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ゴドー待ち(その3)

その1とその2はこちら↓

「ゴドーを待ちながら」はサミュエル・ベケットによる不条理劇の古典的名作である。
ゴドーなる人物を、二人の男が待っている。
ところが待っているだけで何も起こらない。そしてゴドーも現れない。
いろいろな解釈の可能だが、結局正しい解釈など存在しない、そういう芝居だ。

以上は演劇界ではとても有名な話なので、少なくとも大学生で芝居をやろうなんて者にとっては基本のキである。
ホームズ流にいえば「エレメンタリー。ワトソン」てなものだ。

なのだが、しかし実際のところ、たいがいの「演劇人」は、これを観ていないし、読んでもいない。
そもそも滅多に上演されないし、読むのには、多分ちょっと骨が折れる。
よくある話だ。
かくいうわたしも、細かいことは知らない。

ただあまりに有名なので、上演する脚本に、最後まで出てこない人物について、あれやこれや取り沙汰するシーンがあったりすると、おぉゴドー待ちだね、なんてしたり顔で言ったりするのだ。

                   

A野の脚本を待つ我々は、ある意味ゴドー待ちに陥っていた。

本当に脚本は来るのか、今日来るのか、明日なのか?
いやそもそも書かれているのか?
すでにA野はどこかに飛んでいるのではないか?

疑心暗鬼である。

稽古の方もいよいよ迷走してくる。
「4人登場」とだけあるト書きに、

「ただ出てくるだけではインパクトに欠けるな」
「おおよ、どうだ歌でも歌いながら出てきては?」
「いいな、なんの歌がいい?」

そこから、なぜだかで4人肩を組み「ほっ、ほっ、ホータル来い」と歌い踊るという、奇天烈な場面になる。

「あっちのみーずは、あーまいぞ」
「こっちのみーずは」
「まったりとして、それでいてしつこくない」

一体何が面白かったのか、今となっては全くわからない。

迷走していた。

                   

ある日、我々のいるスタジオに、同じ劇団の女の子が稽古を見にくることになった。
その頃には、一同が行き詰まっているという噂は周囲に知れ渡っていて、おそらく心配してくれたのだと思う。

やってくるのは、みんなから「へらへら」と呼ばれていた、いちおう我が劇団の看板女優だ。
なんで「へらへら」なのかは聞いたことがない。
ただ、「へらへら」としかいいようのない娘であった。

で、来るからには、こちらとしても、今日までの稽古の成果は見せねばならない。
「今回は俺たち4人でやるぜ」と見栄を切ってしまった以上、たとえ途中とはいえ、それなりのものを見せねばなるまい。

困った。

何しろ我々は追い込まれて異常心理に陥り、「まったりとして、それでいてしつこくない」というセリフに大爆笑しているのだ。

かろうじて自分たちがおかしくなっている、という自覚、というか予感のようなものは持っていた4人は、決心した。

「誤魔化そう」


(すみませんまだ続きます)

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