【勤続10年表彰】光が当たらない私

「今度10年表彰されるんだ。褒めて♪」

旦那が何気なく発したこの一言が頭から離れない。
「10年働く」ということは、もちろん素晴らしいことだと思う。

仕事であろうとなかろうと10年間、何かひとつのことをやり続けるのは相当"忍耐"のいることだ。途中で投げ出したいこともあっただろう。
誰にでもできることではない。

彼は、望まない人事異動を経験したことも知っている。
愛を持って長年指導してきた後輩が、突然退職してしまった悲しみも。

様々なことを乗り越えてそれでも同じ会社で働き続けているのだから、称えられるべきだとは思う。

でも私のもやもやするこの感情。どうしてだろう?ぐるぐる考える。

【10年表彰】


うちの会社には、勤続年数が累計10年を超える節目に、表彰する制度がある。毎年100人以上の方々が壇上で表彰されて、記念写真を撮影する。

その光景は毎年当たり前のように見てきたので、いつか私もそこに立つのだろうと信じて疑わなかった。(コロナ禍は、個別に写真のみだった。)

◆同じスタート地点


私と旦那は会社の同期だ。四年制大学を卒業して、新卒で入社。スタート地点は同じだった。同じはずだった。

入社してすぐに交際。4年後結婚し、子どもを授かった。出産して育児休業を取るのは当たり前のように、私だった。

【1度目の休職】

◆第一子の妊娠


妊娠中から保活(保育園を探す活動)をしたけれど、子どもがゼロ歳のときはあえなく玉砕。1歳児保育でようやく保育園に合格し、それと同時に仕事復帰した。

産休と育児休業を合わせて、休職期間は2年に及んだ。

◆保育園の洗礼


「ようやく仕事ができる!」と意気込んでみたものの、子どもは風邪を引き、熱を出した。さらには新型コロナウイルスに罹患した。

子どもと一番近くで接しているのは私なので、当然のようにすべての病気が移った。子どもと一緒に入院もした。その時旦那は働いていた。

【2度目の休職】

◆第二子の妊娠

しばらくして、2人目を妊娠した。望んでいたことなのですごく嬉しかったけれど、また仕事を休まないといけない不安と焦りがあった。

でもそんなこと知らないというように、お腹の赤ちゃんは順調にすくすくと育った。安定期を過ぎると小さい手や足で私のお腹をたくさん叩いて蹴っていた。愛おしくてたまらなかった。

早く会いたくて仕方のない私は「おーい!早めに生まれておいでよ」なんて呑気な声掛けをしていた。

いよいよ出産間近になり、出産準備を整えるため産前休暇を取った。職場の方々に「元気に赤ちゃんを産んでね!」とエールをもらい、2回目の休職に入った。

◆産声のない出産

臨月まで数日を迎えるころ、いつも通り妊婦検診を受けに病院へ行った。

診察を終えた医師は、こう言った。
「赤ちゃんの心臓が動いていない」と

衝撃だった。あんなに元気に動いていたのに。でもその時点で、いつまで元気だったかがどうしても思い出せない。生きているものだとばかり思っていた。2人目なので、多少油断していたのかもしれない。

医師には”原因不明の突然死”と言われた。

私はもう訳が分からなくなった。お腹の中にいる”もう生きていない”と分かっている赤ちゃんをこれから生まないといけない。気が狂いそうだった。

帝王切開ではなく自然分娩で、”産声のない出産”をした。

その後からもう私は正気じゃなくなった。
「元気を出す」とはどういうことなのか、分からなくなった。
毎日お腹にいた赤ちゃんを想って涙が出た。でも泣いても叫んでも怒っても、赤ちゃんは返ってこない。

私が赤ちゃんに悪いことをしてしまったのだろうか?思い当たることはないけれど。

毎日赤ちゃんに謝った。「ごめんね。ごめんね。」と。

自分のお腹で起こった出来事だから、これほどまでに責任を感じるのだと思う。お腹で赤ちゃんを育てていなかった旦那にはない感情だろう。

【仕事復帰】

◆私の居場所
もう何が何だか分からないフラフラな精神状態で、仕事に復帰した。育てる子どもがいないので、育児休業が取れなかったからだ。そんなことを考えたこともなかったから驚いた。冷静に考えたら当然だけれども。

とにかくがむしゃらに働いた。一息ついてしまうと、お空の赤ちゃんのことを考えてしまうから。とにかくたくさんの仕事を引き受けて、がむしゃらに働いた

働く場所があって良かった。私が、妻でもない母でもない”私”として過ごせる場所はココだけだと思った。

働くうちに、「なんで私は働いているのだろう?本当だったら、今ごろ元気な赤ちゃんのお世話をしているはずだったのに。」と突然、虚無感に襲われることがあった。

思い描いていたキラキラした未来とのギャップに心が追い付かなかった

そういうときは、それまで以上に働いた。一分でも一秒でもお空の天使を想う時間を減らすために。

◆娘もメンタル崩壊

仕事が終わると、娘と過ごした。5歳になった娘は体力がつき、もう保育園を休むことはほとんどなかった。

でも突然泣き出すことがある。理由を聞くと必ず「赤ちゃんいなくなって寂しいね。」と言う。

胸が張り裂けそうだった。まだ小さな娘は、娘なりに天使になってしまった赤ちゃんのことを想っているのだ。この子はなんて愛おしいのだろうと思った。

娘に「なんでいなくなったの?」と聞かれる。でも原因が分からないから答えられない。

「分からないよ。」と返答しても、幼い娘はそれを忘れて、また同じことを私に問う。

その後に、娘は「また赤ちゃん産んでね。でもまたいなくなっちゃうのかな?」とも聞いてくる。純粋な質問に心がえぐられた。

たいていの場合、旦那は不在だ。朝早くから夜遅くまで働いているからだ。

もう何も答えることができなくなり、二人で声を上げて泣いた。わんわん泣いた。それが毎日続いた。気がおかしくなりそうだった。

【10年間働くということ】

晴れの日も雨の日も、毎日出勤して10年働いた旦那。愚痴一つ聞いたことがない、真面目な人だ。

その一方で私は、まだ10年働くことができていない。でも「外で働くこと」以外のたくさんのことを担ってきた。

旦那とは同じスタートラインで戦ってきたはずなのに、いつの間にか土俵が違っていた。

それと同時に気が付いたことがある。「10年働く」ということは、その人だけの努力ではないんじゃないかと。

あの壇上の上でスポットライトを浴びられる人だけが素晴らしいのだろうか?

いや違う。その背景に色々な面で支えた人がいるのだと。

そして、私のように壇上に立てなかった仲間が何人、もしくは何十人もいるということも。(その大半は女性だった。)

旦那よ。
「10年表彰おめでとう。いつも家族を養うためにたくさん働いてくれてありがとう。」

でも私も10年頑張ったよ。

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