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【掌編小説】 何のための花束だったか

 こんな古ぼけた、陰惨な感じさえする小さな通りに「素敵」で「可愛らしい」と評判の花屋が本当に存在するとも思えなかったが、妻がベリーダンス教室のロゴ入りのペンでメモ用紙に描いた粗雑な地図を頼りに通りを歩くと、まだ昼間だから人の気配のしない紫の看板のスナックやら居酒屋やらに挟まれてちょこんとした店構えの花屋が実際に現れたものだから、妻のことをからかい半分に信じなかった自分を恥じる以上に、この花屋では常連客には麻薬か違法な植物か何かが売られているんじゃないか、でないとこんな気味の悪い通りに店を構える理由がない、などと型にはまったことを呟きつつ通りを観察していると、変電盤にお札のように何枚も貼られたシールやステッカーの中に"Rotten Titans"というロゴを見つけた──それはここから200km以上は離れた私の地元名古屋で昔活動していたバンドで、ここ東京に来てからは15年間一度も思い出すことのなかった名前で、そのあまりの懐かしさにクラクラとした甘ったるい感じの目眩がしてきたが、その感覚は私がこの花屋に来た目的を忘れさせるほどの陶酔感ではなかった。私は妻が予約したブーケを、風邪を引いて寝込んでいる妻の代わりに受け取りに来たのだ。何のためのブーケかは忘れた。なぜ私が代わりに取りに行くのかも忘れた。近頃では覚えていることの方が少ないくらいだがそれも理由があってのことではない、おそらく脳が何かを覚えるのに飽きたのだ。平日の昼間だからか通りには誰もいない(猫は2匹いる)、花屋も同様に、客もいなければお店の人もいない、ただ入り口のカーテンは開けられ電気はついていて店先にはスイートピーやらラナンキュラスの切り花が小さい木製のテーブルの上に並べられている。一番手前の青いやつは勿忘草か? 花の名前は私にはよく分からない。

『呼び鈴を鳴らしてください』

よく見ると入り口の柱に取り付けられた木の板にこんなことが書いてあるのだった。この文章は極めて常識的だが、しかし例えばこれがこう書かれていたとしたらどうだろうか、

『十八番をひとつ歌ってください』

もしこうであったなら、私はその常識外れに敬意を表して、常識はずれな調子で『時代遅れ』(河島英五)を歌っただろうか。実際には『呼び鈴を鳴らしてください』と書いてあったので私は呼び鈴を鳴らしたのだったが、すると奥の部屋(仕切りの布でよく見えなかったがおそらく休憩用の和室)から濃い青のジーンズを履いて白いブラウスを着たお婆さんが出てきた。

「ああ、ああ、梨帆ちゃんちのとこの、ねぇ」
「私が誰だか分かるんですか」
「梨帆ちゃん、よくしゃべるから、ねぇ」

妻が普段、私についてこのお花屋に何を話しているのか気にならないでもなかったが……。ところで実のところ、この花屋は常識的ではなかった。借りたトイレの壁面が、全面鏡張りだったのだ。私は自分が排泄をする格好を初めて真正面から見たので、萎縮して便が奥の方に引っ込んでしまった。この鏡は一体どういう種類の配慮なのだろうか、どういう意図があるのだろうか、色々な人が色々なことを考え、それを披露し合いながらお互いに困惑し合ってる世界はとても平和に感じられる気がするが、少し呑気すぎるだろうか。
 いきなり御手洗いを借りたことを一言詫びてブーケを妻の代理で受け取りに来たことを伝えると、白や青っぽい控えめな花たちで構成されている"渋い"というか"通っぽい"ブーケがでてきて、これは妻の派手なもの好きの性格を考えると意外だった。

「今度はご夫婦で是非いらしてくださいよ、少し変わった、蓮茶なんかもご用意しますから」

4200円払ってブーケを受け取り、家に帰った。いつのまにか夕方だった。夕食にはうどんを作り、妻の分にはほうれん草を、私の分にはスーパーのお惣菜のかき揚げをのせて、妻と2人で食べた。(おわり)


ご覧いただきありがとうございました。
見出し画像は、昨年の春に訪れた足利フラワーパークで撮った写真です。

もうすぐGWですね!
ワクワクしてきました😊

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