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ゴドー待ち(その4)

これまでのお話
その1 その2 その3

今日の午後にはへらへらがやってくる。
そうすれば他にやることもないので、ここまでの通し稽古を見せねばなるまい。
そしてたぶん、ここまでひと月の練習が、大した結果を出していないことを、彼女に指摘されるのは避けられないであろう。

指摘されたからといって、事態は好転も悪化もしないのだが、この時の自分たちは現実と向き合いたくなかったのだ。

「ちょっとへらちゃんをからかってみないか」
言い出しっぺはB谷だったと思う。
「どういうこと?」
「つまり、台本ができなくて内部分裂して険悪な雰囲気になっているという・・」

彼の意図はすぐわかった。
あえてゴタゴタを演じて見せて、どさくさに紛れて肝心の「芝居」の方からへらへらの目を逸らそうというのだ。

「おーっ」
「じゃ。俺が口火を切るから、あとは各々」
「了解」

C藤とD本もノリノリである。

台本ができていないのは本当なのだから、別に無理のある話ではない。
さすがに同じ釜の飯を食ってきたメンバー、理解は速かった。

芝居にはエチュードという練習法がある。
ちょっとした設定だけを与えられて、あとは役者がその場で演技をする。
台本なしの一発勝負で、日本語では「即興劇」という言葉が当てられている。

つまり我々はこの即興劇で、へらへらを煙に巻き、この場を乗り切ろうとしたのであった。
たったそれだけの打ち合わせで、各々が演技プランを立て始めた。

我々は選ばれた精鋭なのだ。

                   

繰り広げられた茶番もとい即興劇は、リアルなものだった。

「なぁ、俺もうやってられないよ」
「だからってどうするんだよ!」
「待てよ、話を・・」
「もうどうでもいいよ」

激しい言い合い、つかみかからんばかりの口論。
わたしはメンバーで唯一の非喫煙者であったにも関わらず、D本のタバコを取り上げ、不貞腐れながらふかして見せるという荒技まで繰り出した。

いや、本当にリアルだった。茶番であったが。

                   

エチュードはどこまで行ってもエチュードなのだ。
我々の演技力はなかなかのものだったが、さすがに5分もやると行き詰まる。

敗因はA野の脚本と同じく、話の落とし所を考えていなかったことだろう。
その場の外連味だけだとやっている方が疲れてくる。
何か起こりそうで何も起こらない、これもある種のゴドー待ちだったのだ。

それに最初明らかに動揺していたへらへらだったが、どうもバレている。
結局、口火を切ったB谷が、最初に諦めた。

「びっくりした?」
「うーん、途中からわかった!」

我々の努力は無駄に終わった。

仕方がないのでその後ここまでの稽古を見てもらい、予想通り、微妙な反応で、一同意気消沈したのであった。

                   

公演がどうなったのかといえば、その後なんとか復活したA野が、脚本を書き上げ、我々の最後の花火は無事打ち上がった。

へらへらには悪いことをしたが、あいつはその後、教員になったわたしに、「センセー、ア・タ・シ。誰だかわかる?」といういたずら電話をかけてきたので、それでチャラだと思っている。

B谷の首を絞めるわたし 1986年


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