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ヤマザキマリの多様性を楽しむ生き方──昭和に学ぶ 【読書感想】

テルマエ・ロマエを執筆した漫画家のヤマザキマリさんは”昭和”を愛している。職場のBGMはもっぱら昭和の音楽だし、日本の家は大井町の昭和の風情が残る街を選んでいるそうだ。また、テルマエ・ロマエの日本側の時代設定は昭和50年代である。

イタリアやスペインなどいろんなところに滞在経験のあるヤマザキさんにとって、日本の印象と言えば昭和だ。

あの頃は経済的にも高度経済成長期だったが、日本人の意識にも二度目の文明開化というくらい、地球上の情報を片っ端から吸収していこうとする貪欲さがあった。知らない情報があればそれを避けるのではなく、多少面倒であってもそれを知ろうとするエネルギーと意欲が旺盛だった

ヤマザキマリ


地球人類みな兄弟ー昭和は多様性社会だった

昭和と言えばご近所付き合い。

本書のサブタイトルには”多様性”とあるが、読む限りでは平成・令和と比べて昭和に人種や国籍などの多様性があったーという主張よりは、住人の距離が近いために、多様なバックグラウンドの人間を、身近に感じれていたのではないかと思う。

ヤマザキ氏が幼少期に住んでいた北海道・千歳の小学校や団地では、アイヌにルーツを持つ子供や、暇さえあれば窓辺からピンクレディーを大音量で流す知的障碍者のマモルくん、近所の自衛隊官舎の家族たちと日常的に触れ合っており、風呂屋で親の代わりに毅然と店番を務める子供なども居たそうだ。

昭和はオカルトに寛容な時代でもあった

どうしても”異物”の適応は島国の日本では時間がかかるものだ。ヤマザキ家は母子家庭で、引っ越し当初は「小さい子供を二人家に置いて、働きに出るなんて」と非難されていたそうだ。しかし、最終的には受け入れられ、気が付いたら団地の子供たちにバイオリンを教えていたという。

ヤマザキさんは「昭和は今より理不尽が溢れており、どうしようもならない事情や理不尽というのを皆が受け入れやすいのではないか」と分析している。

混沌と不条理、疑念、差別や偏見だってもちろんある。でもそういった感情の在り方と向き合ってきた人たちは都合の悪いことを何でもかんでも排除しない。なぜなら、時にその都合の悪いことにも高い栄養価があることを分かっているからだ。昭和はそんな人たちで作られた時代だったと言える。

ヤマザキマリ

24時間働けますかー過酷な昭和流の仕事である漫画家

ヤマザキさんは自身の働き方を「短距離走型」と評する。地道にコツコツと積み上げるというよりは、短期集中型。なのでコラムや講演の仕事などをどんどん引き受けてしまう。モチベーション的には新しい仕事が今の仕事への刺激にもなるし、考証と時間とのせめぎ合いで生まれる焦りも心地いいそうだ。

一方、体力的には過酷である。

漫画を15時間くらい続けて描いていると、まず腰が痛くなるし、肩こりは限界を超える。そのうえ脚は浮腫むし、最悪な場合は膀胱炎になる。没頭しているとトイレに行くことを忘れてしまうのだ。

体力回復の基本はお風呂。イタリアでも日本でも1日3回入浴するのだそうだ。日本にいる間は鍼灸院にもいく。周りには「あんた風呂で死んでそう」と笑われるそうだ。

さぞエネルギッシュで快活としたメンタルを想像するが、実際は家族との時間を大事にするイタリア人の夫には非常に拒否反応を示されている働き方だし、「現状のオーバーワーク気味な自分の働き方を前面からポジティブに受け入れがたい思いもある」と明かす。

若いころは歴史に残る凄い作品を作るぞと言う思いをもあったが、そうした青さもすでに消え失せている。


それでも良い作品を創作したいという渇望と勢いは、昭和一桁生まれで大きな戦争を経験し、高度経済成長期を経てきた母とシンクロする。それこそが懸命に生きる大人の姿であり、「やれるときにやれることをやる」というポリシーに突き動かされていた彼女を当たり前だと思ってみて育ってきた。つまり、私の仕事の捉え方は、昭和の高度経済成長期の生き方を完全に引きずってしまっているということになる。

ヤマザキマリ

昭和ってそんないい時代だったっけ?


ヤマザキさんが昭和の話をすると「昭和ってそんないい時代でしたっけ?」と言われるそうだ。

実際は衛生観念が希薄で、根拠のない精神論も蔓延り、生きづらい人もいただろう。ヤマザキさんも「一概にあの時代は良かったね、あの時代がまた戻ってくればいいのになどと手放しに称賛したり短絡的にとらえているわけではない」と話す。というか昭和のことは思い出すけど戻りたいとは一切思っていないそうだ。

ただ、時代は先に進めばそれだけ人間の歴史もアップデートされ、新しくなっているという訳では決してないことを、歴史を学んでいると痛感せざるを得ないという。

現代に比べると、昭和は非常に無法地帯だった。そこで培ったエネルギッシュな精神はその後、イタリア、シリア、アメリカと言った全く違う国々に移り住んできた私の、世の中何でもアリ、と言う適応力につながったと言っていい。

いわば野生の本能を呼び覚ますような意味で、昭和のことを思い出すことはきっと悪いことではないはずだ。


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