「秒速5センチメートル」第1話 桜花抄 感想
9月18日に最終回を迎えた23年夏期の月9ドラマ「真夏のシンデレラ」の中で、伏線とその回収として2回ほどチラッと触れられていたのが「秒速5センチメートル」という新海誠監督のアニメ映画でした。最終回でその場面を見た時、心の水底に沈めていたものをいきなり掴み上げられた感覚がしました。
久しぶりに鑑賞するか、とAmazonPrimeで検索…。
もし有料なら見送ろうと思っていましたが無料だったので、これはいよいよ観なければならない、という心理的状況になってしまったわけです。もちろん観る必要はなかったのですが、やはり好きなんでしょうね、この映画。およそ十年ぶりです。
という事で今更だけど「秒速5センチメートル」鑑賞記です。
ネタバレするので未見の方はここまでにしてください。そして是非一度鑑賞してください。特に男性諸氏は初見の破壊力に討ち死にするかも。
「秒速5センチメートル」は「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の三部作からなり、主題歌の効果もあって私も初見の時はかなり心がやられました。
でも、何度か観ると「秒速5センチメートル」は一人の男の魂の彷徨と再生の物語なんだと認識できました。よって今ではこの作品に対してトラウマのようなものはありません。
以下は私の個人的な解釈です。監督の新海誠自身が書いた小説や他の方が書いたコミックなどがあるようですが映画のみの感想です。
第1話 桜花抄
この桜花抄がこの作品の始まりであり終着点だと思える。
呪縛その1
いや、もう、この冒頭がすべて。
新海誠恐るべし。
女性は生まれながらの女優、とは言いうが、この小学生の明里の言葉と行動に翻弄される貴樹。この関係性がこの映画のほぼ99%と言っても過言ではない。
まず「秒速5センチ」のセリフに困惑する貴樹。
「桜の落ちるスピード」という回答を聞き納得と安堵する貴樹。
「雪みたい」のセリフにどうだろうと考える貴樹。
突然走りだす明里に驚く貴樹。
踏切で取り残された貴樹。
ピンク色の傘を広げ一回転し「来年も一緒に見れるといいね」の言葉を残し電車に隠れ見えなくなる明里。
心がもっていかれても不思議ではないよ、貴樹は。こんなふうに振る舞われた貴樹は明里の第1段階の呪縛にかかったはず。
明里は貴樹に呪縛をかけたことを意識していない。それがまた明里の罪深いところ。
そして、この舞台が踏切。
線路というのは「こちら側」と「向こう側」を隔てるある種の「結界」とも言うべきもので、その結界を通り抜けることが出来る唯一の場所が「踏切」。
貴樹がこの結界を通り抜けることが出来るのか、いかにして通り抜けたのか、これがこの映画のテーマなのだろう。
小学生の時は踏切の向こうには明里がいたわけだが…
呪縛その2
いつも一緒に行動してると同級生たちから揶揄される。ある日、貴樹が教室に入ると黒板の前で俯く明里の姿が。黒板には二人の名前が書かれた相合傘の落書き。貴樹はそれを消すと明里の手を引き教室を抜け出す。
この時の貴樹と明里の関係は貴樹にとって明里は守るべき存在で、それを直ぐに行動に移せる強さを貴樹は持っていた。貴樹はこれからも明里を守っていくと心に誓っていたはず。
しかし、同じ中学に行けないと明里から電話で告げられた貴樹はショックのあまり「分かった。もういいよ」と突き放してしまう。明里が悪いわけではないのに明里を責めてしまった貴樹。
貴樹はあの踏切を思い出したかも。不意に明里の姿が見えなくなったあの踏切。
守るべき明里を突き放してしまったことに貴樹は自分を責めたと思われる。ここで貴樹は明里に対して2つ目の呪縛にかかった。
ずっと一緒にいるものと思っていた二人を隔てる現実の壁。
ぎこちないまま迎えた小学校の卒業式。しかし、立ち直るのが早かったのは庇護の対象だった明里だった。
明里は栃木の地元の中学へ進む。地元の中学といえば周辺の小学校からの進学が大半で明里は一種の転校状態からの中学生活だった。病弱だった以前とは異なり、運動部に入り朝練もしている様子。そういうことが明里の手紙に綴られている。
貴樹は受験した中学に進みサッカー部に所属し、それなりに生活しているが、明里のいる栃木のことを常に意識している様子。
呪縛その3
学校終了の3時から約束の7時というのは、何度かの乗り換えも必要なことを考えると貴樹にはかなり心細い長旅だったろう。
この貴樹に立ちはだかったのが雪だった。そう、第1の呪縛で明里が言った「雪みたい」の言葉。貴樹にとっては桜の花びらと雪は明里の記憶として残っている。その明里への道を塞ぐ雪。
それぞれの手紙の内容が気になるが、明里の最後の言葉から明里は貴樹に対してある種のケジメを告げようとしたと思えてならない。つまり、「私と会えなくなっても貴樹くんは大丈夫。私も頑張っていく」、そんな思いだったのではないだろうか。したがって、桜の木でのキスは明里にとっては「さよならのキス」であり「思い出のキス」だった。
しかし、貴樹は違う。これはその後の電車の中での貴樹の独白から明白である。
「あのキスの前と後」でどう変わったのか?これも貴樹の独白から明らか。
貴樹も明里とはずっと一緒にいられないと自覚していたが、その不安は溶けていったのだった。
その結果、電車の中での貴樹の強い決意につながっていく。
貴樹も手紙では明里との別れを予感していたと思われる。しかし、あの桜の木のキスで変わってしまった。それも「好き」という気持ちがメインではなく、明里が困った時に「助けられる力が欲しい」とねじ曲がってしまった。貴樹の魂はあの桜の木に凍結されたのだ。
これが第3の呪縛。貴樹の苦悩はここから始まった。あのキスは明里にはゴールでも貴樹にはスタートだった…
こうして貴樹は明里によって3つの呪縛にかかってしまう。
君の名は
ここまで観て、この二人の名前は暗喩ではないかなと思えてきた。
遠野貴樹は、遠くの野原に屹立する桜の大樹を象徴している。貴樹の魂が凍結されたあの桜の大樹。貴樹の中では貴ぶべきものなのだ。
篠原明里は、篠のように、弱そうだけど、しなやかで柔軟な竹の強さを持ち、貴樹にとっては灯台の灯りのような存在なのだろう。待ってはいないと思いながら改札を出た貴樹が待合室で明里の姿を見た時は、まさに暗闇の大海を漂う舟が灯台の灯りを見つけたかのようだった。
明里の引っ越し先が岩舟なのもこのような意味が込められているかもしれない。貴樹の魂が舵をなくした舟のように明里という灯台の灯りを求めて漂う様子を暗示しているのかも。
象徴的な名前を命名された二人の行末はどうなるのか?3つの呪縛にかかった貴樹はどうやって呪縛を解いていくのか?
長くなったので、稿を改めます。
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