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「あいつ」(伊勢正三が描く情景)その5 「あいつが生まれた朝」についての考察

「あいつが生まれた朝」

この曲は

「いつの間にか夜が明けて
土曜日へと流れる

あいつが生まれた朝に
初雪の便り聞いた」

で始まります。あいつが生まれた朝とは、言うまでもなく親友だった(あいつ)の誕生日ですね。おそらくですが、家庭に恵まれなかった(あいつ)の誕生日は毎年主人公の家で祝っていたのかもしれません。「夏この頃」から見える主人公一家との関係性からしても、その可能性は大きいでしょう。

(あいつ)が亡くなった今年の誕生日は、家族の誰もがそれに触れません。主人公は自分の部屋に閉じこもり、(あいつ)の誕生日を一人で待っていました。イントロがまんじりともしないで一夜を明かす主人公の様子を浮かび上がらせるかのようです。いつの間にか夜が明けて日が変わり、(あいつ)の誕生日となっています。ラジオから朝のニュースが流れました。それは初雪、おそらく北海道での初雪を伝えるニュースです。

「暦の色もあせる頃 
さそり座を通り過ぎて 

指折り数えた十月も 
忘れられてしまう」

さそり座が実際に見える季節は夏です。そのさそり座を通り過ぎたのですから、季節は夏から秋へ移り変わっています。

指折り数えた十月。さそり座の誕生月は10月24日から11月22日までですから、(あいつ)の誕生日はおそらく10月下旬でしょうね。初雪は北海道では10月下旬らしいですし、歌詞の「指折り数えた十月」ということから10月下旬が全ての条件に合致します。

主人公は、(あいつ)が亡くなってから(あいつ)の誕生日をずっと待っていたのでしょう。主人公の家族も忘れてはいないのでしょうが、互いに気遣って口に出さないままだった感じです。

「窓辺の花甘く香り 
ゆく秋を懐かしめば 

今年も暖かい冬が 
お前をつつんでくれる
ああ時は流れ流れて…」

10月下旬から11月へと、季節は冬へと、あいつが亡くなった冬へと、時は流れていきます。

(あいつ)の死因はおそらく滑落とかではなく、凍死だったのでしょう。眠るように亡くなったと思います。(あいつ)が亡くなった山に(あいつ)の魂が今も留まっているなら、この冬に降り積もる雪が(あいつ)の魂を優しく包んでくれることでしょう。主人公は初雪のニュースを聞いて、凍死した(あいつ)の情景を思ったのでしょうね。気持ちが高ぶったのか、人称が(お前)という二人称になっています。凍えた(あいつ)の身体を抱きしめて暖めてあげたかったでしょう。

「誰もが皆この冬に 
一年をふり返る」

主人公、(あいつ)の彼女、主人公の家族、それぞれがそれぞれの場所で(あいつ)のことを思い返しているはずです。

最後に

「もうそれは還らない 日々だけど」

を3回繰り返しています。

「もうそれは還らない 日々だけど」

季節は冬。「地平線の見える街」の頃の楽しかった日々。

「もうそれは還らない 日々だけど」

季節は春。「あいつ」で(あいつ)が亡くなった時の悲しかった日々。

「もうそれは還らない 日々だけど」

季節は夏。「夏この頃」での淡々と時が過ぎていく寂しかった日々。

この後、ギターやベースやピアノにドラム、それぞれ慟哭しているかのような演奏が延々と2分近くに渡って続きます。

こうして主人公は、あいつが生まれた秋のある朝に、初めてあいつのために思い切り涙を流せたことでしょう。

以上が「あいつが生まれた朝」の私なりの解釈です。


さらに、この「あいつが生まれた朝」という曲がアルバム「海風」に収録されたということは、正やんにとってはある意味必然だったかもしれません。

「夏この頃」はかぐや姫時代。

「あいつ」は風のファーストアルバム。

この2曲はフォーク時代の作品なんですよね。

「地平線の見える街」は風のサードアルバム「WINDLESS BLUE」収録です。windless 風がない、風が止まった、風の音楽が変わろうとしている、そんな時です。

そして「あいつが生まれた朝」は「海風」。「WINDLESS BLUE」で止まった風が海から吹き始める。そんな意味が込められているのかなって思います。遥か太平洋から吹いてくるロック志向。「あいつ」に象徴されるフォーク志向との訣別。

伊勢正三というミュージシャンにおいて、「あいつが生まれた朝」は、(あいつ)に対する慟哭の歌、鎮魂歌、訣別の歌であると同時に、フォーク志向への訣別の歌と位置付けすることが出来るかもしれません。

正やんの身近には(あいつ)のモデルとなった人物がいたのでしょうか?

それとも何か創作のキッカケとなった出来事でもあったのでしょうか?

いずれにせよ、何十回と聴いてきた曲でも、今までとは違う全く別の解釈ができるとは面白いものです。私自身、当初は最近になって「夏この頃」という曲の存在を知って「あいつ」との関連性を記事にするためだけだったのですが…。あれこれ考えているうちに、思いもよらぬ着地点になりました。この着地点にどういう意義があるのか私には分かりません。解釈は人それぞれですしね。

兎も角、これで「あいつ」という曲をめぐる私の考察はおしまいです。

最近は「地平線の見える街」「あいつ」「夏この頃」「あいつの生まれた朝」を繰り返し聴いて、伊勢正三の描く情景に浸っています。

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