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二世問題解消に必要な宗教理解|第7回宗教マイノリティ理解増進勉強会【中】

4月27日に家庭連合から25名とキリスト教牧師、新宗教の信徒の方など28名の参加を頂き「宗教2世」をテーマに「第7回宗教マイノリティ理解増進勉強会」を行いました。

前回のnoteでは「第7回勉強会」における「信者の人権を守る二世の会」の発表を紹介しました。

今回は私の発表を紹介します。以下がその要旨です。

「させられる」ことの苦痛とは?

嫌な「習い事に行かされる」と「教会に行かされる」の違いは?

とも(主催者)
「二世の会」の発表と重なるところもありますが、私からも少し説明させていただきます。

「二世の会」が資料でも使っていた「東洋経済オンライン」(2022年10月7日)の宗教二世に関するアンケートを見ると、「信仰を強制される」が、悩みの上位に来ています。

ところで、「布教させられる」とか、「選挙の手伝いをさせられる」とか、「させられることの嫌さ」というのは、宗教に限ったことではないと思うんですね。

教育が厳しい家庭だと、漫画やテレビがダメとか、恋愛がダメというのは、家庭連合に限らずあったりするし、行きたくない習い事に行かされることもあったりします。嫌な「習い事に行かされる」ことと「教会に行かされる」こととの違いは何なのか?そんな視点も必要だと思います。

東洋経済オンラインのアンケート
左のグラフの下、右のグラフの右側のコメントはnoteの筆者によるもの

「宗教ゆえのいじめ」は正当化される社会的風潮の危険性

先ほど「二世の会」の話の中で、「職場で居場所がなくなった」というのがありましたけど、学校でも「宗教ゆえのいじめ」があったりします。

昨年、NHKで「神の子はつぶやく」というドラマが放送されましたが、学校で「お祈りさん」とからかわれ、いじめられたことについて、先生がそのいじめている子供たちを問題視するのではなく、「いじめられるのは親の宗教のせい」みたいな姿勢を示していました。これでは「宗教が理由のいじめはしてもいい」という印象を与えるのではないか、宗教を信じている人への理解が欠如しているのではないか、と感じました。

東洋経済オンラインのアンケート
グラフの下と右側は主要メディアによる報道の要旨とnoteの筆者のコメント

ちょうど昨日(2024年4月26日)、「信仰が理由とみられる児童虐待が、ここ1年半で47件あると児童相談所が判断している」との報道がありました。

この報道で指摘されている子供に対する「脅迫的な態度」で信仰を促すことが児童虐待だとしたら、「勉強をしないと将来大変なことになるよ」と言うことも児童虐待になるのでしょうか?

「児童虐待法」では、①身体的虐待②性的虐待③ネグレクト④心理的虐待、という4つの大きなカテゴリーがありますが、それに該当するなら信仰の有無にかかわらず虐待になるものです。

そこに「信仰に基づく虐待」という新しいカテゴリーを作ろうという声があるようですが、そうした場合、同じ行為でも信仰に基づけば虐待、信仰と関係なければ虐待ではないのか、宗教と関係なく恋愛や交際を禁止するのは虐待ではないが、信仰的な理由で恋愛や交際を禁止したら虐待になるのか、とか、ちょっと危ないな感じます。

宗教への理解が進むことで多くの問題は解決可能

次に、「最も必要な社会的な支援」のアンケート回答をみると、「社会的な支援/相談窓口の設置」「教団・組織内部の改革」「信者以外の周囲の宗教に対する理解」などがあります。

東洋経済オンラインのアンケート
グラフの下は主要メディアによる報道の要旨とnoteの筆者のコメント

一番上の「社会的な支援/相談窓口設置」も必要な場合もあると思うんですけれども、今年の1月19日の主要メディアの報道によると、宗教二世の子供や若者に対する相談体制の強化として「旧統一教会の元信者を講師として被害者に経験や知識を伝える」というのがあります。

先ほどの「二世の会」の発表にもありましたが、元信者が相談相手となった場合、親の否定、過去の否定につながる場合があり、それが相談者の不安を増大させる危険性もあります。

もしこうした体制が進めば、ますます宗教に対する否定的な社会風潮となり、宗教を信じてる人たちがますます苦しむことにもなるんじゃないかと感じます。

相談体制をどういう形にするかについて、もっと多角的に検討されていかなければならないと思います。

また、アンケートでは「2世問題の解消のために必要なことは、『信者以外の周囲の宗教に対する理解』という回答も多かった」ということです。

「教団からは『不信仰な堕落した子』だとさげすまれ、外部の人からは『カルト宗教の一員』だと危険視される。自分の居場所がどこにもない」、「宗教に属しているというだけでマイナスイメージを周囲に持たれることに、強い疑問と疎外感を覚える」という回答も紹介されています。

こうした点を考えると、宗教にまつわる多くの問題は、宗教マイノリティへの理解が進めば、かなりの部分、解決が可能じゃないのかなと思っていて、それが私がこの会を始めた一つの大きな動機でもあります。

信教の自由はすべての自由の基礎

資料の最後のページに、ダッヂ丼平さんという、多分、宗教2世の方だと思いますけど、そのnoteに書いてあった内容で、とても良いと感じたのがあったので、引用しました。

宗教の自由は良心の自由という意味で最初の自由ともいわれ、近代の他のあらゆる自由の基礎にあるとされるものだ。宗教とは無縁の生活を送っているとしても、この基本的な自由が保障されていることは社会全体の多様性を保つうえでとても重要

僕の宗教体験 by ダッヂ丼平

宗教というのは基本的に世俗と違う価値観を持っているわけなので、その世俗と違う価値観を持っていることを否定してしまうと多様性を認めない社会になってしまう。世俗の価値観と違うものは許されないような風潮になると多様性を保つ上でも危険で、全体主義的な傾向になっていくのではないかと思います。

そうならないためにも、「信教の自由はすべての自由の基礎である」という考え方はとても大切じゃないのかなと思います。

あと、松本梨香さんが毎日新聞のインタビューで答えていて、その中で非常に良いと思う言葉がいくつかあったので引用してみました。

・社会や差別する側の問題、親や家族間の問題が、「宗教2世」という言葉でひとくくりにされ、特定の宗教を攻撃する口実にされているように思う

・この差別は仕方がない。あいつは「宗教2世」だから仕方がない、「加害者の家族」だから仕方がない。――といった「してもいい差別」を作り「仕方がない」と容認すべきではないと思う

・社会全体が差別や迫害に対して「許さない」という毅然とした態度を示し、対処していく必要があると感じる。そうすることで、特定の信仰を持った親の子どもたちもまた、生きやすい社会になるのではないか

・新興宗教は「悪」、伝統宗教は「善」という考えがまかりとおれば、(悪を成敗するために)新興宗教には何をしてもいいということになり、この国は信教の自由を失ってしまうのではないか

・宗教団体が金銭を得る過程に、不法・違法な行為があれば、法にのっとって粛々と対処すればよいのではないか。保護者が「宗教」の名を借りて行った「虐待」についても同様

・「宗教2世」という特定の宗教の被害者であるというレッテル貼りが、「宗教2世」とされている人たちの人権を侵害し、傷つけている

・特定の宗教の子どもを「宗教2世」として哀れむことや、「そこから救ってやろう」という社会の圧力は、その宗教を信じ続ける人や、保護者が信仰を持っていることを尊重する人たちへの「否定」になってしまう

・「お前は間違っている」「いつまでカルトを信じているんだ」「信仰を捨てろ」といった圧力は、「宗教2世」の人権を守るどころか、葛藤を生み出して追い詰め、傷つけているのではないか

・「悪名高い宗教の宗教2世」が定着してしまうと、人間関係が壊されたり、住居を借りられなかったり、仕事を失ったりする「実害」につながり、その人が生きる道を閉ざすことにもなりかねない

・宗教によって苦しんできた子どもたちも、信仰に救いを感じた子どもたちも、みんなが尊重され、自由に進路を決定して生きていくべきだと思う。だからこそ、「宗教2世」というレッテルを貼ることに反対

・大切なことは人の権利を脅かさず、人にはそれぞれの考えや思いがあることを受け入れていくこと。自分が理解できなくとも、異なる信仰を抱いていても、自分の考えを人に押しつけるのではなく、多様性を尊重し、受け入れていくこと

“麻原彰晃教祖の娘” 松本麗華さん(毎日新聞2024/1/10~12)

先ほど二世の会の発表でも「価値観が違っても、一人の人間として尊重することが大切」という話がありました。この記事で松本麗華さんが言っているように「自分が理解できなくても、自分の考えを人に押し付けるのではなく、多様性を尊重し受け入れていく」、そういう社会を作っていく必要があるんじゃないかと思います。

この会がそういう役割を果たしていくことができればと思っています。

「宗教二世」報道が生み出す葛藤と苦悩

もう一つ、ある週刊誌が2017年に「宗教2世」について記事を書きたいということで、その対応を私がしたんですけれど、その週刊誌の副編集長と話をして、この記事の企画が取り下げになったということがありました。

副編集長への回答を文書でも送ったのですが、その中で、以下の内容が取り下げるポイントになったんじゃないのかなと思っています。

今の時代、いわゆる「伝統的な日本の価値」とは違う様々な価値と文化背景の持つ人々が暮らしています。そこで一般的な日本人的感覚からすると理解しがたい習慣などに遭遇し葛藤が生じるということがあります。そうした時に、一方の価値観だけを押し付ければ、葛藤はますます深刻になり、それが衝突、紛争へと発展することもあるでしょう。・・・

記事が、家庭連合の信仰を持つ当法人の教会員に対する侮辱や偏見を増長したり、人権侵害が起きたりすることがないよう十分な配慮をしてくださいますようお願い申し上げます。・・・

某週刊誌の「宗教二世」に関する取材の回答の一部 by とも

今の状況も、「宗教二世」を扱う報道が、むしろ新しい葛藤を作り出しているんじゃないかと、報道がむしろ、より多くの人を苦しめることになっているんじゃないか、ということもあると感じます。

もちろん、苦しんでいる宗教二世たちがいる現実もあるんですが、宗教批判がその解決になるのか、その宗教と切り離すことが解決になるのかどうなのかという視点はとても大切だと思っています。

私からは以上になります。

あとは皆さんから、テーマに沿って自由にご意見を言っていただければと思います。

※ 次回は参加者間の意見交換をまとめた内容をアップします。

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