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察しが悪いのはワザと

 月・火曜は学校教育の話です。今回は、子供への対応…と言うか、子供との関わり方について書きます。
 最近の子供たちは、大人に「してもらう」事に慣れています。だから、何かをしてほしいと言う気持ちを伝えてきません。
 例えば、給食時間にスプーンを落としてしまったとします。すると、私の横にやって来て言うのです。「先生、スプーン落としました」と。
 ここで、察しの良い大人である教師は、ついついやってしまいます。新しいスプーンを手渡しながら、「はい、これと取り替えてね」と。
 私も、そんな事をしていた時期がありました。
 でも、ある時、思ったのです。「こうやって察し良く対応すればする程、子供たちは対応してもらう事に慣れて、自分から考えて行動できなくなるのではないか?」と。
 そう考えてから私は、「察しの悪い大人」になる事にしました。
 先程の例で言えば、私の横に子供がやって来て、「先生、スプーン落としました」と言ったとします。私は、「あら、それは大変ですね」と、にこやかに答えて…終わりです。その後は、自分の給食を食べ続けます。
 多くの子供は困った顔をします…が、私は給食を食べ続けます。やがて、子供は言います。「先生、新しいスプーンと取り替えてください」と。
 そう言われたら、にこやかに笑いながら私は言います。「スプーンを取り替えてほしいんですね。そう言ってくれると、先生に何をしてほしいか分かります。(新しいスプーンを手渡しながら)はい、どうぞ」と。
 子供の立場からすると、かなり意地の悪い教師です。「先生、察して頂戴よ~」と思っている事でしょう。まぁ、令和6年に担任してるのは1年生ですから、そんな事さえ考えてないと思いますが…。
 とにかく、こう言う地味な対応を根気よく続ける事…これが、ほんの少しずつですが、子供たちを成長させると思います。だから教師は、「察しの悪い大人」であった方が良い…最近の私は、そう考えています。

 因みに、この記事は令和6年5月21日にブログへアップしたものを、修正してnoteの記事にしました。
 偶然ですが、同じ様な内容の記事を相互フォローしているnoterの雄剛@小学校の先生|体育|筋トレ|サーフィンさんが書いていました。このテーマに興味のある方は、是非そちらも読んでみてください。


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