見出し画像

#25 我慢という修行

自宅から車で15分ほどの所にできたパン屋さんに初めて出かけてみました。総菜パンが豊富で当たりでした。駐車場が止めにくいけれど、運転頑張ろう。パン屋さんなのにサバ缶を勧められました。

今私は我慢していることがあります。

我が家のトイレには4個のトイレットペーパーを置くスペースがあります。そこのペーパーがなくなったら補充するのは子のお手伝いの仕事です。
今、最後の一巻きを取り換えてから、すでに1週間になろうとしています。その間私は子に「トイレットペーパーを補充して」と言わないように我慢しているのです。
それは自発的に気づいてほしいから。言われてやるのは簡単です。(時には言われてもやらないのが子ですが…。)もっと役割分担の中で自覚をもって動いてほしいので、言わないようにしているのです。
言ってやってもらえる方が早いです。何より、そろそろペーパーホルダーにセットしているロールが無くなりそうなので。

自分の気づいていることを言わないのは、私にとって結構な我慢です。かといって他人に係る事柄ならば、気づいても言わないという態度を取れたりします。面接の相手の鼻毛が出ていても、絶対に言いません。見て見ぬふりをします。
しかし子へ向けての事柄になると、即教えてあげたくなるのです。「教えてあげたくなる」といい風に書きましたが、結局指摘です。自分がこんなに指摘魔だとは、子を持つまで気づきませんでした。むしろ自分の気づきの眼差しが長所だとすら感じていました。厄介。

子育ては待つこと。
子育てに悩んだ時に手にする本やコラムには高い確率で書いてある格言のようなものです。子が自身の力でできるようになるまで待つ、わかるようになるまで待つ、気づくまで待つ。

今回はお手伝いについて触れましたが、挙げるときりがないくらい、気づき指摘の毎日なのです。
「雨が降る予報だから、傘を持って行ったら?」
「花粉症の薬、飲んだ?」
「左手でお茶碗をもってご飯は食べよう」
「脱いだ靴は揃えて」

待てる自分になるまで、もっと時間が要りそうです。
待っていれば、子がそうであったように、自分で立ち上がって歩くようになりますよね。
頑張れわが子よ。母も頑張ります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?