍の将・媧燐の献策により主力を温存した消耗戦を続ける中、七日目には韓軍総大将・成恢により秦将・張唐が毒を喰らう。
十五日目、合従軍全軍による総攻撃が行われた。蒙武軍は楚軍総大将・汗明軍に対し斜陣掛けを仕掛け自らも突撃、騰軍は媧燐軍の猛攻に対し王賁・蒙恬を抜擢する。函谷関では呉鳳明の猛攻の中、張唐が桓騎と共に韓本陣を奇襲、成恢を討った後に毒で力尽きる。一方、燕軍総大将オルドは函谷関の裏を狙うも王翦軍の急襲に退却、また項翼が騰と互角の一騎打ちをする中媧燐本軍が突撃する。媧燐本軍はさらに蒙武を狙うも、蒙武は汗明を一騎討ちの末に討ち取る。だが媧燐が函谷関を陥落寸前に陥れるも、王翦の機転により函谷関を守りきり、合従軍は開戦前の位置まで退却した。

合従軍襲来 - 蕞攻防戦(30巻 - 34巻)

秦軍が勝利に浮かれる中、合従軍から李牧が姿を消す。そして、李牧率いる別動隊が南の秦国門・武関の内側の城を次々と落とし侵攻、これを察知した麃公軍は猛追を掛け、李牧の守りを破り本陣へ到達する。だが、麃公は龐煖との一騎討ちの末に討たれ、信ら残された者は咸陽へ向かった。その頃、政は自ら出陣し、咸陽を守る最後の城・蕞で信達と合流。政の檄で蕞の住民は奮い立ち、民兵となって李牧軍を迎え撃つ。
民兵達の奮戦により初日を凌ぐも、形だけの夜襲により民兵は疲弊、二日目には李牧軍の将・傅抵とカイネにより窮地に陥る。だが、飛信隊が2人を破り、さらに三日目、四日目も凌ぐ。だが、五日目には民兵が限界を迎え倒れ出し、政も深手を負う。そして李牧軍は総攻撃を掛けるも、蕞は全てを出し切り六日目も凌ぐ。だが七日目、とうとう城門が突破されるが、そこへ山の民が現れ形勢逆転する。信は龐煖に挑み、ついに深手を負わせ龐煖を退かせる。
山の民により李牧軍は撤退、合従軍は函谷関より完全撤退を余儀なくされ、斉へ攻め込んだのち解散した。また論功行賞で信は、三千人将へ昇格した。そんな中、羌瘣は仇敵・幽連の居所へ乗り込むも幽連の力に圧倒される。だが飛信隊との繋がりを力に幽連を討ち、再び飛信隊へ戻り活躍する。

屯留編【34巻 - 35巻】
成蟜の乱(34巻 - 35巻)

始皇七年、蒙驁が危篤状態となり、蒙恬と信が駆けつけた。蒙驁は2人に英雄への道を示し亡くなる。また向が政の子を出産、前線では王翦と桓騎が魏の慶都・汲を落とす。各国では李牧や春申君ら要人が合従軍敗戦の責で左遷され、政争が激化した。秦では政陣営が蕞以降勢力を拡大、成蟜の奮闘もあり呂不韋陣営との一進一退の権力争いを続けていた。
始皇八年、趙軍2万が秦北東の要衝・屯留に向け侵攻、成蟜軍3.5万は成蟜夫人・瑠衣を救うべく出陣、撃退する。だが呂不韋の後援を受けた屯留代官・蒲鶮が成蟜を投獄し、その名で反乱を起こす。そして、将軍・壁率いる4万の討伐軍が出陣し、屯留軍7万と盟平野で激突するが、趙軍1万の攻撃を受け討伐軍は窮地に陥る。そこへ五千人隊となった飛信隊が参戦して趙軍を破り、屯留軍も撤退する。
その後、討伐軍は屯留を攻撃、井闌車を投入し城内へ侵入し成蟜の救出を急がせる。一方、成蟜は牢から脱獄して瑠衣を救出、蒲鶮からの逃亡を図る。だが困難と判断し、瑠衣を逃がして蒲鶮と刺し違える。飛信隊を連れて戻った瑠衣に対し、成蟜は政への協力を頼み、また信に政を託し落命。討伐軍が屯留を奪還し、反乱は終結した。

著雍攻略編【35巻 - 37巻】
著雍の戦い(35巻 - 37巻)

魏要衝・著雍を奪取すべく騰率いる秦軍が侵攻、魏軍は呉鳳明が総大将となる。そこへ秦軍には玉鳳隊・飛信隊などが、魏軍には魏火龍七師の霊凰・凱孟・紫伯が増援される。呉鳳明の鉄壁の布陣に対し王賁は、録嗚未軍・玉鳳隊・飛信隊の三軍が三日目の正午に魏軍本陣に突入する策を立案、決行される。
一日目、信が凱孟と一騎討ちを繰り広げる中、河了貂が敵に拉致される。二日目、飛信隊は捕らえた凱孟の軍師と貂を人質交換し、その後で敵前線を突破する。一方、前日に敵前線を突破した玉鳳隊は紫白軍と激突するが、紫白の槍術と策略を前に敗れる。三日目、飛信隊が凱孟軍に突撃し録嗚未軍も出陣、王賁は紫白に一騎討ちを挑み、激闘の末に討ち取る。
そして、玉鳳隊と録嗚未軍は魏軍本陣に突入、飛信隊は信を囮にして羌瘣が魏軍本陣に突入し陥落させる。そして信が霊凰を討ち取り魏軍は撤退、秦は著雍を奪取し要塞化を進める。その後の論功行賞で信と王賁は五千人将に昇格、飛信隊は八千人隊となる。

毐国反乱編【37巻 - 40巻】
加冠の儀(37巻 - 40巻)

咸陽に突如太后が来訪し、嫪毐を山陽長官に強引に据える。また太原に入った嫪毐と太后は毐国の建国を宣言、更に楚が秦へ侵攻する。そして膨張を続ける毐国に、秦は手をこまねいていた。
始皇九年、とうとう成人した政は、旧都・雍で加冠の儀を執り行う。だが毐国軍3万が函谷関をすり抜け咸陽へ侵攻、これに対し飛信隊1千と蕞の兵1万が討伐に向かう。毐国軍が咸陽に突入する一方、加冠の儀を終えた雍では昌平君が呂不韋を離反し昌文君と共に毐国軍討伐に向かう。また呂不韋と政は舌鋒を交わし、呂不韋は金を操って国を治めると語る。これを受け政は、戦争を無くす為に中華を統一すると宣言、決着を咸陽の戦いに委ねる。
呂不韋一派の妨害もあり討伐軍は咸陽防衛に苦戦するも、昌平君率いる軍が敵将を討ち反乱軍は撤退、呂不韋との争いに完全勝利した。その後、毐国軍は桓騎軍により粉砕、楚軍も退却し嫪毐は咸陽で処刑される。そして、ようやく秦の実権を掌握した政は、信に15年で中華統一を成す大構想を明かす。

六国征覇編【41巻 - 】
黒羊丘編【41巻 - 46巻】
黒羊丘の戦い(41巻 - 45巻)

楊端和率いる山の民が魏要衝・衍氏へ侵攻、陥落させる。一方楚では、考烈王が崩御し、春申君も李園に暗殺される。そして実権を握った李園は、媧燐と共に楚宰相へ就任した。始皇十年、飛信隊は桓騎軍5万と共に趙要衝・黒羊丘へ侵攻し、総大将・慶舎と離眼城主・紀彗率いる趙軍7万と対峙する。黒羊丘は密林地帯であり、そこにある5つの丘の奪取を両軍は目指す。
一日目、秦右軍・飛信隊は紀彗の副官・馬呈と劉冬の奇襲に翻弄され、秦左軍は慶舎とその副官・岳嬰に急襲され敗走するも、桓騎側近・雷土達は趙軍砦を焼き討ちする。その夜、羌瘣は劉冬の暗殺を図るも失敗し、両者共に重傷を負う。二日目、飛信隊は川辺に布陣した馬呈軍と対峙、渡河を成功させ前線を押し上げる。そして三日目には中央丘の麓に迫り、桓騎の指示を仰ぐが、桓騎は一切何もせず1日を終えた。そして四日目、慶舎自ら飛信隊に猛攻を掛けるが、慶舎を討つべく桓騎軍が乱入し、さらに紀彗自ら慶舎救出に向かったことで混戦状態となる。そして、慶舎はそこから脱出するも飛信隊に捕捉され、信は激戦の末に慶舎を討ち取り、羌瘣も劉冬を討ち取る。
だが、紀彗は慶舎副官・金毛を説得し徹底抗戦に出て、桓騎は軍を中央丘から撤退させる。五日目、桓騎軍は集落を焼き討ちしその民を虐殺、これを知った信と羌瘣は激怒し桓騎本陣に乗り込み、一触即発の事態になる。一方、桓騎は紀彗に離眼での虐殺を予告し脅迫、紀彗は撤退してその隙に黒羊丘を占領し、勝利を収めた。信は桓騎軍との刃傷沙汰で武功取り消しとなり、その後に内地へ帰還。

幕間 - 斉趙来朝(45巻 - 46巻)

その頃、蔡沢の手引きにより斉王・王建と李牧が咸陽へ来朝。政は斉王との会談で「法」で国を治めると語り、それに感嘆した斉王は事実上の降伏宣言を告げる。そして、李牧と謁見で「七国同盟」を提案されるが空論だと一蹴、李牧は咸陽を去っていった。
そんな中、飛信隊は募兵を行い、新兵千人を増員。一方、昌文君は統一後の法の作成のために李斯を招き入れる。そして、昌平君は趙王都・邯鄲の喉元にある鄴を狙うという奇策を献言した。

鄴攻略編【46巻 - 60巻】
鄴攻め - 秦趙連合軍戦(46巻 - 48巻)

始皇十一年、鄴攻略の策がついに完成し、総大将を王翦に、楊端和・桓騎を各軍の大将にした20万超の連合軍が出陣した。さらにオルド率いる燕軍が趙へ侵攻し青歌城主・司馬尚と激突、別動隊が燕の城を落としたことで、燕軍は撤退した。秦軍が趙国門・列尾へと進軍する中、李牧は秦の狙いが鄴だと気づき、邯鄲へと急ぐ。
飛信隊と山の民により列尾を半日で陥落させたが、列尾が意図的に弱くしてあることに気付いた王翦は戦略の破綻を悟り、鄴を密かに視察。そして、列尾を放棄し全軍で攻め込み、鄴を兵糧責めにするという策を練り上げる。列尾を越えた連合軍は橑陽軍に対し楊端和軍が迎撃し、また鄴の手前の9城を落とし、難民で溢れた鄴を桓騎軍が包囲した。そして王翦軍は、李牧率いる閼与軍と朱海平原で激突した。

鄴攻め - 朱海平原の戦い(前半)(48巻 - 52巻)

一日目、蒙恬が趙右軍・紀彗軍を翻弄し、そこへ麻鉱軍が猛攻を掛ける。だが李牧自ら麻鉱を討ち麻鉱軍は崩壊寸前となるも、蒙恬はそこから麻鉱軍を立て直す。その夜蒙恬は臨時将軍に昇格し、秦左軍の将となった。
二日目、秦右軍の玉鳳隊は元藺相如十傑・趙峩龍と岳嬰の挟撃を受けるも、王賁は李牧副官・馬南慈軍に突撃し、亜光軍と挟撃を掛け大打撃を与えた。三日目、秦右軍へ合流した飛信隊は藺家十傑・尭雲と対峙し、互角以上の戦いを繰り広げる。
李牧は、鄴の兵糧が秦軍より多いと分かると長期戦を目論み、戦局は膠着。そして九日目、秦右軍はそれを打破すべく飛信隊・玉鳳隊の両隊で岳嬰を挟撃するが、尭雲・馬南慈により亜光が意識不明の重体となる。亜光救出のため玉鳳隊が離脱するも、信は岳嬰を一刀両断にする。

鄴攻め - 橑陽攻防戦(49巻 - 53巻)

一方楊端和軍は遼陽軍を相手に圧倒していたが、李牧副官・舜水樹が到着すると趙軍は橑陽城まで撤退。そして橑陽城城主・ロゾ率いる犬戎族が加勢し、膠着状態に陥る。だが二日目の夜、援軍に赴いた壁が預かる兵糧が焼かれてしまう。そして兵糧が尽きかけた八日目の夜、楊端和は明日でロゾの息子の犬戎三兄弟を討つと宣言した。
そして九日目、三軍主攻の総攻撃によりロゾの息子達を討つも、敵の反撃により軍は散り散りとなる。楊端和は執拗に狙われるが、その隙に別働隊が橑陽城を陥落させ、最終的にはロゾを壁が討ち取った。そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。敗北した舜水樹ら趙軍は、秦軍の退路を断つべく列尾へ転進する。

鄴攻め - 朱海平原の戦い(後半)(53巻 - 58巻)

一方亜光不在の秦右軍は本陣からの指示も無く兵糧も尽きかけ、絶望的な状況に陥る。そんな中で十二日目、隊長からの渾身の檄により覚醒した飛信隊・玉鳳隊は趙左軍を圧倒、大きく後退させる。だが十三日目、尭雲が玉鳳隊に奇襲を仕掛け、王賁は尭雲の右腕を粉砕するも重傷を負わされる。その夜、秦右軍では信を大将に据える決断をする一方、鄴では王翦兵により兵糧の殆どが焼失した。そして十四日目、飛信隊は決死の突撃の末に趙峩龍を討ち取る。
十五日目、李牧は鄴での一報を受け攻勢に転じ、王翦軍と激戦を繰り広げる。その間秦右軍では、王賁が尭雲を討ったことで趙左軍を突破し、李牧本軍へ挟撃を仕掛ける。一方趙軍も傅抵・馬南慈が王翦本軍に挟撃を仕掛けるが、そこへは王賁・蒙恬が駆け付ける。さらに飛信隊が金毛を討ち李牧の目前にまで迫るも、そこへ龐煖が立ちはだかる。そして信は龐煖と一騎打ちを繰り広げ、死力を出し尽くした末についに討ち取る。そして李牧は朱海平原から撤退、全軍で鄴へ向う。

鄴攻め - 李信将軍誕生(58巻 - 60巻)

王翦軍は精鋭部隊で追撃し、李牧軍はそれに幾度も足止めされる。一方鄴では兵糧不足により暴動が発生、それにより十八日目には内から城門が開き、突入した桓騎軍によって陥落する。鄴へ入城した秦軍は兵糧不足が深刻化したが、斉から兵糧を買い入れて問題は解決、更に騰軍が列尾へ進攻した。列尾を守備する趙将・扈輒は李牧が敗戦の咎で投獄・斬首になると知ると、全軍を邯鄲へ撤退させる。これにより、秦は趙王都圏南部を獲得した。
咸陽に凱旋した信は政から李姓を与えられ、「李信」と名乗る。そして論功行賞では、蒙恬や王賁と共に将軍へと昇進した。一方邯鄲では李牧の救出を目論む者により内乱状態となる中、悼襄王が毒殺される。その後太子・嘉は李牧を解放するが、悼襄王の遺言により末子・遷が次期趙王となる。李牧と嘉は遷の派閥に命を狙われ、邯鄲を脱出。その後、李牧らは嘉と別れ、司馬尚がいる青歌城へ向かった。
始皇十二年、秦では河南に隠遁する呂不韋の元に不穏な勢力が集結。これを受け政は呂不韋と対談するが状況は悪化、咸陽は処罰を下すも、呂不韋自殺の報が入る。

什虎攻略編【60巻 - 62巻】
什虎城攻略戦(60巻 -61巻)

鄴攻略後、秦軍は邯鄲攻略を目指すが、その前の防衛線すら抜けずにいた。そこで昌平君は魏へ、楚の要衝・什虎を合同で落とし、その後に什虎を魏へ譲渡することで3年間の同盟を打診する。そして蒙武は什虎へ向けて進軍、それに対し亡国の残党達で構成された什虎軍が出陣し、両軍は月地平原で激突した。そこへ騰軍、項翼・白麗軍、同盟を了承した呉鳳明率いる魏軍が、次々と参戦する。
戦いは秦軍、魏軍が楚軍を挟撃するも楚軍を崩すには至らず、そこで呉鳳明は秦軍を主攻、魏軍を助攻とする。それにより秦魏軍が優勢となり、蒙武は什虎軍総大将・満羽と一騎討ちとなり、騰軍が楚軍の本陣を落としたことで勝利する。さらに、什虎城も魏軍別動隊により陥落したことで、楚軍は王都・郢へと退却していった。

羌礼の来訪 - 六大将軍復活(61巻 - 62巻)

秦魏同盟締結後、魏は韓への侵攻を開始し、秦は趙への侵攻を強める。前線では楽華軍・玉鳳軍が活躍する一方、飛信隊は劣勢が続く。そんな中、現蚩尤・羌礼が飛信隊に加入するが、加入した目的は羌瘣を殺すことであった。羌礼は果たし合いを挑み、羌瘣はその中で羌礼を闇から救いだす。
その後、羌礼は飛信隊に正式に加入し、飛信隊は再び躍進する。そして始皇十三年、秦で六大将軍が復活し、蒙武・騰ら五将が任命される。そして、六将となった王翦・楊端和・桓騎が武城・平陽の攻略を目指し出陣した。

武城・平陽編【62巻 - 64巻】
武城・平陽攻略戦(62巻- 64巻)

桓騎軍8万は趙軍に猛攻を掛けるが、左軍が険地・影丘に差し掛かりほぼ壊滅、玉鳳軍もそこへ呼ばれる。更に趙軍総司令・扈輒も桓騎の元へ向かい、桓騎軍は扈輒軍24万と激突するも劣勢が続く。八日目、飛信隊は壊滅状態となった玉鳳を救出し、扈輒側近・岳白公軍と対峙、王賁の助言により影丘の断崖の攻略に出る。
九日目、飛信隊が断崖に到達し登りきる一方、右軍の雷土は敵将を討つも捕虜となり、拷問を受け死亡。桓騎軍は右軍、中央軍共に逃亡者を多数出しながら退却を続ける中、左軍の飛信隊は岳白本陣に向け突撃、李信は岳白を一騎討ちの末に討ち取る。影丘を攻略した飛信隊は、扈輒本陣に向け進軍し守備隊と激突、その隙を突き、桓騎軍伏兵が扈輒本陣を急襲し、脱出した扈輒を討ち取る。
その後、数万の扈輒軍が投降するが、桓騎は彼らを皆殺しにしてしまう。それを知った嬴政は激昂し、自ら桓騎を尋問するも不問とした。一方、趙では扈輒討死を受け、郭開が李牧を呼び戻す。そして始皇十四年、秦軍は武城・平陽を陥落させるが、邯鄲の南には長城が李牧により築かれていた。

趙北部攻略編【65巻 -】
秦趙宜安決戦(65巻 - 69巻)

昌平君はこれを知ると、趙北部の要衝・宜安の攻略を図り、王翦軍・桓騎軍には長城を迂回し北上させ、また秦北東部で20万の大軍を興し、両軍の元へ向かわせる。そして王翦軍は宜安の途上にある閼与を攻略するが、その際に多くの犠牲を出し離脱する。一方、秦北東部軍は趙軍の奇襲により多くが敗走するも、5万が桓騎軍に合流する。
そして桓騎率いる秦軍14万は宜安に向け東進、赤麗を奪取するが、宜司平野で李牧率いる趙軍31万に包囲攻撃を受ける。これを打破すべく、右翼の飛信隊は左翼の楽華軍の元へ移り共闘し、包囲からの脱出を図る。そして両軍は青歌軍と激突、激戦の末に包囲を突破する。一方桓騎は未知の陣形を築いて時間を稼ぎ、闇夜に紛れて包囲から脱出した。包囲から脱出した飛信隊と楽華軍は桓騎軍の別働隊と合流し、夜明けに桓騎軍の井闌車を用いて宜安城を攻略、そこへ桓騎が入城する。
一方赤麗には包囲から脱出した壁を含め多くの兵が入城するも毒でほぼ全滅、赤麗を取り戻した趙軍は宜安に向け進軍する。だが既に秦軍は居らず、その行先が肥下だと判断した趙軍はそこへ急ぐが、桓騎軍はその隙をついて李牧本陣に奇襲を掛ける。さらに楽華・飛信隊は李牧救援に向かう軍を足止めを図り、桓騎軍は李牧を幾度も追い詰めるもわずかに及ばず、李牧の元に援軍が届く。それにより形勢が逆転、桓騎軍は趙軍に包囲され、楽華・飛信隊も脱出に動く。桓騎軍は李牧と刺し違えるべく突撃するも、あと一歩及ばず全滅、桓騎は討死する。楽華・飛信隊らは趙北部からの脱出に成功した。

年 表

この項では「キングダム」における史実、またはそれを元にした架空の出来事を、年表形式に記載。

作中では西暦と「始皇何年」という始皇帝(嬴政)即位以後(紀元前246年以後)の年数を記したものが使われているが、ここでは西暦が基準。

嬴政即位以前【- 紀元前247年】

紀元前771年

周が申候に破れ(申候の乱)、春秋時代始まる。襄公が秦公を名乗る。

紀元前659年

穆公が即位し、勢力を伸ばす。

紀元前451年

趙・魏・韓の3氏、晋の地を三分する。

紀元前403年

趙・魏・韓、自立し諸侯として承認(三晋)。この時または紀元前451年に戦国時代始まる。

紀元前359年

秦丞相・商鞅、什伍の制を含む新法を公布、国内の改革を開始(第一次変法)。

紀元前350年

秦、雍から咸陽へ遷都。

紀元前307年

趙王・武霊王、胡服騎射を導入し中華で最初に騎馬隊を創設。

紀元前306年

この頃、昭王(昭襄王)即位。

紀元前284年

燕将・楽毅、斉へ燕・秦・趙・魏・韓の合従軍を率いて侵攻、斉軍を破り即墨・莒を残す全ての城を落とす(済西の戦い)。

紀元前280年

燕の昭王死去。楽毅、趙へ亡命。
斉将・田単、合従軍に奪われた70余城を奪還(即墨の戦い)。

紀元前262年

呂不韋、子楚と接触。
元韓の地・上党をめぐり秦は白起、趙は廉頗を総大将に長平で激突(長平の戦い)。

紀元前260年

趙王は総大将を趙括に変更するが、趙括は討死し敗北。白起は趙兵40万人を生き埋めにする。この頃、羌象生まれる

紀元前259年

2月、子楚の子嬴政生まれる
王賁、蒙恬生まれる

紀元前258年

この頃信生まれる

紀元前257年

この頃、羌瘣生まれる
子楚、呂不韋の計らいで邯鄲を脱出し秦へ帰国

紀元前256年

摎、韓を討ち陽城、負黍を取る

紀元前255年

蔡沢、范雎との舌戦の末に丞相の席を譲り受ける。この頃、李牧と龐煖出会う

紀元前254年

摎、魏を討ち呉城を取る。
韓と魏、秦に服従

紀元前253年

紫伯の婚約者・紫季歌が太呂慈に嫁がされ、太呂慈に斬殺される。激怒した紫伯は太呂慈・晶仙・馬統を討ち、紫伯・凱孟・霊凰は投獄される
摎、馬陽を攻めるもその先で龐煖に討たれ、龐煖も王騎に敗れる

紀元前251年

昭王死去
嬴政、紫夏らの助けで邯鄲を脱出し秦に帰国

紀元前250年

孝文王(安国君)即位、子楚が太子となる
孝文王、即位3日後に死去
荘襄王(子楚)即位、呂不韋が丞相となる
蒙驁、韓を討ちその城を取る

紀元前247年

荘襄王死去、嬴政が13歳で即位
呂不韋、政に代わり執権

嬴政即位以後【紀元前246年 - 紀元前238年】

王都奪還編【1巻 - 5巻】
紀元前246年(始皇元年)

この頃、蚩尤族で祭が勃発、羌象が謀殺され幽連が蚩尤となり、羌瘣が出奔する。

紀元前245年(始皇二年)

呂不韋、魏へ侵攻し城を包囲する
昌文君、漂を召し抱え嬴政の影武者とする
王弟・成蟜と左丞相・竭氏が反乱を起こし、漂は殺され嬴政は玉座を追われるも、その先で信と出会う
嬴政、山の王・楊端和らを味方に付け反乱を鎮圧する

蛇甘平原編【5巻 - 7巻】

廉頗、悼襄王による更迭を拒否、楽乗を破り魏へ亡命する
麃公、秦軍15万を率いて魏へ侵攻、呉慶率いる魏軍15万と蛇甘平原で激突
麃公、呉慶を討ち3万の首級をあげるも滎陽奪取はならず帰国、信は黄離弦・麻鬼を討った功により百人将へ昇格

刺客急襲編【8巻 - 10巻】

嬴政暗殺未遂事件が起こる
首謀者・呂不韋は不問となり、大王陣営は肆氏ら竭氏残党を吸収
河了貂、軍師学校に入学。信は王騎に修行を乞う

馬陽編【11巻 - 16巻】

紀元前244年(始皇三年)

李牧、趙軍13万を率いて匈奴軍20万を撃破、匈奴軍を10万以上討ち取る
2月、蒙驁が秦軍20万を率いて韓へ侵攻、1ヶ月で11の城を落とす
龐煖、趙軍12万を率いて秦へ侵攻、馬央を落とし馬陽を包囲、3月、王騎率いる秦軍10万と乾原で激突。
一日目、信が特殊百人隊「飛信隊」を率いて馮忌を討つ
四日目、蒙武が総攻撃を掛け趙軍は山間部へ撤退、龐煖と万極が夜襲を掛ける
五日目、李牧率いる趙軍4万が参戦し王騎が討死、その後信は武功により三百人将へ昇格

山陽編【17巻 - 24巻】
紀元前243年(始皇四年)

李牧、趙軍を率いて燕へ侵攻、武遂・方城を落とす
呂不韋の謀略により趙宰相・李牧が来秦、趙は韓皋を秦に引き渡し秦趙同盟が締結

紀元前242年(始皇五年)

後宮、大王陣営への助力を反故にし、太后の密通相手・呂不韋へ味方する
蒙驁、秦軍20万強を率いて魏・山陽へ侵攻、廉頗率いる魏軍14万と流伊平野で激突。信・王賁・蒙恬は臨時千人将となり参戦
一日目、玄峰の策により秦先鋒隊敗北
四日目、桓騎、玄峰を討つ
六日目、信が輪虎を、桓騎が総大将・白亀西を討ち和睦、秦軍は勝利し山陽を獲得。後に信は論功行賞で千人将へ昇格
飛信隊、羌瘣が一時離脱し軍師・河了貂が加入、その後対楚前線へ送られるも項翼・白麗と小競合いを起こす
秦、山陽を東郡と定める
龐煖、趙軍10万強を率いて燕へ侵攻し劇辛率いる10万強と激突、劇辛を討ち燕兵2万を捕虜にする
呂不韋、嫪毐を太后の元へ送り込み、相国に就任
嬴政、成蟜一派と共闘、右丞相に昌平君、左丞相に昌文君が就任

合従軍編【25巻 - 34巻】
紀元前241年(始皇六年)

宮女・向、嬴政の子を懐妊
春申君、楚・魏・趙・燕・韓・斉の合従軍を率いて秦へ侵攻、秦は蔡沢により斉を離脱させ、函谷関で迎撃
一日目、信が万極を、騰が楚軍第一将・臨武君を討つ
二日目以降、合従軍は主力温存・消耗戦へ移行
七日目、韓軍総大将・成恢、張唐に向け毒兵器投入
十五日目、合従軍総攻撃、張唐が成恢を討った後戦死。蒙武、楚軍総大将・汗明を討つ。媧燐、函谷関の裏を取るも王翦により失敗。燕軍を除く合従軍、開戦前の位置まで退却。
龐煖・李牧、別動隊4万を率いて侵攻、追撃した麃公を討つ。嬴政、蕞で民間人を率いて迎撃
一日目、別動隊が蕞の四方より攻撃、見せかけの夜襲を行う
五日目、嬴政が負傷しその存在が発覚、総攻撃を受ける
七日目、別動隊が城内へ侵入、山の民の援軍により別動隊撤退
合従軍、函谷関より完全撤退し斉へ侵攻、饒安まで落とし解散。信は論功行賞で三千人将へ昇格
羌瘣、羌象の仇・幽連を討ち帰還、その後千人将となる
この頃楚、陳から郢へ遷都

王弟謀反編【34巻 - 35巻】
紀元前240年(始皇七年)

蒙驁死去
向、嬴政の長女・麗を出産。この時までに嬴政の長男・扶蘇が生まれる
王翦・桓騎、魏の城である慶都・汲を落とす
合従軍参加国、李牧・春申君らが敗戦の責で遠ざけられ、政争が激化

紀元前239年(始皇八年)

屯留代官・蒲鶮が成蟜を祭り上げ反乱を起こす(成蟜の乱)
壁軍・飛信隊が反乱を鎮圧し、成蟜・蒲鶮は討死

著雍編【35巻 - 37巻】

騰率いる秦軍が魏要衝・著雍に侵攻、呉鳳明率いる魏軍が迎撃する。
三日目、王賁が紫伯を討ち取り、羌瘣により魏軍本陣は陥落。信が霊凰を討ち取り魏軍は撤退、秦は著雍を獲得し要塞化を進める
嫪毐が山陽長官に就任し、太原の地で毐国の建国を宣言
媧燐率いる楚軍が秦へ侵攻、蒙武率いる秦軍が迎撃する
著雍戦の論功行賞で、騰が大将軍、王賁と信が五千人将、羌瘣が三千人将に昇格する

毐国動乱編【38巻 - 40巻】
紀元前238年(始皇九年)

嬴政は旧都・雍にて帯剣、加冠する。だが玉璽の複製を用いた嫪毐率いる毐国軍3万が咸陽へ侵攻、飛信隊1千、蕞の兵1万と激突する。
呂不韋から離反した昌平君と昌文君率いる軍が敵将を討ち毐国軍は撤退、楚軍も退却し嫪毐は車裂きとなり、関係した四千家の人間も蜀の地へ流される。そして嬴政は秦の実権を掌握した

嬴政加冠以後【紀元前238年 -】
黒羊編【41巻 - 46巻】
紀元前238年(始皇九年)

楊端和率いる山の民軍が魏要衝・衍氏を急襲、陥落させる
楚王・考烈王、崩御。春申君、李園により暗殺。李園と媧燐が宰相となる

紀元前237年(始皇十年)

桓騎率いる秦軍5万8千が趙要衝・黒羊丘へ侵攻、慶舎率いる趙軍7万が迎撃する

鄴編【46巻 - 60巻】
紀元前236年(始皇十一年)

王翦・桓騎・楊端和からなる連合軍が趙要衝・鄴へ侵攻する

【主な登場人物】

信→李信(しん→りしん)
声 - 森田成一 演 - 山﨑賢人

飛信隊百人将→三百人将→千人将→三千人将→四千人将→五千人将→将軍。「天下の大将軍」を目指す、戦争孤児で下僕出身の少年。65巻時点で26歳。
豪気かつ直情径行で、自分の意志を貫く頑強な心を持つ。短気で乱雑なところがある一方で、「自分の馬を殺されても、相手を咎めず、酒を振る舞って饗した」という穆公の逸話を聞いて感動するなど、素朴な少年だった。礼儀作法には疎く、本陣の位置が分からず遅刻するなど頭はあまり良くない。
相手が格上でも、比例して実力を底上げする天才。当初は武偏重の猪突猛進型であったが、幾多の助言や経験を経て次第に本能型としての才能が開花、大将軍としての実力を身に付けて行く。また、王騎や麃公のように自ら先陣にて矛をふるい、軍の士気を高める武将を目指しており、一騎討ちにめっぽう強く数々の敵将を自ら討ち取っている。
得物は漂が嬴政の影武者となっていた際に所持していた剣で、本来国王が所持する物のため、非常に硬い。また、馬陽編で王騎の最後に立ち会い、その矛を受け取る。合従軍編以降は王騎の矛を扱う準備期間として矛を扱い始め、鄴編以降は王騎の矛を扱う。山陽編では自ら討ち取った輪虎の剣を廉頗から受け取り、合従軍編では麃公から大盾を受け継いだ。
紀元前259年~紀元前258年頃に出生。幼い頃に戦争で親を無くして孤児になり、その後で城戸村の里典の元で下僕となる。そしてそこで同じく里典の下僕の漂と出会い、共に「天下の大将軍」を目指し切磋琢磨する。ある日、漂と剣の試合をしていた際に秦大臣・昌文君と出会い、昌文君は漂を王宮に士官させる。
1ヶ月後、信の元に漂が深手を負った状態で戻り、信に地図を手渡しそこへ向かうよう頼み、二人の夢を託し命を落とす。信は向かった先で漂と瓜二つの男、秦王・嬴政と出会う。そこへ漂を殺した刺客が襲い掛かり信はそれを討ち取る。そして漂が政の身代わりとして死んだことを知ると激怒するが、政に漂の決意を聞かされると、漂との夢の為に政の王都奪還に協力する。放たれた刺客を返り討ちにし、山民族との会談で同盟締結の一助を成す。王都奪還戦で王宮の門を開放し、竭軍将軍・左慈を討ち、さらに成蟜子飼いの護衛官・ランカイを山民族の援護もあって撃退。これらの功績により恩賞として風利の地と家を与えられ、下僕から平民になる。
蛇甘平原の戦いには一兵卒として初陣を飾り、そこで出会った尾平・尾到兄弟と羌瘣と共に澤圭の伍に組まれ、千人将・縛虎申の指揮下に入る。信は最初の突撃では敵陣に風穴を開け、戦車隊に対しては周囲の兵を纏め上げ撃退する。そして縛虎申の元で要所の丘に向け突撃し、中華十弓・黄離弦を討ち取り丘を奪取する。その先で秦六将・王騎と出会い、王騎との会話の中で戦場での武将の役割の大きさを知る。そして、秦軍総大将・麃公の突撃に加わり、魏将・麻鬼を討ち取る。戦後、これらの功により異例の百人将への昇格を果たした。
政が刺客に襲われた際には肆氏の手引きで政の元へ駆けつけ、彼を守り抜いた。しかし、その戦いのなかで己の力不足を痛感し、その後王騎に修行を乞う。そこで王騎に無国籍地帯の平定を言い渡され、四ヶ月かけて成し遂げる。
その後馬陽に向け出陣した王騎に従い、自身の元に特殊百人隊が発足、王騎に「飛信隊」と名付けられる。そして敵陣に突撃し、混戦の中趙将・馮忌を討ち取るが、四日目の夜、趙三大天・龐煖の襲撃を受け、信は一刀を浴びせるも敗れ、隊は半壊する。そして龐煖に討たれた王騎の最期を見届け、矛を譲り受けた。
戦後、武功により三百人将へ昇格し前線で活躍する。翌年、王騎の仇・李牧が来秦し、信は宣戦布告、その後王賁、蒙恬と切磋琢磨する。山陽攻略戦では従軍中、民間人を虐殺した乱銅を斬る。その後、信は臨時千人将となり、本戦では廉頗四天王・輪虎を激闘の末に討ち取る。そして、論功行賞で正式に昇格した。
函谷関攻防戦で信は麃公軍へ所属、万極を討ち取り、万極に捕虜の虐殺は絶対にせず、またさせないと誓う。その後、麃公の最期を見届けた後に盾を託された。そして政と共に蕞を守り抜き、龐煖を一騎討ちの末に撃退。その後論功行賞で三千人将へ昇格した。
2年後には四千人将に昇進、成蟜救出の密命を受けるも間に合わず、成蟜の最期を看取り、政を託される。著雍攻略戦では三主攻の一つを任され、魏火龍・凱猛と激闘を繰り広げる。そして本陣攻略、霊凰討伐の功により五千人将に昇格し、隆国の指導を受ける。その後、政の加冠を狙い毐国軍が襲撃、兵一千を率いて駆け付け、陽や向と麗母子を救出し、毐国将軍・樊琉期を捕縛する。その後桓騎軍と共に黒羊丘に侵攻し、趙総大将・慶舎を討ち取る。しかしその後、飛信隊副長である羌瘣が混達を虐殺されたことに冷静さを失い、味方の桓騎兵を殺傷した罪で武功帳消しとなった。
鄴攻略戦には王騎の矛を携え出陣し、楊端和軍と共に列尾を落とす。朱海平原戦では九日目に趙将・岳嬰を一刀両断にするが、亜光と王賁が重傷を負ったことで右軍大将となり、十四日目に藺家十傑・趙峩龍を討ち取る。そして十五日目には李牧本軍を挟撃し、因縁の龐煖を限界を越えた死闘の末に討ち取る。咸陽へ凱旋後、政から姓を与えると言われ、漂が「李」姓を与えられたと知り自身も李信とし、論功行賞で遂に将軍へと昇格した。
そして再び対趙前線へと戻り、始皇十三年には桓騎の援軍要請を受けて出陣。難所・影丘で王賁を救出し岳白軍と対峙、崖上に上って岳白を一騎打ちの末に討ち取った。始皇十四年の閼与攻城戦では、城門から打って出た扈輒軍残党の若き龍白公(竜布)を、桓騎の本陣の前で討ち取った。そして、第一次趙北部攻略戦では宜安攻略の為に桓騎軍に同行するが、宜司平野で趙北部軍全軍に包囲されて、本能型武将としての本能で独断で桓騎軍左翼の守りを放棄し、飛信隊を右翼の楽華軍と合流させて、包囲網からの脱出を図る。そして、岳雷を失いながらも楽華軍と共に包囲網からの脱出を果たし、その夜に森の中に潜伏していたところを桓騎軍の氾善の井闌車部隊と砂鬼一家と合流し、状況打破の為に翌日に宜安城を陥落させる。そして、合流した桓騎たちと共に李牧を討ち取る為に宜安城を放棄し、肥下城へとおびき出して、途中の森林地帯で李牧軍を待ち伏せする。待ち伏せる森林間の三つの道筋の一つを担当するが、桓騎軍が李牧軍を襲撃したことで桓騎軍と合流しようとしたところを、青歌軍が李牧軍と合流しようと向かっていたので、青歌・楽彰軍と交戦する。桓騎軍の奇襲が失敗した頃に摩論とオギコが駆け付けて、オギコから桓騎からの伝言と六将の首飾りを託されて、脱出を開始する。そして、秦・趙の国境線の趙軍を外部から攻撃していた倉央軍の助けで、国境線からの脱出に成功する。そして、咸陽で政に預かっていた六将の首飾りを返した後、政から騰と録嗚未と共に韓の公子・韓非を招聘する使節団の護衛という名目で、韓の攻略の為に韓の王都・新鄭を見てくるように命じられる。そして、新鄭で兵士に変装した韓非から「人の本質は何だと思う?」と質問されて、王の間で公子の姿で再会した韓非から改めて先述の質問を問われて、騰からの助言を聞いて韓非に「人の本質は火」だと答えて、その理由を語って韓非の心を動かして、秦国に招聘することに成功する。
始皇十五年の第二次趙北部攻略戦では、三万の軍となった飛信隊を率いて狼孟城を陥落させて、二十万の秦軍連合軍の一角として右翼を担当する。しかし、李牧の自身を囮にした作戦に誘き出されてしまい、戦局から外れた場所で足止めを食らってしまう。

嬴政(えいせい)/後の始皇帝/第三十一代秦王/声 - 福山潤/演 - 吉沢亮

第三十一代秦王。後の始皇帝。漂と瓜二つの容姿をしている。65巻時点で27歳。
幼少時代に趙国民に虐げられたことで感覚が殆ど無く、他人を一切信用しない荒んだ性格であったが、紫夏との出会いを通じて失っていた五感や人を信じる気持ちを取り戻した。戦乱の世を終わらせるべく、「中華統一」を志している。現在は冷静でポーカーフェイスを崩さないが、昌文君や信のことを信頼している。発想が柔軟かつ大胆な賢人ながら武芸にも長けている。
紀元前259年正月または二月に、趙王都・邯鄲で子楚(後の荘襄王)と趙姫の間に生まれる。だが子楚は呂不韋により咸陽に戻り、また秦が長平の戦いで捕虜の趙兵を生き埋めにしたことで、嬴政はその怨念をぶつけられる。紀元前251年、昭王が崩御し、孝文王が秦王、子楚が太子となる。それを受け道剣らにより嬴政の趙脱出が図られ、闇商人・紫夏らの協力により行われた。紫夏の力により全ての関所を通過し秦へと帰還するも、紫夏や道剣らは命を落とす。
紀元前247年、秦王に即位するも、実権は右丞相・呂不韋と左丞相・朅氏の元にあった。紀元前245年、朅氏と異母弟・成蟜が呂不韋不在の隙を付き反乱を起こす。事前に察知した昌文君は漂を影武者とし嬴政を黒卑村に隠すが、漂は討たれ刺客が政に迫る。だが信が刺客を討ち、河了貂と共に脱出、昌文君らと合流する。そして山の王・楊端和を味方に付け、王都奪還を果たす。
その後呂不韋に対抗すべく昌文君の元に大王直属の派閥を作るも、呂不韋により刺客を差し向けられる。刺客は信達の奮闘により避けるも、参内した呂不韋に力の差を見せつけられ、肆氏ら朅氏残党を取り込む。そして馬陽の戦いを前に王騎から昭王の遺言を伝えられ、王騎の死に涙を流す。その後呂不韋が太后と手を組んだ際には、二人の不義の流言を流し対抗する。呂不韋が相国に就任した際には成蟜一派と手を組み、昌文君を左丞相に就任させる。
翌年、合従軍侵攻を受け思考停止に陥る上層部を叱咤激励して戦意を復活させ、蕞攻防戦では自ら出陣し、蕞の民衆を鼓舞して民兵として戦わせる。途中で重傷を負うも、秘かに援軍を要請した「山の民」の出現によって勝利を得る。その後呂不韋陣営とは一進一退の攻防を繰り広げるも、成蟜が反乱の盟主に祭り上げられる。壁軍と飛信隊を成蟜救出に向かわせるも、成蟜は討たれその一派は瑠衣が継承した。
著雍攻略後に毐国が反乱を起こし、加冠の儀を狙い咸陽に侵攻するも、蕞の兵と飛信隊を向かわせる。そして加冠の儀をやり遂げ、呂不韋との対談では中華統一により人が人を殺さなくて済む世界が来ると語り、呂不韋を感嘆させた。そして寝返った昌平君により咸陽で勝利し、遂に呂不韋との長年の政争に勝利し秦の実権を掌握する。翌年、斉王・王建王との会談では斉王を感嘆させ、非公式に斉の事実上の降伏を勝ち取った。
鄴編後に不穏な動きがあった呂不韋の元を訪れて会話し、彼に自身の優しさがいずれ弱点になると指摘される。呂不韋が表舞台から去った後、六大将軍の復活を宣言する。しかし、桓騎が捕虜数万人を皆殺しにしたことに愕然とし、数万の兵を率いて桓騎の元へ向かい、尋問する。だが、桓騎は中華統一には不可欠な為、処罰を断念する。
始皇十四年の桓騎の死後、昌平君から渡された書物『韓非子』を読んで、中華統一後の法治国家の設立に悩んでいた所に暗い霧の中に光が差し込んだような感銘を受けて、その著者の韓非のことを聞き、韓の攻略の為の視察も兼ねて使節団と護衛役の李信たちに、韓非の招聘を命じる。しかし、秦国に招聘した韓非と二人きりで問答を行うが行き詰まり、李斯に韓非との法治国家についての問答を命じた数日後、李斯から韓非と韓の使節団が諜報活動を行っていると報告を受けて、韓非の屋敷の臨検を命じる。その数日後、軟禁した韓非と面会した李斯から報告を受ける直前、韓非が服毒自殺したと報告を受ける。





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