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あの人やあの人のこと

スポーツ選手からノーベル賞受賞者まで、素晴らしい業績をあげた人物が、一躍時の人として話題の中心になることは多い。
しかし、なぜ世間はその人の業績以上に、その人生の物語に興味を持つのだろう

つまりあれだ、八冠が昼飯に何を注文したかとか、二刀流が高校時代に何を言ったとか、そういうやつだ。
べつにマックのハンバーガーを食べても将棋には勝てると思うけれど、なぜか人はそこに意味を見出す。

いやそういうディテールこそが、今の彼ら彼女らを形作っていて、だからその人生の物語を知ることが、今日の成功の秘密を探ることなのだという、考え方もあるのだろう。

でもそれは所詮後付けに過ぎない。

まず圧倒的な成功があって、全てはそれに向けて肯定的に語られているだけなのである。

例えばだ、二刀流がストイックではなくて、飲む打つ買うの破天荒だったら、それはそれで客層は多少違うかもしれないが、やはり人気者であったのではないか?
一方、八冠の実力が今ひとつであったなら、あのキャラクターは「キモイ」と一刀両断にされる可能性は強いだろう。

何が言いたいのかといえば、これは結局当人たちにとって不幸だということだ。

好感度の高かったイケメンラグビー選手も、あれほど心遣いの人として知られたジャニーズのタレントも、小さなほころびから評価が一転してしまう。

彼らが単にキックの精度や、歌や演技の質でのみ評価されていたのならば、こんなことにはならなかったのだろうなと思う。
何しろそうであったなら、彼のツイートを読む人もさほどいなかったろうし、あの人が役職につかされて記者会見に出ることもなかったのだから。

当たり前のことなのだが、素晴らしいことを成し遂げた人間が、皆素晴らしい人格者とは限らない。

それを一方的に素晴らしい人のように持ち上げておいて、何かあると手のひらを返される。
例え本人に非があるとしても、ちょっとかわいそうだなと思うのである。



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