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【掌編小説】不埒な墓荒らし

 小学生くらいの男の子が、母親、というには若いので恐らく歳が離れた姉だと思うのだが、その姉と2人で河川敷を歩いている、そして周囲から孤立して灌木の中をただ一本生えているシダレヤナギの根元の地面を掘り、何かを穴に入れ、また土を被せて埋めていった。埋めるのに使っていたスコップの青い塗装は剥げていた。2人は黙ったまま、両手を合わせて祈るようなポーズをとると、その場を離れてやってきた道を正確に逆戻りし、やがて見えなくなった。その一連のシーケンスを私は少し離れたところで柔軟体操をしながら見ていたのだが、よくよく考えると私は人生で一度も真剣に「祈る」ということをしたことがないのに気がついた。
 あの2人は一体なにを埋めていったのだろう。好奇心が抑えられず、シダレヤナギのところまで歩いて行って掘り返した。道具は無いので手で掘り返した。河川敷だから、すぐ近くを川が流れている。川は東京都の西の方から長い時間をかけて流れてここまでくるので、つまりここは下流なので、さぞ汚い川なのだろう……と予想なさるかもしれないが、そして実際に20年くらいまではそうだったのだが、現在では役人たちの長年の努力により汚物の匂いなどはしない普通の川になっていた。しかし、飲んだとしたら胃がひっくり返るかもしれない。とはいえ、煮沸すれば、飲めなくはないかもしれない。
 好奇心が抑えられないというのは私にはめったにあることではなかった。埋まっていたのは、驚いたことに、死んだカメレオンだった。ペットだったのだろう。あの2人の祈っている姿が思い起こされて、私の身体に道徳心が満ちていった。よく考えたら、他の人が愛したペットの亡骸を掘り返すなんていうのは、大変非道徳的なふるまいであるのだった。
 私はカメレオンを丁重に埋葬しなおした。そして、両手を合わせ、目を閉じ、人生で初めて、真剣に祈り始めた。すると、シダレヤナギの上の方がガサガサいったので、目を開けると、幹の上の方からゆっくりと生きたカメレオンが近づいてきた。これこそが、おそらく史上初の、野生のカメレオンが日本において観測された瞬間であった。(おわり)


 2024/05/22(水) 22:25~23:03の38分間で、自宅のテーブルにてノートPCを用い、noteのエディタに直接書きました(本当は22:25~22:55の30分間で書くというルールをもともと課していたのですが、文章が中途半端すぎたのでちょっとずるしてしまいました)。
 時間を制限したりして即興的に書くみたいなやり方は、人間の無意識の領域にアクセスするという目的でシュールレアリスムの文脈の中でいろいろやられていたのだと思うのですが、よく考えたらそのように執筆された実際の作品を読んだことがありません。
 シュールレアリスムがどういう思想/運動だったかということ自体あまり知らないので、まずは有名なアンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言』『溶ける魚』など、そのうち読んでみたいと思います。

ちなみに、見出し画像は4月にどこかの公園で撮ったアオサギ?の写真です(小説の内容とは微塵も関係ありません)。

読んでくださってありがとうございました😊

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