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自分の心と向き合って感じること(日常生活編)

私は今森の中にいます。時間は朝の7時。朝5時には到着し森の中を歩き周り今少し休憩しています。

昨晩も仕事で遅かった。私は騒がしい環境が凄く苦手で静かな環境が好きです。
仕事と人混みに疲れた私は、昨晩仕事が終わり自宅に戻ると泥のように眠りました。

早朝目が覚めると無性に森に行きたい気持ちになりました。
いつも心が疲れた時に必ず行くお気に入りの場所です。

何故こんな早い時間なのかというと、この時間なら人混みを避けれるからです。
特に今日のような世間的に休日ともいえる日は(GW中で日曜日)、午前中の後半になると観光客や地元の人で混雑します。

ノイズから逃れ心を整えたくて来たのに、ノイズにさらされたくないのです。

私は森の匂いや音が好きです。鳥のさえずり、川のせせらぎ、澄んだ空気
どれも疲れた心を癒してくれます。

よく世間では趣味や楽しみを見つけなさいといわれます。
勿論、より良い人生を過ごすためにそれは大切なことではあります。
ただそれを無理やり消化するのはどうかと思います。

その場面を無理やり楽しもうとすればする程心が疲れてくるのです。

例えば旅行です。旅行に行く目的は自分が楽しむことだと考えている人は多いと思います。
でもせっかくここまで来たのに楽しまなければ損だと考えながら現地に着いて観光していても楽しめない時もあります。

そんな時楽しめない自分を否定したりします。
楽しめない自分に焦りを感じたりもします。
楽しむために来たのに心がモヤモヤしたりします。

趣味や楽しみは見つけなければならないものだと思われがちです。
それはこれまで生きてきた中で、周囲や大人から洗脳され続けてきた私達にとってごく自然なことです。

「仕事以外に趣味を持ちなさい」
「趣味を持つことで人間の幅を広げなさい」

あたかも趣味や楽しみを持つことが人生を有意義に過ごすためにしなければならない義務のように感じたりもします。
確かにとても大事なことです。
正論でもあります。

でも一番大切なのは、その趣味が義務感とか世間であった方が良いといわれているからではなく、自分の心を本当に満たしているのかという視点だと思います。

前者だと心にモヤモヤ感が残ります。
私も何度も経験しました。
本来楽しむべきはずの趣味や自分が見つけた楽しみ方が心の底から楽しめないのです。
そして、気分を変えたいためにしていることだと頭では理解していても感情が伴わないのです。

そんな時に私が大事にしているのは自分の感覚です。
今日ここに来たのも「自然に癒されたい」という気持ちだけです。
『気付いたらこの場所に向かっていた』という感覚です。

私の休日に計画性はありません。やることはその場の気分で決めます。
朝目が覚めて文章を書きたい気分なら文章を書く。
本を読みたければ本を読む。
外の空気が吸いたければ外に出かける。
整いたければ温泉や森に行く。
そんな風に今の自分の感情だけで行動します。
それは自分の心と向き合うことでもあります。

やらなければならないこと
効率よく作業を進めること
やりたくもないことをやること

そんなものは仕事の時間だけで充分です。
休日まで心の自由を奪われたくはないのです。

私が趣味や楽しみ方を持つことが義務感のように感じていた時期は、その場の雰囲気や今やっていることを楽しんでいる自分を演じていました。

私がよく森にいく最初のきっかけは、森林浴が健康によいと世間でいわれていたからです。
そして最初の頃はその場の雰囲気を楽しもうととにかく景色を眺め続けました。
当時の私は学生でした。大人や周囲の価値観に一番洗脳されていた時期です。
当然のようにその場に馴染めませんでした。
今ほど心が疲れたりもしていませんでした。

でも今は違います。心が疲れた時は必ず行きます。そして昔のように無理に自分を楽しませようとはしません。
ただその場に行く。音や匂いだけを感じる。
私にとってはそれだけでも良いのです。

何かをその対象から得ようとすると本音で楽しめなくなります。
何も得なくてもよいとある意味開き直ると意外にも違う楽しみ方を発見できたりします。

自分の今の感情を大切にし、人生の主人公は自分だと感じる生活を送りたいものです。











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