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老人たちよ

時間の経過というのは不思議なもので、ずっと見続けているが故に変化に気づかない。
とくに思春期を過ぎてしまうと、人格がおおよそ固定してしまって、自分の頭の中が変わらないので、なおさら世界も変わらなく感じてしまう。

古い写真に映り込んだ車のなんと古臭い形状をしていることか、そんなことにいちいち驚くようになる。

しかしちゃんと時間は過ぎ、世界は変化しているのだ。

例えば床屋の話をしよう。

その昔、わたしが若い頃は、髪を切りに行けば3000円くらいは普通にかかったものだ。
するとある時、カットだけしかしない画期的な1000円の店ができるのである。
時を同じくして、省略された髭剃りだの洗髪までやって1500円という店も現れる。
当然、最初の3000円の店はどんどん潰れて淘汰されるのだが、それらの理容店がほぼなくなった頃には、1000円の店も1500円の店も過当競争で経営が苦しくなってくる。
ジリジリと値上げし始めた結果、今は1500円の店は3000円になり、1000円の店も1500円くらいになっている。
この間30年くらいか、全くもって諸行無常である。

なのにわれわれの頭の中では、なんとなく値上げされているなぁくらいの感覚で、何十年かかけて元の値段に戻ったなんてことは意識されない。
ましてや昔の床屋にあった、のんびりとした時間の流れ、理容師との世間話、待合室で貪り読んだ漫画のことなどは、もうなかったことにされてしまう。

あるいは昔の1000円と今の1000円、下手すると今の1000円の出費の方が懐に痛いかもしれない、なんて感覚も、ちゃんと腰を据えて思い出さないと意識されない。

私たちは20年前、30年前、40年前、金銭的にも精神的にももう少し豊かだったのではないか?

そういうことは、時々しっかり思い出さなければならないし、年長者は嫌味に思われても、口に出して言わなければならないと思う。
それは長く生きてきたものの義務だ。

一方その逆もあるだろう。

今の老人たちが学生の頃、遊びまくっても就職に苦労せず、それで何とかなったからといって、今の若者に覇気がないとか、小さくまとまるなみたいなことを言っても、ただの老害仕草である。

今の学生がわれわれの倍勉強していて、授業料も物価も上がっている割に、バイト代は全然上がっていないことを知るべきだし、奨学金を借りても、よほど優良企業に入らない限り、返済に汲々として結婚どころじゃないこととか、子供なんて論外だとか、
ある意味昔よりよほど誠実に人生を生きているのに報われないのだということを、多くの老人は知らなければいけない。

それもまた年長者のあるべき姿だと思う。

今を知らないで、過去のみを語ってもそこに説得力はない。

何れにしても時間は流れているし、世の中は変化している。
新しい事実を知り、古い事実を正く語る。
難しいことだが、これを老人の矜持としたい。


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