金曜日の夜に。自分を好きになりたいと願っていた日々を思い出していた子なし36歳のつぶやき。
3週間前から高校の同級生Aとランチをする約束をしていたら、
前日に違う同級生Bから『明日、空いてる?』とLINEがありました。
同級生Aと同級生Bは面識があります。
『せっかくだから3人で会いませんか?』と、
非常識ながら夜中の23時に約束をこじつけ
1人が2人に増えることにどんなシナジーが生まれるのか、
楽しみだな~と眠った夜。
はるか昔、次の日の遠足を楽しむ小学生のような気分でした。
どうも。
ざらめ煎餅のおいしさに目覚めて。です。
『ないない探しているうちは見つからないのに、泣き止んで周りを見渡し、気づいたら手の温もりの中にそれはありました。』
そんな感じのことが書かれた本を読んだことがあります。
その一文を読んだとき、わたしはいたく感動して泣きそうになりました。
自信のなさをあらゆる面で周りの人たちと自分を比べて落ち込んでしまったとき、言われました。『隣りの芝生は青く見える』とか『みんな色々ある。』など。
一般論を語る人、ざらめはあまり好きではありません。
『みんなって何?』と、わがままになります。納得できなかった。
わかるんです、視野を広く持てるように
『あなただけじゃないよ。』と伝えてくれる気持ちも
『ちょっと経験してる感』を語りたいことも、
はたまたじゃあ相談するなよ、と『面倒だから早くこの話を終わらせたい』かもしれないことも。
自分に欠けている(足りない)何かを補おうと、
必死になって行動出来てるうちはいいのですが
何から始めればいいのか、どのくらい頑張ればいいのか?
経験もないのに最短距離で答えを出そうと、ずる賢くなってしまう自分。
完璧な人、完璧な人生(理想どおりの人生ともいう)なんてないのに、
それを認められない自分の我の強さに心が壊れてしまいそうな時もあって。
でも、振り返れば。
『わたしなんて〇〇だった。』とか『わたしなんか〇〇なんだよ。』とか、
相手の悩みが小さくなるような物言いを、どこかでしてしまって傷つけていたこともあったかもしれません。
人には人の悩みの深さがあることに気づけなかったこと、反省です。
さて、友人Aと会ったとき彼女は『統計学』を勉強されたようで生年月日から読み取ることができるその人自身がもつ『性質』のようなものを話してくれました。
それが思いの外、当たっていまして。非常に盛り上がりました。
いいところは『慈愛の心』があるところ。『冒険心』が欠けていたが、最近の行動をみると補えてるよう。
アドバイスをするならば、『自分の決断にこれでいい、と自信を持つこと』他には『楽しくお金を稼ぐこと!』だそう。
なるほど。
特に『自分の決断にこれでいい、と自信を持つこと』について。
わたしが自分を好きになれなかった大きな理由は、ここにあると思っています。
間違えたら、指摘されたら、その時にきちんと直せばいい。
それを気に留めておけるようになってから随分と楽になりましたし、
正直、『夫に養ってもらっている自分』も甘えているようで苦しかった。
何かあったら?
どうやって生きていけばいいの?
と、自分一人では生きていけない弱さのようなものを考えるたびに不安でした。
そんな今、わたしはパートをはじめて。
お金を稼ぐことの大変さと、
わたしも社会の一員としてやっていけてる安心感と、
苦手な人とのつかず離れずの距離感の模索と、
終わった後の『今日も頑張った!』という達成感と。
『仕事を通してからじゃないと学べないことがある』
その言葉の意味を実感し、働くことから逃げていた自分と向き合い、いまだに心が迷子になることがありながら、『頑張って向き合っている自分、何かを乗り越えようと奮闘している自分』が好きだと気づけたのでした。
小さいことが気になります。
臨機応変って、場数を踏んではじめてできることじゃない?
働くことに、いろんな疑問を持ちながら。
自分を好きになれない苦しかった時期を振り返る。
パートを始めて良かったなぁ、またひとつ知れた。
※写真は、お家でスタバごっこをすべくホットケーキミックスを使ったチョコスコーン。とても簡単に作れて、みなさんにおすすめしたいくらいです。温かい飲み物とあわせて、ちょっとしたティータイムに。
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