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インドの寅さん

たまに行くお店に、おそらくインド出身と思われる青年が働いている。
日本語も達者で、明るい好印象の方だ。

自分はそのお店ではよく飲み物を注文するのだが、いつも手際良い対応で、スピーディーに注文したものが提供されている。言語の違う国で、お客様とやりとりして注文を捌くためには、言葉の勉強はもちろん、日本文化特有のやりとりや空気感の理解も必要で、なかなか大変なことなのだろうな、と感心していた。


先日、そのお店で飲み物を注文をして、商品の到着を待っていたのだが、これがなかなか出てこない。お客さんの出入りも多いので仕方ないか…と、暫く待っていたのだが、注文したものが出てくる様子はなかった。
そして、まもなくして人の流れがひと段落したところで、青年は”オーダー待ち状態”の体勢になっていた。

「お?これは…注文を忘れているな??」と思っていると、オーダー待ち状態の青年とバッチリ目が合い、その目には「あ!忘れてた!」という表情がサッと浮かんだ。

すると、驚いたことにその青年は、頭をかきながら申し訳なさそうに小走りでこちらへ走ってきて、「すみません!今作ります」と、言ったのだ。


これの一体何が驚いたかというと、”頭をかきながら申し訳なさそうにする”と言う仕草を、外国の人が違和感なく咄嗟にしていたことが、自分にはすごく驚きだったのだ。


頭をかきながら申し訳なさそうにすると言う仕草は、よくあるといえばあるが、実際、”きちんと”やっている人をほとんど見た事がない。
もちろん、やっている人が全く居ないと言うわけではない。が、どちらかというと記号的な仕草というか、映画やドラマのシチュエーションで見かけることの方が多く、もっと言うと、少し大袈裟で、ちょっと古臭い仕草のように感じていたからだ。もし今なら、”頭をかく”と言うよりは、”頭を抱える”と言う仕草の方がしっくりくる気がするのだ。


そんな記号的な仕草を、遥か海を渡った青年がしている…これは一体何故なんだ?!と興奮が止まらず、一人でモヤモヤと考え始めた。
結果、導き出した解答は、おそらく日本語教習ビデオの影響なんだろうという結論に落ち着いた。もちろん日本生まれ日本育ちと言うオチは除いて。

会社かなんかのシチュエーションで、ちょっとおっちょこちょいの若い社員が、上司に注意されて「すみません」と言ってるシーンが思い浮かんだ。が、もしかして、インドでもある仕草なのか?…とも思い始めた。

しかし、記号的に頭をかく仕草をしている場面は、昭和の映画(モノクロやカラー映画が始まって浅い時代)とか、教習や講義のビデオでしか印象が結びつかない。なぜならあの仕草には何故か、どこかちょっと愛嬌のある、昭和の古き良き空気感を感じるのだ。

そういえば昔、インドのあたりで寅さんの映画が人気だという話題があった。早速ネットで調べたところ、実際はインドのお隣、スリランカで人気があったようであったが、ご近所のインドでも人気があっても不思議ではないし、寅さんで日本語を勉強していたかもしれない。

そうか。もしかしたら彼は、寅さんマインドを持って、遥かインドから日本へ渡ってきた青年なのかもしれない。
一見すると交わりそうにないところにも、こうした交流点があって、交わり、また、一つのうねりとなる。

そう思ったとき、今日という日が何故かとても微笑ましく思えたのだった。




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